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彼らは寺へ戻ると、病人を風呂に入れて着替えさせた。もちろん包帯は全て取り去られた。
包帯の下から現れた皮膚には一つの傷や病の痕も見つからない。
篭は湯舟の水面に映った顔をもう一度見て、目が両方とも黒いことに気付いた。昨夜見たものは、夢か何かだったのだろうか。
不思議なことばかり続いている。
小袖と袴を着せられて髪を結われ、篭は茂十の寝室へ案内された。
部屋に入るなり、畳の上に座っていた宋十郎と目が合った。
宋十郎が篭を連れてきた坊主に礼を言うと、坊主は襖を閉めて立ち去った。
また、妙な沈黙があった。
どうすべきか迷い、篭は立ったまま、青年に微笑みかけた。
無表情とも取れる顔つきのまま、宋十郎は真剣そのものの声で言った。
「兄上、座られてはいかがですか」
ぎくりとした篭は、黙って頷くと、少しふらつきながら腰を下ろした。ただし上手く胡坐をかけず、片足を伸ばしたままの格好になった。
宋十郎はそれを横目で見ながら、話し始めた。
「昨日目覚めたと聞きました。なぜ、林へ行かれたのですか」
それは、篭自身にもよくわからなかった。
突然人間になっていた上に不気味なものを見聞きして錯乱したからだろうか。それ以上に、この十馬というらしい人間の魂はどこへ行ってしまったのか、茂十はどこへ消えたのか、宋十郎がなぜ彼を兄上と呼ぶのか、彼には色々なことがわからない。
「ぃ、え、…しえ、しげおみ、しげとみは…?」
それは、彼が懸命に発した音の連なりだった。宋十郎の涼やかな瞳が、何か驚きのようなものを現した。宋十郎は言った。
「伯父上のことを仰っているのですか」
篭は頷いた。
「伯父上は十日前に亡くなりました」
今度は篭が驚愕する番だった。その間にも、宋十郎の言葉は続く。
「伯父上は春から燕を飼いはじめ、随分可愛がっていたのですが、その燕が死んでしまってから、持病が急に悪くなりました。あっという間に床につかれて、亡くなったのが十日前です」
どうやら篭は梟の薊に会った夜から、かなり長い間眠っていたらしい。その間に茂十は、悲嘆のうちに死んでしまった。彼は胸の内で何かが砕けるような悲しみを感じた。
彼はうつむいた。
瞼が熱くなり、目尻から涙がこぼれた。涙が鼻先を伝って、畳の上へ落ちた。
「……せっかく、良くなったのに……」
十馬というらしい茂十の息子の体は、今こんなにも健康だ。篭は痛みのひとつも感じていない。しかしその十馬の魂は、どこにもその姿を現さない。今その体に棲んでいるのは彼の魂だ。
滂沱と涙する彼を、宋十郎は怪訝というより、もはや異質なものを見る目で見つめていた。
そして青年は、ふと言った。
「お前は、何者だ?」
篭は顔を上げると、彼を睨んでいる青年の白面を見つめ返した。
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