気弱な僕の勝負についての話

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僕の人生は負けっ放しだ。 勝った事を数えるほうが早い。 それも足の指はおろか手の指で数えられる位。 負けた数は・・・。 僕はそうして多くのものを手にできなかった。 立場、名声、金銭、伴侶、ああ空しくなってきた。 僕は負け犬なのだろう。 人生では。 でも、負け続けたからこそ知っている。 僕は敗北から多くの事を学んだ。 失った以上に実に多くの事を。 中国、三国の時代。 時の暴君、董卓は曹操に「戦に負けて見よ。負ければ多くを学ぶ」とのたまわった。 曹操は董卓との敗戦を糧に三国一の魏を建国した。 曹操は敗戦から多くの事を学んだからだろう。 負けて終わりなのではない。 敗北から学ぶ事が重要なのだ。 さらにさかのぼれば、劉邦は項羽に百度負けて一度勝ち皇帝になった。 そう本当に勝つべき勝負に勝つ事が重要なのだ。 でも、僕は負け犬のままでもいいと思う。 勝利者の陰には敗者がいる。 全員が勝利する事なんてない。 必ず敗者は存在する。 だから僕は敗者のままでいい。 それに勝者が必ずしも幸せになれるとは限らない。 敗者が必ずしも不幸せになるとも限らない。 だったら負け続ける人生も悪くはないと僕は思う。 それに僕は負けて勝利以上の物を得た事もある。 負け続けても自分が思い描いた理想に近づけたら。 自分がなりたかったものになれたのなら。 それも勝利だと思うし、それこそ敗者無き美しい勝利なのではないのだろうか? ただそれにはどれ程の努力が必要かと思うと思わずため息が出る。 あぁ、僕は負け犬にして小市民なのかもしれない。
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