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 日曜、朝からの臨時バイトで品出しをする。昨日ラインで亮介にも声をかけていたので彼も来てくれた。運ばれてきた各メーカーのトラックから降ろされた製品を台車に乗せて売り場に運ぶ者と、売り場で陳列棚に並べる者、それぞれが黙々と仕事をする。  俺は売り場で陳列棚に並べ続ける担当。陳列棚のスペースは各メーカーごとに場所が決まっているけれど、今回は臨時の発注増に応えてくれたメーカーと、配送スケジュールの関係で無理だったメーカーがあるからそこはフレキシブルに。  トイレットペーパーの陳列棚は通路に面した8メートルほどの長さに3段。各段の奥行は12ロールが4つ並ぶ。だいたいここが空になっていることなんてこの店でバイトを始めてから初めてのことで、全段詰め終わるのにどのくらいの時間がかかるのかなんて考えたことないけど、まあオープンには間にあうだろうと思っていた。  売り場陳列組の3人で並べ続けているけれど、2段目3段目の棚に並べていると腕がだるくなってくる。下の段は腰が痛かった。  途中から運搬組も加わってくれてなんとかオープン前には綺麗に並べることができていた。 「腰、いて~」  年寄みたいに腰をコンコンと叩いた俺の姿に笑いながら、 「これも全部、一瞬で無くなったりしてな」  太一が笑ったところに清水さんがやってきた。 「すまんな、臨時バイト」  そう言って俺たちに缶コーヒーをくれた。  オープンの30分前まで休憩時間をもらえたので、倉庫の裏で亮介と太一と3人で缶コーヒーを飲んでいたとき亮介が言った。 「おふくろが言ってたんだけど、ワイドショーで取り上げてたらしい、トイレットペーパーが無くなってるって」 「あるじゃん」  太一は早くも飲み切ってしまったみたいだ。 「うん、なんかデマ情報が流れて無くなってるって、今朝のうちみたいに空っぽになったラックの映像が流れてたらしい」 「なに?ワイドショーってことは全国規模で起こってるのか?」  亮介に聞くとこくりと頷いた。 「オイルショック再びかあ?」  名残惜しそうに缶を逆さにしながら太一が言う。 「いや、学んでるんじゃね?あるんだし」  俺は呑気にそう言ったけれど、昨日品出しをしようとしたとき台車から直接持って行かれたことと、清水さんの指から流れていた血を思い出してしまった。 「オイルショック・・・まさかね」  社会の教科書に出てきたあの現象を実際に体験した人は、何歳くらいになっているんだろう。 「哲、このままバイト?」  太一に聞かれて頷いた。 「おまえらは?」 「今日は休み」 「俺は午後から」  二人は交互に言ったあと、帰って寝ると口をそろえた。    いつもの入荷分も、臨時増加分も今朝ついたトイレットペーパーはすべて店頭に並んでいる。そもそもかさの高い製品だから、月に一度の特売日を除いては倉庫にストックすることはほとんどない。  開店前、いつものように売り場確認をしてオープンポジションについた。今日も生活必需品売り場担当だけど、なるべくトイレットペーパー売り場の方にいてほしいと清水さんに言われている。清水さんも同じあたりにいてくれて心強い感覚を持ってしまったのは、なにか予感めいたものがあったのかもしれない。清水さんの指に巻かれた絆創膏に微かな不安のようなものを感じていた。  昨日の人波を思い出していたとき、オープンのBGMに『お待たせいたしました。本日も当店をご利用いただき誠にありがとうございます』というアナウンスが重なる。  そしてデジャブのような光景が再び。  早朝から黙々と並べたトイレットペーパーの陳列棚に瞬く間にスペースができていく。人が重なるように奪い合いながらトイレットペーパーを取っている。また両手に持っている人もいる。 「危ないですので、押さないで順番にお取りください」  清水さんの声は聞こえているけれど、人々の動きは変わるわけではなかった。 「ちょっと押さないでよ!」  そんな声が聞こえている。正月の福袋販売のときに似ているかもしれない。ただお客さんが奪い合うようにして手に持っているのは、ただのトイレットペーパーだけど。  朝から並べた時間の10分の1くらいの時間で売り場のトイレットペーパーはすべてが無くなっていた。香りつきの値段の高いものもなにもかも。呆気にとられていた俺のところに 「トイレットペーパーないんですか?」 と、女性が聞いてくる。 「あっ、はい。売り切れました」  そう答えると彼女の後ろから 「倉庫にあるんやろ、出し惜しみせんと出して来いよ」 と男性がイライラとした声で言ってくる。 「申し訳ありません、本日はこちらにあるものですべてでした」  品出しをした俺が言うんだから間違いない。 「そんなはずないやろ!おまえ転売しよ思ってるんやろ」  男性の手にはトイレットペーパーはなかった。転売? 「ほんまやわ!出してきてよ」  最初に静かに聞いてくれた女性の声も棘を含んでくる。 「いえ、あの本当に在庫はないんです」  少し大きなめの声で言うと 「ちっ、役にたたんやつやな」  男性は舌打ちをしてそんな捨て台詞を言って歩いて行った。  舌打ちをなぜされなければいけないんだ?  それからも何人もの人に在庫分を出せと言われた。 「売るのがあなたの仕事でしょ?!」  そんなことを言いそうもない上品そうな女性にもきつい口調で言われる。  あったら売るよ。無いんだから仕方ないだろ。心の中の言葉が思わず出そうになっていたときに、清水さんが助けに来てくれた。 「申し訳ありません。本日入荷分はすべて売り切れました」  清水さんのきっぱりとした言葉に集まりかけていた人たちも、散り散りになっていく。  清水さんの手には、昨日と違ってきちんと印刷された紙があった。 『誠に申し訳ありませんが、トイレットペーパー本日の入荷分は完売いたしました』  朝、きっちりと商品を並べた3段の棚の2段目の2か所に貼られたお詫びの紙が店内の空調にわずかに揺れる光景を眺めていると、朝感じた二の腕のだるさが蘇った。  ラックはすっかり空になっているのに、バイトの間中呼び止められてはトイレットペーパーのことを聞かれた。在庫はないのかいつ入荷するのか。その質問には清水さんに言われたように 「申し訳ありません。明日入荷します」 と答えたけれど、途中から「申し訳ありません」を外していた。そう言うたびにむかむかしていたから。  
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