翌る朝(5)

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翌る朝(5)

 すっかり落ち込んでバスルームのドアを開けた遥は、目の前にいた人物に心底驚かされた。 「おはようございます」  バスタオルを手に遥を待っていたのは、桜木俊介だった。  桜木が言葉が出てこない遥の背後に回って肩から背の雫をぬぐってくれ、続いて前にひざまずくと丁寧に遥の胸から腹、腰から下を拭いてくれた。 「さ、もうよろしいでしょう」  立ちあがった桜木の腕をつかんだ。 「どうしてここに? ここへは入ってこられないんじゃなかったのか?」  桜木がほんの少し口元を緩めた。 「特別のお赦しを賜りまして――」  そこまで聞いて、遥は脱衣所を飛び出した。寝室には隆人はおらず、急いで通り抜けた。  居間のソファで隆人は新聞を広げていた。  呼びかけようとして、言葉に詰まる。「あんた」は禁句にされたのだった。 「露出癖があるのか、お前は」  新聞を下ろした隆人は眉をひそめていた。言われてみれば素裸のままだ。 「どうぞ」  桜木の声に振り返ると、バスローブを広げてくれていた。促されるままそれに手を通すと、桜木が共布の紐を手早く結んだ。 「ありがとう」  礼を言うと桜木は小さく頭を下げ、寝室の方へ戻っていった。  遥は隆人の隣に腰を下ろした。 「桜木さんを赦してくれたのか?」  隆人がふっと息を吐いて、たたんだ新聞をテーブルの上の新聞に重ねた。それからようやく視線と返事が返ってきた。 「まずお前に注意しておく。俊介を『さん』付けするな。凰となったお前が敬称を付けていいとしたら、それは俺だけだ。加賀谷の中では身分の上下がある。それをお前が乱すと、乱す元となる者を排除せざるを得なくなる。つまり俊介に迷惑がかかると言うことだ。一番望ましいのは『俊介』と名を呼ぶことだ。わかったか」  いきなりの説教にむっとなった。だが桜木に迷惑をかけるとはっきり言われては、返す言葉はない。  黙り込む遥に隆人がまたふっと息を吐いた。口調が変わった。 「赦すことにはなった。一代限りでな」 「どういう意味だ?」 「俊介たち七人のみの赦しであって、桜木家全体ではない。たとえば俊介に子どもが誕生したとしても、その子は一族外の子どもになる」  遥はそれがどういう意味なのかを計りかねる。隆人が肩をすくめた。 「文句は言うなよ。これでも分家連中からするととんでもない譲歩なのだからな」 「譲歩?」  隆人が自分の隣に遥を招き寄せ、遥の肩に手を載せた。 「世話係の任を果たした者には褒美を取らせる。お前のような極めてイレギュラーな仮の凰の世話と護衛をし、しかも仮の凰は証立てを経てきちんと凰になり、更にその凰にいたく気に入られたとあれば、その働きは特筆に値するものと、分家連中は考えた。だが、当主たる俺が追放した家を簡単に戻しては示しがつかない。そこで一代限りなどという条件をひねり出したわけだ」  隆人の指がゆっくりと遥の湿った髪を梳く。 「今の桜木七人のうち、五人は俺のものであるし、残る年若い二人は儀式の介添えを果たした。だから、そういう譲歩もありなのだろう。実際、俺は俊介たち年長の五人とは既に雇用関係を結んでおり、一族内にいるのと同じように彼らを使っている。つまり一代限りとすれば単なる現状の追認だ。分家衆としてはそれだけならば、新たな凰に対して自分たちの面目は立つと考えたのだろう」  隆人が笑みを浮かべた。 「何より俺の凰が桜木を寵愛しているからな」 「はあ?」 「お前が昨日さえ子相手に、桜木家の皆に会いに行くと大騒ぎをやらかしたのが外に漏れたらしい」  遥は昨日の自分を思い出した。 「分家連中からすると長く不在だった凰がやっと帰ってきた。不利な状況ながら、見事証立てを成し遂げるほど鳳凰の仲は睦まじい。このところ精機の業績が上向いているのも、仮の凰である間に既に凰の力が発揮されていたからに違いない――と考えた。そんな貴重な凰の機嫌を損ねるのが怖かったんだろう。ということで、桜木家が戻れたのはお前のおかげだ。俺のせいではない」 「でも、赦すって言ったのはあんたなんだろう? ならあんたのおかげだ」  隆人が背後を振り仰いだ。 「だそうだ、俊介」  そこにはかすかな笑みを口元に浮かべた桜木がいた。
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