49 days left(2019年4月25日)

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49 days left(2019年4月25日)

 途方もない疲労がずっしりと肩に乗っているようだった。それは着慣れない窮屈(きゅうくつ)な喪服と抱えている骨箱のせいだと思い、玄関ドアの前に立った里帆は、陽莉(ひまり)と繋いでいた手を離した。 「ママ? だいじょうぶ?」  陽莉は薄い眉を寄せ、不安そうな顔で里帆を見上げる。 「大丈夫。もう全部、終わったからね」  ガチャリと鍵を開けると、硬い音がした。持っていた骨壷を靴箱の上に置き、小さな陽莉に視線を合わせる。 「今日から、ママと陽莉とハルカゼで暮らすからね」 「パパは? いないの?」  骨壷を一瞬だけ見て、頭を軽く振る。 「パパはお空に行っちゃったの」 「いつ、お空から帰って来るの?」  首を傾げた陽莉は里帆がそっと抱きしめると、困ったように身を縮めた。子供の体温は高く柔らかい。 「……ママ?」  短く息を吐き、身を離して、陽莉を見やる。  栗色のビー玉のような瞳が(まばた)きを返す。くるんとカールした薄茶色の髪の毛、丸い小さな鼻、肉付きの良い赤い頬。  子供の瞳は澄んだ光を蓄えていて、里帆は眩しさに圧倒されそうになる。悲しい出来事を理解してもらうにはどう伝えればいいのか、どの言葉が適切なのか。  頭に優しく手を置き、里帆は自分自身を落ち着かせるべく、なるべくゆっくりと息を吐いて、明るく声を出す。 「……お腹、空かない? おやつでも食べようか」 「やったー、おやつっ! ひまり、いるーっ!」 「手、洗おう」  ぱあっとした笑顔を浮かべ、洗面所に陽莉は駆けていく。急いだ背中はまだ小さく、頼りない。里帆は後に続き、靴を脱いで、骨壷を抱えた。  真新しい白い布に包まれた骨箱、その中に壺。壺の中には、遺骨。  触れている部分はひんやりとなんてしないはずなのにーーー、里帆はひりりと痛みに近い冷たさを感じた。このまま感情も温度と一緒に吸い取ってくれればいいのにと、思う。  坂城家は10階建の3階で全戸南向き、築五年の3L D Kオートロック付きマンションだ。学校、警察、役所、駅、バス停と主要な公的機関が半径2キロ以内の好立地で、周りは澄んだ川や緑豊かな環境の住宅街であることから、売りに出された当初は、増税前もあり飛ぶように売れた。恭佑がここを内覧もせずに、結婚を機に二つ返事で購入したのは、里帆をとても驚かせた。何回、恭佑に驚かされるのだろうかと、あの時、不安やら期待やら色んな感情でワクワクした。自分一人であれば、そんな思い切った決断は出来なかった。  だが、今回はーーー、と、部屋の中心に伸びた廊下を緩慢な足取りで進む。廊下には三つほど扉があり、寝室の扉が開いている。その床に、くしゃくしゃとシワの寄った紺色メンズパジャマが脱ぎ散らかされていた。 「また、脱ぎっぱな、し、にして」  里帆の目頭がじんわりと熱を持つ。瞳から大きな雫がふた粒、廊下に、ぽた、ぽた、と落ちる。フローリングに波紋のような色の濃い跡が滲む。
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