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翌日、玄関で保育園の制服を着た陽莉と、身支度を整えた里帆は、パジャマ姿の恭佑を振り返った。
「じゃあ、行ってきます」
「パパ、おるすばんよろしくね。いい子にしてて」
「……俺のセリフ、取られちゃったな」
恭佑は笑って、手を振る。二人を見送り、書斎に足を向ける。
昨日、恭佑は気が付いたら自宅のリビングでソファに座っていた。どうしてこの場所に居るのか、その前後の記憶が曖昧で、二日前の朝に職場である小学校に出勤したまでは覚えているのだが、それ以降を思い出すことが出来ない。それに、その抜け落ちた記憶だけではなく、他にも大事な何かを忘れてしまっているような気がしていた。
書斎に入り、机の引き出しを順番に開けていく。
中には鉛筆のストックや、鉛筆削り、ホッチキス、古びた輪ゴム、色褪せたプリントなどの文具用品が中心で、記憶を埋めるような物はない。
本棚には学年毎の指導要綱の教本と、趣味で集めている時代小説が所狭しと並んでいる。昨日届いた本は、未開封のまま机にある。郵便受けに入らない分厚さだ。手を伸ばし、封を切る。二冊のハードカバーの本を持ち、書籍が並んだ段に視線を移すと、年季の入った皮の手帳が目に入った。本を棚に入れ、手帳を持つ。やけに手に馴染み、懐かしいような気持ちになる。ベルト型の留め具を外し、手帳を開く。
A5サイズの6穴の用紙には、罫線のみのページでびっちりと綴られた文字。恭佑はぎょっとした。
「俺が書いたはずなのに、……知らない」
そこには入学の時から、成長を見守ってきた五年一組の生徒の名前があった。恭佑の学校は担任と副担任が交代しながら、持ち上がることが多く、ほぼ見知った名前ばかりだった。そして、名前の後に、生徒一人一人について、詳しく書いてある。その内容は、長年担任をしているとはいえ、一介の教師が知るよしもない、生まれた場所や怪我をしたことなど、人の歴史に近いものだった。驚くべきことにその内容は過去だけではなく、未来にも続き、何歳でどうやって亡くなるかまで事細かに記載されている。
自分の筆跡、ということは分かる。
しかし、いつ、どうやって書いたのか全く思い出せない。
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