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冷え切った眼差しで實親を見返していた八重は、ゆっくりと口を開いた。
『それの、何が悪いの』
『どんな理由があろうと、人を取り殺すことが善行だとでも』
『道理に適った理由があるなら、構わないじゃない』
『私は今、どんな理由があろうと、と言ったはずだが』
八重は鼻白むように目を眇めて、ふん、と顎を反らす。
『今生で結ばれないなら、仕方がないじゃない。私は死んでしまったし、慎之助様も早く死んでくれないと、あの世でも次の世でも結ばれなくなってしまう』
『それが道理に適った理由だと言うのか』
『私には、そうよ。慎之助様が亡者となって私と一緒にあの世へ行ってくれるなら、それでいいわ』
うっとりと遠くに目をやって言う。そんな八重に、實親もまた冷えた声で言った。
『亡者となったとしても、慎之助殿はあなたを選ばない』
ごうごうと渦を巻き上空へと巻き上がる瘴気の中で、八重は口を噤んで目だけを實親に向ける。
『―――――どうして、そんなことを言うの』
『真実を言ったまでだ。あなたにとって愛しい相手でも、慎之助殿にとってはそうではない。いや、……妹のように愛しいとは、思っているだろうけれど』
『妹……妹、妹! そんな肩書はいらないのよ!私は慎之助様の妹なんかじゃない!』
唸るように「妹」と繰り返したと思うと、癇癪を起こしたように激昂した。
『それが許せないと』
『私はずっとお慕いしていたのよ! それをまったく気づかないで、妹だなんて』
ぎり、と噛み締めた唇に、血が滲む。
實親は僅かに目元を緩めてそっと嘆息した。
『――――― 私には妹がいた。血の繋がった、本当の妹だ。何があろうと護りたいと思うほどに愛しかった』
ふ、と八重の目が動いて實親を見返す。噛み締めた唇が緩んだ。
『だが、妹と契りを結びたいかと言われればそれは否。愛しいと思いはすれど、それはまた違う愛しさ。妹とは、そういうものだ』
『……何が、言いたいの』
『慎之助殿は、恐らくあなたと初めて会った時から、妹として接してきた。たとえそこに血の繋がりはなくとも、最初に妹と認識していたなら、それ以降も変わることなどなかっただろう。添い遂げる相手として見たことがないのだから、あなたの想いに気づかないのも道理。考えもつかなかったのだ』
は、と口の端を片方だけ引き上げて、八重が皮肉げに笑う。
『だから、慎之助様は悪くないって?』
『元より、慎之助殿に非はない』
きっぱりと言い切る實親に、八重は舌打ちを堪えるように顔を歪めた。
『それなら、私のこの想いはどうなるの』
『あなたは、整理がつくまで置いてくれ、と言ったな。その整理が、慎之助殿を取り殺すことなのか』
『だって、どう考えても不公平だもの。死んでしまって、もう何もない私と、――――― 他の女と幸せになる慎之助様と』
表情の失せた顔で低く言うと、八重はすっ、と鋭く息を吸い込む。
『私の想いにも気づかなかった男が、私のことなんて知らずに幸せになるなんて、許せない』
『だから連れてゆくと』
『そうよ。邪魔をしないで』
ごう、と音を立てて渦の勢いが増す。
『そこを、おどき。――――― 慎之助様!ここを開けてくださいまし!』
上へ上へと渦巻いていた瘴気が大きく膨らんだと思うと、どおん、と門を叩いた。
まるで力士の巨体がぶつかってでもいるかのような重い音が響き、びりびりと辺りを震わせる。
『慎之助様!』
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