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諦めて溜息を吐き、項垂れるように頷く。
「ああ、そうだ。昨年の冬に亡くなった、お八重さんだよ」
「お八重ちゃんが……どうして……」
「あんた、霊ってのがどうして存在するのか知ってるかい。――――― ああ、いや、それは後だ。ともかく中へ入ろう」
實親に鋭い目で促されて、真白はやや乱暴な手つきで慎之助の腕を掴んで立たせた。
「中へ。どうして」
「中に入って、しっかりと門を閉めるんだ。お八重さんはどうやら、門を擦り抜けることはできねえようだからな」
「霊なのに……?」
そうだ。
八重は紅堂の戸は擦り抜けたのに、なぜか慎之助の屋敷の門を擦り抜けようとはしなかった。
そこが真白にもわからない。
だが、今それを議論している場合ではない。
いいから、と慎之助の背を押して門の中に押し込む。
「門を閉めるぜ」
自分も滑り込んできっちりと門を閉め、閂を掛けてからやっと、ほう、と息を漏らす。
「そう、霊なのに、だ。俺も不思議に思ってたんだ。この門に特別何か呪いがかけられているというわけでもなさそうだし……」
ぐるりと見回してみるも、お札や文字が書いてあるわけでもない、 何の変哲もない門だ。
腕を組んで首を捻る真白の耳に、門の向こうから實親の声が届いた。
『――――― さて、八重の君。少し頭を冷やしてもらおうか』
『どうして、邪魔をするの……せっかく慎之助様が出てきてくれたのに』
『あなたは、慎之助殿をどうするつもりだ』
『――――― ずっと、お慕いしておりました、って、そう言いたいだけよ』
『あなたはさっき、自分と同じになればいい、とそう言ったな』
煤のような瘴気の渦の中で、八重の厚ぼったい瞼がすう、とさらに細くなる。
『言ったかしら、そんなこと』
低く応じる八重を見据えて、實親はすらりと刀を抜き、切っ先を向けた。
『しらばっくれるつもりか』
『あら、まあ、怖い』
少しも怖いと思っていなさそうな平坦な声で呟くと、八重は袖で口元を隠してころころと笑う。細めた目は少しも笑ってはいない。
『その刀で、私を斬るおつもりですか』
『必要とあらば』
『必要、とは』
實親は眼を鋭くして刃を水平に構えた。ちき、と微かに鍔が鳴る。
『――――― あなたが、慎之助殿に害を成すならば』
『害』
低く撓んだ声が繰り返し、八重の目に剣呑な色が宿る。
『私が慎之助様に害を成すと。本気でお思いか』
『あなたは、慎之助殿が自分と同じになれば、と確かに言った。それはつまり、慎之助殿を亡き者とするということだろう』
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