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【④ いざ、運動会!!】
週末の土曜日。道路の向こう側にある大きな公園で、保育園の運動会が開催された。
場所取りは、朝6時から大がしてくれた。
お弁当は多田と翔が。有李斗はビデオカメラなどの支度を。優は朝の家事と子供たちの事。先生は優と一緒に子供たちの面倒を見て、そして保育園へ送って行った。9時から始まるので、大人たちは8時半頃に公園へ行く。
「おはよう。今日は悪いな。朝早くから場所取りしてもらって」
有李斗は大の傍へ行く。
「まあ、これは俺の担当だしな。しっかし、お前のジャージ姿をジム以外で見られるとは(笑)」
「どうして笑う。スポーツをするんだ。着て当たり前だろう」
「そうなんだが。外で見ると何と言うか(笑)。早瀬の奴に見せてやりてえな(笑)」
「何でここで早瀬が出てくるんだ?」
「だって、あんなに冷淡だったお前がこれだぞ?しかも保育園の運動会だしな(笑)」
有李斗のジャージ姿にニヤニヤしながら、大は有李斗の肩を叩いた。
「何とでも言ってろ。俺は、あっちでビデオを回して来る」
「おう、おう。パパしてんじゃん。行ってらっしゃ~い」
有李斗は大から逃げ出すようにして、ビデオカメラを持ち、その場を離れようとした。すると先生が言う。
「有李斗くん。ビデオカメラ、僕にやらせてくれない?こういうの一度経験したかったんだよ。いいかい?」
「ええ。でも大丈夫ですか?人がたくさんいますよ?」
「大丈夫だよ。こんな時くらい頑張らないとね。普段は酒飲みなところしか見せてないおじいちゃんだからさ(笑)」
「そんな。先生はまだおじいちゃんって歳じゃないですよ」
「ありがとう。でも、まあ、とにかく今日はやらせて?上手く撮れるかは分からないけど」
有李斗の手からビデオカメラを受け取り、そのまま子供たちが並ぶ所へ行ってしまった。
「優、先生がビデオカメラで撮ると、行ってしまったから俺も行って来る」
「えっ、あっ、うん。はい。お願いします」
いつもの生活とは違い、周りがバタバタしていて、とても賑やか。こんな状況になった事がないので、優は有李斗への返事もあやふやになってしまった。その姿を見て、多田が優に言葉を掛ける。
「優、大丈夫ですか?慌てなくても大丈夫ですよ。有李斗さまだって、こういうのは全くと言っていい程、経験はありませんから。まさか、有李斗さまがカメラを持って走って行くなんて(笑)。私だって想像もしていませんでしたよ」
大と顔を合わせながら笑っていた。
【そうなのかなあ…】
優は、みんなが当たり前にできる事が、自分にはできないと思い知った感じでいた。周りをぐるりと見る。傍に有李斗はいない。途端に不安になり、座り込んでしまった。
「優?どうした。具合悪くなったか?」
優の顔を見ると表情が硬い。大は心配そうに傍に座り直し、優を自分の足の上に座らせた。
「大?」
「ん?大丈夫だ。有李斗がいないから仕方ねぇ。悠一さんも分かってるだろうから。――人がたくさんいるな。スーパーや病院の待合席とはまた違う。お前が戸惑うのも無理はねぇ。翔、お前は大丈夫か?」
大は優だけではなく、翔も自分の横に座らせる。
「2人とも大丈夫だからな。みんな自分ちの子供の事しか見てねえから。だから、お前らも月斗と李花の事だけを見て応援してやれ。分かったか?」
「うん。分かった。ありがとう大。そうだよね。今日は、月斗と李花の応援に来てるんだもん。ちゃんと応援しなきゃだよね」
「ああ、そうだ」
大に安心をもらい、優は大から降りる。
「多田さん。大の足を借りちゃってごめんなさい」
「いいえ。これで安心できたのなら良かったです。あっ、でも高いですよ?何せ、私専用の場所をお貸ししたのですから(笑)」
珍しく多田が冗談を言ってきた。
「うん。この御請求は有李斗にして下さい(笑)。僕を置いて行っちゃったんだもん」
優も笑いながら多田に答えた。
「はい。そうしますね」
翔はまだ緊張をしているようだったが、優は何かを吹っ切ったようで、多田と冗談を言っていた。そのあと、有李斗と先生を探しに行きながら、みんなが集まる所へ行った。
「優、こっちだ」
有李斗が先に優の姿を見つけ呼んだ。
「いた、いた。探しちゃった。人がたくさんいるね。――僕ね、有李斗が行っちゃったあと、あまりの人の多さに怖くなっちゃって、大に抱っこしてもらっちゃった。それでね、多田さんが『場所代は高いですよ』って。だから、有李斗に請求して下さいって言っといたよ(笑)」
人混みで一生懸命カメラを覗く有李斗の横で、優はさっきの話をした。
「何?お前、大に何をしたって?」
有李斗の意識が散漫だからか、何となく受け止め方が違うが、重要なところは聞き逃さなかった。
「大に抱っこしてもらったの。エヘヘ~」
有李斗の心情とは違い、優は笑いながら話す。
「お前、何を…」
有李斗がそこまで言ったところで、入場門から子供たちが行進をしてくる。
「有李斗、そのお話しはあとでね。あそこから出てくるよ。あっ、ほら、あそこ。2人がいる~」
再度、優に確認をしようとしていた有李斗だったが子供たちが来る。優に2人が来たところを指さしで教えられ、とりあえず今はカメラに集中する事にした。
「優、あとでちゃんと話を聞くからな」
それだけはクギを刺し、有李斗はカメラのレンズを覗く。
――開会式が始まり、何人かの人から挨拶がある。その中の1人に、優の祖父である厚生大臣が挨拶をしていた。
先生はビデオカメラを三脚にセットして、ずっと撮っている。有李斗も挨拶をしている大臣の写真を撮っていた。その横で、小さな声で優が有李斗に話す。
「あのね。僕、人がこんなにたくさんなのはスーパーとか病院とかでしか知らないでしょ?それでね、有李斗が行っちゃったあと、何だか怖くなっちゃって動けなくなっちゃったの。それでね、大が座っている自分の上に僕を座らせてくれてね。それと、翔も同じ感じになって。翔は大の横にいたの。僕と翔を撫でてくれて、怖くないよって。もちろん多田さんも一緒にいたよ。そういう事なの…」
優からの話を黙って聞いていた有李斗は、胸が苦しくなった。自分も慌ててたとは言え、こうなるかもしれないというのは何となく分かっていた。それなのに優を置いて自分だけがここにいた。
「そうか。悪かったな。俺も慣れない状況で慌ててしまった。とは言え、優をあの場に置いてきたのは良くなかったのに…。悪かった。本当に悪かった。今はもう大丈夫か?」
周りの事もあるので、有李斗も小声で話す。優を自分の前に立たせ、周りに分からないように後ろから抱き締めた。
「本当にすまなかった」
「ううん。有李斗を困らせるつもりで話したんじゃないの。ごめんなさい。有李斗はそんな風に考えないで。冗談で聞いてもらっていいの。多田さんからの事も冗談でお話ししてるんだから…」
「ああ。今はそう思っておく。ありがとうな」
「うん」
その場は、これで話を終えた。
そして、子供たちだけではなく、大人も一緒に準備体操をする。優はニコニコしながら有李斗と先生の間で準備体操をしていた。
開会式が終わり、15分後に最初の種目を行うと放送が入る。最初は年少組からのリレーと放送で言っていた。周りの人は自分たちの席へ行くが、有李斗たちは大臣がいるテントへ向かう。
「おじいちゃん」
SPの人たちに頭を下げながらそっと近くに行く。最初、警戒をされたがすぐに秘書の佐山が気付き、対応をしてくれた。
「優くん。今日は声を掛けてくれてありがとうね」
「ううん。忙しいのにごめんなさい。でも、月斗と李花の初めての運動会だから、どうしても来て欲しかったの。佐山さんもお忙しいのにごめんなさい」
「いいえ。大臣、楽しみにしていましたよ。今日はお天気も良くて良かったです。早瀬さんも一ノ瀬先生もお元気そうで」
「今日はありがとうございます。家族席にどうぞと思ったのですが、そうもいかないでしょう。公私混同のような状況に申し訳ありません」
有李斗は、大臣に頭を下げた。
「いいんですよ。こういう時じゃないと、私みたいな者は子供たちの行事には出ないんですから。文科省なら色々出ますけどね(笑)。今日は楽しませて頂きます」
「はい。では、私たちも子供たちを見てきます」
3人は挨拶を終えると、もうすぐ順番が来る月斗と李花の所へ行った。入場門の所へ来ると、既に大と多田と翔がいた。
「おう、こっち、こっち」
大が有李斗たちの姿を見つけ呼ぶ。
みんなで写真を撮り、入場して行く2人を見届けると、大人たちは2人が走る姿が見える位置に移動した。
年長組の番になりスタートする。初めに李花が走った。5人で走って3位だった。その次に月斗が走る。思っていた通り、月斗は足が速い。おそらく翔のオオカミが入っているからだろう。1位でゴールした。
「やっぱり月斗速えなあ。あれじゃあ、毎日体力が余ってるはずだよな。有李斗さ、今週ずっと練習で走ってたじゃん。あれ、続けた方がいいかもしんねえな。じゃないと月斗、発散しきれねえぞ」
月斗の走りを見て、大が有李斗に言う。
「そうだな。月斗の事は考えてやらないといけないかもしれないな。しかし、何処でオオカミの特徴が出るのかと思っていたが、こういうところだったな。翔、お前もか?」
月斗のオオカミは、翔のオオカミの遺伝子が使われている。
「う~ん…。多分なんだけど、俺のだけならそんなじゃないのかも。優の活発さが入ってるから、オオカミの特性が協調されたって言うか。そこに子供っていうのも加わって?」
翔の見解を聞き、みんなで『おお、そうか』と納得をしていた。しかし、その横で優は納得していない表情をしていた。
「ん?待って。月斗のあの賑やかさは僕のせい?僕、そんなに活発なのかなあ。この間も、有李斗と多田さん同じような事を言ってたよね?」
「賑やかとはまた違うな。活動的だな。優は経験をしなかっただけで、普通の生活をしていたら、学生時代はスポーツをしていただろうなといった感じだ。悪い意味ではないぞ」
「そう?それならいいけど。僕の一部が月斗に遺伝してて、みんなに迷惑を掛けちゃうのかと思っちゃった(笑)」
「まあ、俺はそんなお前も好きだがな」
優の心配の言葉に、有李斗は笑って返していた。
席に戻り、飲みものを口にしているところへ、早瀬と堀口が来た。
「すみませ~ん。遅くなってしまって」
「堀口、悪いな。親父も、休みのところ申し訳ありません」
「いや、私が来ても良かったのか?」
「何故です?あの子たちにとって親父は祖父なのですから見てやって下さい。2人とも楽しみにしていましたから」
有李斗からの言葉に、早瀬は嬉しそうにしていた。
優も挨拶をし、来たばかりの堀口と一緒に、今度はお遊戯のために入場門へ向かう。入場門で待っている間に写真やビデオを撮り、入場の音楽が流れると、優は月斗と、堀口は李花と歩いて行った。優は部屋で一緒に練習をしていたが、堀口は最近忙しくて一度しか一緒に練習ができなかった。優たちが練習している動画を多田が撮影をし堀口へ送っていたが、きっとそれを見ながら練習をしていてくれたのだろう。しっかりと踊り終え、戻って来た。
みんなが拍手をする。
「いや~、しっかり踊れてたな」
「そうですね。堀口も練習したんですね」
「はい。もちろんです。多田さんが動画を送ってくれたので良かったです。こんな時に何だか忙しくなっていたので。これで失敗でもしたら、李花ちゃんに怒られてしまいます。いや~、仕事より緊張しました」
堀口は本当に緊張をしていたようで、多田に出された麦茶をグイッと一気に飲み干していた。
―――次は、教職員と病院の先生と看護師の混合リレー。これには大が出る事になっていた。
「さ~て、行って来る。あいつらに負けられねえからな」
そう言って、ズンズンと集合場所へ向かった。
「大って足早いの?」
大が思いっきり走ったのを、有李斗以外は見た事がない。優は有李斗に聞いてみた。
「あいつ、ああ見えて速いぞ。大学の時、サッカーやってたからな」
「えっ?そうなの?大がサッカー。へえ。今の大からは想像もつかないねぇ」
「そうですよね。私も聞いた時は驚きました。でも、まあ普段もここぞっていう時はキビキビしてますし、何より本来なら外科が専門ですからね。運動神経はいいんですよ」
何となく多田が誇らしげに言っていた。それを見た有李斗は、多田が幸せそうで嬉しかった。
そして、大の番になると、走るコースの外側のテントで座っていた月斗が前に出て、大きな声で応援しているのが見えた。
「だ~い。頑張って~」
「おう。月斗、見てろよ~」
月斗の声援に大は答え、バトンを受け取ると走り始めた。バトンを受け取った時は5人中4番目だった。月斗の応援もあったからか、1人2人と抜き、2位まで上がってくる。有李斗や優たちの傍へ来ると、今度は優と多田が大きな声で応援した。
「「だ~い、頑張って~。あと1人だよ~」」
同時に、まさかの有李斗の声援も響く。
「1位になったら次の休みの晩飯は美味い肉、食いに行けるぞ~」
周りが笑う中、大がそれに答える。
「肉な~、絶対だぞ~」
有李斗に返事をした大は速度を上げる。そして、ゴール手前で1位になった。それを見た優と多田が抱き合って大喜びをする。
「やった~。凄~い。大、凄いねぇ。1位だよ。4番目にいたのに凄いね~」
「本当に。まさか大があんなに速いなんて。私も驚きました。有李斗さま、次のお休みは美味しいお肉をお願いしますね。大にちゃんとお願いしますよ?」
多田は有李斗の手を取り、ブンブンと振りながら、約束を守ってくれるように言っていた。
「ああ、もちろんだ。多田、あいつの好みの肉を食わせる店を予約しとけよ。金に糸目を付けるな。あいつが食いたいだけ食わせろ」
「はい。ありがとうございます」
有李斗も余程嬉しかったのだろう。多田に全てを任せ、一緒に喜んでいた。
この種目を終え、午前中の部は終わった。優と翔で、月斗と李花を迎えに行く。多田がお弁当の支度をしていると、大臣と佐山も来た。
「お昼は私たちも同席をいいかな?」
「はい。もちろんです。優が喜びます」
大臣と早瀬、先生が固まって座った。
優たちが戻ってくると、さっき走っていた大も戻って来た。
「おう、大、お疲れ。お前凄いなあ。いくらサッカーをやってたとは言え、もう10年も前だろ?よくあんな体力があるな」
誰よりも早く、有李斗が言う。
「まあな。俺はやる男だからな(笑)」
「本当だ。お前は凄いよ」
大の栄光を称えながらお昼にする。月斗も李花も楽しいようで、みんなの所へ席を替えながら食事をしていた。
―――午後の最初は玉入れなど、クラスによって異なる競技だった。月斗と李花がいる年長クラスは組体操だった。これはとても素敵なもので、どの大人たちも目が釘付けになっていた。そして昼食後、大人のお腹が馴染んできた頃に親子リレーが始まる。これには優と有李斗が出る。
「有李斗、頑張れよ。でも無理するな。まあ、李花が一緒だから大丈夫だと思うが」
「ああ。俺のあとに優たちだからな。あの2人に任せるよ(笑)。じゃあ、行って来る」
心配する大に答えてから、優と2人で月斗と李花の所へ行く。
「李花、頼むな」
「うん。大丈夫。李花がいるもん」
「ああ」
有李斗と李花は話をしながらスタート場所へ行く。円の向こう側に優と月斗がいる。親は、ほぼゆっくり走るだけ。子供はいくつかの障害物を熟していく。そして、最後に親が子供をおんぶしながら走ってゴールまで行く事になっていた。
有李斗と李花の番になり走り始める。まずは李花が平均台の上を歩く。次に網の中を潜り、何個かある輪の中を片足で跳びながら行く。そして、有李斗におんぶをされて優と月斗の所まで走る。最初は良かったが、やはり速度を上げると見づらい。李花には悪いが少し速度を落とす。
「パパ、気にしないで。ゆっくりでいいんだよ」
李花の声を聞いて、自分の見えやすい速度まで落とす。すると、優と月斗が大きな声で有李斗を呼ぶ。
「有李斗~、ここだよ~。僕と月斗、ここ~」
「パパ~。見える~?僕たちここにいるよ~」
優と月斗の声が聞こえる方を見る。2人が自分に手を振って待っている。優の顔を見ると、さっき見えなかった速度まで上げて走っても平気だった。
【あそこにいる。優が、俺の優があそこに見える】
優にバトンを渡す。有李斗からバトンを渡された優は、『お疲れさま』と言って月斗を連れ、走り始めた。有李斗は李花を下ろし膝をつく。目が片方見えないというのは不自由だと久しぶりに感じた。そんなに走っていないのに何故か息が切れる。膝をついた有李斗の背中を李花は擦りながら立たせ、端に寄るようにした。息を切らしているが、優と月斗の走りを見る。自分が遅れた分を2人が追い上げて行く。
【さすが優と月斗だな】
夫として、親として、2人を誇らしく思った。それに、自分の走りがどんなに遅くても、文句を言わずに優しく言葉を掛けてくれた李花にも誇らしく感じていた。優は本来の、子供たちは優の優れたところを受け継いでいると実感していた。こんな自分に3人を出会わせてくれた何かに感謝しかなかった。
無事に競技を終えた優と有李斗は席へ戻った。
「有李斗、お疲れさん。まず診察していいか?」
「診察?何でだ?」
戻ってくると、大が診察をすると言う。息切れをした以外、特に悪いところはないはず。
「一応な。目がこうなってから激しい運動とかしてないだろ?ある事を除いては(笑)」
「???… …ある事?」
大に言われた『ある事』が、有李斗には何の事だか分からない。
「ああ。でもそこは真面目に考えるな。冗談だから(笑)」
有李斗は少し考えて答えを出した。
「お前なあ。こんな所で何を言い出すかと思えば…。セクハラ医師が…(笑)」
大の冗談に付き合いながら診察をしてもらう。周りにいる人たちがチラチラと見ているが、大は気にせず診る。
「大、あとででいいぞ」
「何だ、気になるのか?周り…。そこは気にするな。見ている奴らは病院の職員じゃない人たちなんだろう。――俺の指を追って見て」
大は有李斗にそう言葉を掛けながら、有李斗の目の前に人差し指を出し、左右にゆっくりと移動させる。そのあとは上下。次は指の数を増やして何本あるか確認する。
「問題ないな。今の見え具合はどうだ?ぼやけたりとかはしてないか?」
「ああ、してない。ちゃんと見えてる」
「ならいい。もし、少しでも見えにくくなったら言えよ」
「分かった。ありがとうな」
「いえ、いえ~」
有李斗は、大の診察が終わり、優の方を向く。
「有李斗、お疲れさま」
「実はな、お前が声を出してくれるまで、正直見づらかったんだ。自分の走る速度に視覚が追い付いていないというか。車の運転の時は大丈夫なんだがな。自分が走る速度はダメみたいなんだ。でもな、お前が俺を呼んでくれてからは違った。俺を呼んでいるお前はちゃんと見えたんだ。ありがとうな。お前が呼んでくれたから見えた」
さっきの状況を有李斗は話す。
「良かった。呼ばれたらみんなが有李斗を見ちゃうからイヤかなって思ったんだけど、でも呼んじゃった。エヘヘ」
言葉の最後に優しい笑みを浮かべた優を、こんなにも人がいるのを分かっていても抱き締めてしまった。
「ありがとう…」
「うん」
優のおでこにキスを軽く落として離れた。いつもなら大の一言が飛んでくるが、今は何も言わずにいてくれていた。
―――プログラムも着々と進み、保護者リレーになった。優と翔が出る。
「翔はオオカミだから速いよねぇ。でも負けないよ?」
スタートの所で優と翔が隣同士になる。
「俺も負けない」
初めて翔が対抗意識を出してきた。
スタートの笛が鳴る。
2人とも全力で走っているのか、有李斗たちが普段見た事もない速度で走っている。
「2人ともすげーなあ。あんなに速く走れるのか」
大が2人の走る姿を見てボソッと言っていた。
途中、月斗と李花の声がする。
「「ママ~、翔ちゃ~ん頑張って~」」
後半は、優と翔だけの勝負になっていた。
優が最後の直線で速度を上げると翔も速度を上げた。しかし、速度を上げ始めた時、翔の頭からオオカミ耳が2つ、ピョコッと出た。
「あれって…」
多田が小声で言う。
「翔くん、耳が出ちゃったねぇ(笑)」
多田の言葉を聞いて先生が目を凝らしてよく見ると、確かに耳が出ていた。
先にゴールしたのは翔。すぐあとにゴールした優が、荒い呼吸をしながら翔を見る。優の目に翔の耳が見えた。
「翔?」
「うん?疲れた~」
まだ気付いていない翔は、ポカンとしている優を不思議そうに見る。
「翔、耳!!耳、出てる…」
「耳?」
優が両手で自分の頭を押さえ、ジェスチャーで教える。
「えっ?えっ?」
優に言われ、翔も頭を触ってみる。確かに耳が出る位置にオオカミ耳があった。ゴール脇でオロオロする翔を、保育園の先生が落ち着かせる。
「大丈夫ですよ。落ち着いて下さい。きっと楽しくてつい出ちゃったんでしょうね。そんなに慌てなくても大丈夫ですよ」
月斗と李花をはじめ、その家族の事も理解してくれているので、保育園の先生は園児をなだめるように、ニコニコしながら自分のかぶっていた帽子を翔にかぶせた。
そして、翔の耳に気付いた先生が急いで来た。
「翔くん大丈夫かい?驚いたでしょう」
「うん。先生ごめんなさい。こんなたくさんの人の前で…」
「そんな事気にしてるの?ここにいる半数以上の人は知っているんだから気にしなくていいんだよ。それよりも、翔くんも優くんも凄かったね~。2人とも速いんだねぇ」
そう、保育園の先生と先生になだめられているうちに保護者リレーは終わっていた。優と、借りた帽子をかぶったままの翔は、みんなが待つ場所へ戻る。戻ると、みんなが笑顔で迎えてくれた。
「翔、優、お疲れさま。2人とも凄かったな。しかし、やっぱり翔は速かったなあ。月斗の足が速いのは翔に似たんだな」
有李斗に褒められた翔は、恥ずかしそうにしていた。
翔は耳を気にしていたが、みんな『興奮し過ぎて出たんだろう』という程度で気にしていなかった。そして時間が経ちにつれ、翔も気にしなくなった。
そうこうしているうちに、最後の種目の祖父母リレーの集合放送が流れた。大臣と早瀬が出る。月斗は大臣と、李花は早瀬と組む事にした。
スタートしてから少し行くと、釣竿を持った先生がいるので受け取り、それを持って次の魚の絵がある所まで行く。そこで釣竿を使い、絵の魚を釣る。2匹釣ったら、それも持ってゴールするという競技だった。
この競技は祖父母という事もあって、順位よりも楽しくのんびりと行う感じだった。月斗も李花も楽しそうにやっていた。大臣も早瀬も、こんな日が来るとは思っていなかったので、誰よりも楽しそうだった。
―――途中、翔のハプニングがあったが無事に運動会を終えた。今夜は、運動会には病院の院長として挨拶にしか来られなかった大の父親が、院内のレストランに食事をセッティングしてくれていた。一度、それぞれの部屋へ戻り、汗を流し、着替えてから改めてレストランに集まった。
「いや~、みんな頑張ったねぇ。僕は初めてビデオカメラで撮ったよ。子供ってさ、同じもの着てるし、髪型とかも似てるでしょ?2人を撮ってるつもりが全然違う子を撮ってたりしてて、自分で笑っちゃったよね(笑)。みんなよく上手に撮ってるよ」
「確かにそうですね。俺もあとで見てみないと分かりませんが、先生と同じように全く知らない子を撮ってたかもしれないんですよ(笑)」
先生の話に乗る有李斗がいた。今までの有李斗なら絶対にしないような事。それを楽しそうに話していた。その姿を見て、誰もが嬉しかった。
―――「みなさん、今日はお忙しいところ、月斗と李花のためにありがとうございました。大臣も、お立場的に色々ありましたでしょうに、ありがとうございました。院長も、このような用意をして下さってありがとうございます。親父も忙しいのに時間を割いてくれてありがとうございました。先生、ビデオ撮影、お疲れさまでした。大、本来なら出なかっただろうに、リレーに出てくれてありがとう。それに朝早くからの席取りもありがとう。多田と堀口。多田は食事をありがとうな。堀口もダンスに出てくれてありがとう。そして翔。ハプニングがあったがリレー、ありがとうな。食事も朝早くから支度をしてくれたんだろ?ありがとう。――みなさんのおかげで何処の家庭よりも楽しかった運動会でした。本当にありがとうございました。来年からは小学校ですが、もしかしたらまたお願いするかもしれません。その時はお願いします」
みんなが揃い、飲みものも渡ったところで、有李斗が挨拶をした。挨拶が終わったあとに乾杯をし、食事を始めた。
今日一日の出来事を思い出しながら話が盛り上がった。2時間程経ち、大臣が帰る支度を始める。月斗と李花は事前に手紙を書いていたようで渡した。
「おじいちゃん、ありがとうございます」
「これ、あとで読んで下さい」
大臣は2人からの手紙を受け取ると、薄っすらと涙を浮かべていた。
「ありがとうね。2人とも色々できるんで驚いちゃったよ。これからも元気でお友達と仲良くね」
「「は~い」」
途中、優も加わり、軽く話をして大臣は帰って行った。
院長も明日は何処かの病院への会議に出席するようで帰って行った。
早瀬はもう少しいたが、こちらも明日は仕事相手と会うようで、堀口とともに帰った。
こうして、いつものメンバーが残り、ゆっくりと食事の続きをする。
「有李斗、目、何ともないか?」
「ああ、問題ない」
「なら良かった」
大は有李斗の目が気になっていたようで、目の状態を確認しながら再度診察をした。特に変わったところはなかった。そして同時に、翔の診察もしていた。あれから出ていた耳は、この席で落ち着いたのか、知らぬ間に収まっていた。――いつもならまだ盛り上がるところだが、さすがに今日はみんなくたびれたので、早目にお開きになった。
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