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事件の現場になったのは関東のある田舎町だった。十年前、痴情の縺れの末に女が元交際相手を殺して遺体をバラバラにし、近くの山中に埋めた。
犯人は当時二十九歳だった湯川雅美。被害者は同じ町に住んでいた三十一歳の男性、斎藤龍臣。女は町役場に勤めていた真面目な女性だった。真面目過ぎるが故、物事に盲目的になる事があった。
斎藤龍臣は雅美にとって、初めての男だった。初めての恋に溺れ、盲目的に男を愛し、我を忘れた。斎藤が別れを切り出した時、女は逆上した。人生を返してと女は叫んだ。気づくと男の腹を包丁で刺していた。雅美は男の亡骸と一晩過ごした後、彼を解体し、山中に埋めて姿をくらました。
雅美は警察に捕まり、懲役刑を受けた。三十九歳になった今も、河津刑務所の中で暮らしている。
滝本は田圃の畦道をとぼとぼと歩いていた。後ろから、生首がぴょんぴょんとボールのように弾みながらくっついてくる。
「この景色に身に覚えない?被害者の、斎藤龍臣の生まれ育った町だけど」
周りを見渡せば長閑な田園風景と緑の山々、牧歌的でどこまでも平和な風景。こんな田舎町であのような凄惨な事件が起きたとは考えられなかった。当時は相当な騒ぎになっただろう。
タツオミは跳ね上がりながら周りを見渡した。
「覚えてないなあ。ちっともピンとこない」
滝本は集落の大きな一軒家を訪ねた。広大な敷地にあるのは日本庭園、刈り込まれた木々、優雅に泳ぐ錦鯉。恐らく、この辺りの地主だった。
中から姿を見せたのは六十代の女性で、農家さん特有の、穏やかで朗らかな顔をした女性だった。
「すいません。少し、お話があるんですけど」と、滝本は言って頭を下げた。事件についての卒論を書く真面目な大学生になり切るつもりだった。「鴨田事件の」
「ああ、あの事件の事?あなた、マスコミかなにか?」
滝本は嘘八百を並べ立てた。口から出まかせが濁流のように流れでた。
「そうなのね、貴方も大変なのねえ」と、人の良さそうな女性は言った。「あれから湯川さん一家は引っ越しちゃってね、今は何処に居るのか分からないのよ。雅美ちゃんもまだ刑務所にいるでしょ。あれは不幸な事件だったわよね」
「被害者の事も覚えてますか?」
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