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「ねえ、ここって何処なの?」
翌日、滝本はタツオミを連れて智子の実家に来ていた。インターフォンを押すと、少しの間を開け、智子が姿を見せた。
「あっ、おはよう進くん。昨日、コインケース忘れたでしょう?」と、智子は言った。「今から出社?時間あるなら朝ご飯食べていく?」
「うん、ありがとう」と、滝本は言った。「お母さんは?」
「いるよ。仏壇の掃除してる」と、智子は言った。「お母さん、進くんの事、すっごい褒めてたよ。優しそうな好青年だって」
「それは嬉しいな」と、滝本は言った。「先にお母さんに挨拶していい?」
仏間、掃除を終えた母親は蝋燭を灯し、線香を付け、背筋を伸ばして仏壇に拝んでいた。随分、長い間。それは沈黙というより鎮魂に近かった。
智子は祈りを続ける母親の背中を見つめながら、滝本だけに聞こえるよう、「あれね、私のお兄ちゃんなの」
「そう」と、だけ滝本は言った。
「お母さん、まだ若かったんだ。相手の人も若かった。選択肢がなかったんだ。今でも思い続けているの。三十五年経ったって、忘れた事は無いんだって」
三十三年前、社宅の前に建っていたのは堕胎で有名な産婦人科病院だった。堕胎の手術の際、子宮から取り出す為に胎児はまず器具でバラバラに切断される。そしてその残骸を子宮から掻き出される。タツオミは三十五年前、あの場所で殺されたのだ。
タツオミの正体は、世に生まれる前に死んだ胎児だった。
「行っていいよ」と、滝本は小声で言った。
タツオミは母親の元に転がっていくと、傍でじっと母親を見つめた。三十五年の空白を埋めるように。言葉もなく。
子犬の幽霊が成犬になるのならば、三十五年掛かって幽霊だって大人になるのかもしれない。人が人を死に至らしめる要因は様々あった。憎しみ、独占欲、愛、様々な想いがあった。タツオミは憎まれて殺されたのではなかった。そこには懺悔と後悔があった。
タツオミは、おずおずといった様子で母親に触れ、彼女の体温を感じるように目を閉じた。長い時間、タツオミはそうしていた。
「良かったな」と、滝本は言った。「いつか、またな」と、呟いた。
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