76人が本棚に入れています
本棚に追加
用意していた言葉は頭から消え去った。いつものように「ただいま」という小さな声さえも、出なかった。本当は外に飛び出したいと思ったところで、お姉ちゃんの声が聞こえた。「私、扉の鍵を締めるの忘れたかも。夏子は鍵持ってるもんね。締めてくるね」
リビングから玄関にひょっこり顔を出したお姉ちゃんに見つかってしまった。
「夏子、帰ってたんだ! おかえり!」
そういうお姉ちゃんの表情は、いつになく嬉しそうだった。私と違って、お母さん似の整った顔。二重で大きな瞳。高い鼻筋。笑顔が加わると、お姉ちゃんはまるでアイドルのようにかわいい……と、お母さんはいつも言っている。無理無理そんなこと。お姉ちゃんは体型もいいけれど、歌も上手くないしダンスもできないんだから無理に決まってる。
私は何も言わないまま、二階の部屋に向かった。扉を強く閉め、荷物を放り投げた。
「夏子、どうしたんだろ?」「いつものことでしょ、ほっときなさい。それより、今日はご馳走にしましょうか」二人の会話が聞こえてきて、私は布団を頭からかぶった。
こんなこと、もう慣れてしまったと思っていた。物心ついたときから、いつもそうだった。お母さんは、勉強ができて性格も穏やかなお姉ちゃんが大好き。一方で勉強があんまりで運動だけはできる私のことは、別に好きじゃない。お姉ちゃんのことは褒めまくるけれど、私のことは褒めてくれない。「夏子はお姉ちゃんと違って……」いつもそう前置きしてから、あれができないこれができない、気が利かないし、素直でもない、そういうとこお父さんそっくりって言う。お母さん似で顔のかわいい長女と、お父さん似でそうでもない次女。出来のいい長女と、出来損ないの次女。そうやっていつもお姉ちゃんと私を比べるのだ。
お母さんは私より、お姉ちゃんのことが好き。幼いころはそんなことないって信じてきたけれど、中学に入ってようやくわかってきた気がする。それが現実なんだって。
最初のコメントを投稿しよう!