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一度帰ってからいつもより早く出勤した。相変わらず開店前からたくさんの人が並んでいる。そんな列を見ると昨日までは暗い気持ちになったのに今朝は違った。明け方に感じたワクワク感が蘇ってしまう。
太一は今日は午後からなのに、オープン前の更衣室に入ってきた。
「午後だろうが」
そう言うと
「見らいでか!」
と笑った。
バイトの時間ではないのに制服に着替えて出てきた太一に気付いた清水さんが、
「まあいいか、手伝ってくれ」
と。俺は清水さんに言われた場所でメガホンを持った。
オープンのBGMが流れて挨拶のアナウンスが流れる中、人波が生活必需品コーナーに向かう途中で太一がメガホンで叫ぶ。
「トイレットペーパーは催事会場にあります!」
その声が催事会場にいる俺にも聞こえた。人波の流れが変わる。こちらに向かってくる。ワクワクする。
トイレットペーパー売場の何倍もある催事用のスペースの壁際、何台ものラックに高く積まれた一袋12個入りのトイレットペーパーが並ぶ。その前にお客さんが取りやすいようにオープンラックにもいくつものトイレットペーパー。10トントラック2台分のトイレットペーパーが催事会場に所狭しと積まれている。
俺たちが運び、積んだ。
奥のラックの何ヶ所かに、
『お一人様10個まででお願いします』
という紙が貼ってある。
催事場に来たお客さんが一瞬戸惑う様子を見ながら、メガホンをあてて思いっきり叫んだ。
「トイレットペーパー、こちらにあります!お一人様10個までです!!」
あまりの気持ち良さに必要以上に大きな声になったかもしれない。
買い物カートにひとつふたつのトイレットペーパーを入れて催事場を出て行くお客さんの表情は憑き物が取れたように穏やかだった。
と、あの野球帽の爺さんが。うず高く積まれたトイレットペーパーに一瞬ポカンとした顔をした後、二袋を持って俺の前を通った。
「やっぱりあるじゃねえか」
俺に言ったのか、独り言なのかわからない声が聞こえたので
「二個で大丈夫ですか?」
と聞いてみる。爺さんは初めて俺に気づいたようにチラリと見てから、
「自転車に二個しか乗らんからな」
と言った。その声にあの時の棘はなかった。
後ろ姿に声をかけていた。
「気をつけて帰ってくださいね」
なぜそんなことを言ってしまったのかわからない。爺さんは振り返らずに片手に持った12個入りのトイレットペーパーを返事のように少し上げた。
人は弱い。人は脆い。だから想像力を持って本質を見つける強さを培わなければいけないのかもしれない。
『お一人様10個まで』
窮地にそんなエスプリを効かせたアイデアを考え、それを見事に実行した大人たちに敬意を表しながら、学べた事ごとを噛みしめながら、爺さんの背中に向かって叫んだ。
「ありがとうございました!」
〈fin〉
2020.3.15
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