⒈奇しき侵略者

2/2
前へ
/65ページ
次へ
 エレボスの北山に奴隷軍の拠点はある。  四つ塔からなる石造りの古城、建物内では奴隷軍の中でも主要な指導者達と、戦事を得意とする者達が寝食を共にしているようだった。  戦いに参加するのは男性が多いが、稀に女性もいるようである。女性はどちらかと言えば洗濯や家事を生業として、ここに住み込んでいる者のほうが多い。  古城へ到着し馬車から降りたレフは、あっという間に待ち受けていた数人の男達に囲まれ、火急の要件なのか話しながら足早に城の中へと消えていった。  ぽつり残されたファティマへ、うら若い女性二人が近づいてきて「案内を仰せつかっています」と城の中へ先導する。  彼女達も手の甲に刺青があり、ここにいる者達は本当に皆、元奴隷なのだとファティマは密かに心を痛めた。アーシェに奴隷はいないので、ファティマにとっては野蛮で恐ろしい制度なのだ。  大人しく二人に付いていくと、東の塔にある一室に通される。どんな牢獄に入れられるかと覚悟していたが、そこは整った美しい部屋だった。  窓からは小川のせせらぎが聴こえ、覗けば青く透き通る川が見えた。ひさしのように生い茂る木が心地よい木漏れ日を作っている。  夜空に浮かぶ星の川のような天蓋が眠りを守るふっくらとしたシーツが敷かれた寝台は、天上の神々が身を委ねる繭のようだ。  案内をしてくれた女性二人に一言お礼をと、ファティマはやって来た扉のほうへ目を向けたが、いつの間にか二人は姿を消していた。  思わず扉へ駆け寄り廊下を見るも二人の姿は見あたらず、これからどうすべきかと途方に暮れる。  いくら美しい部屋と言えど、状況的にもここでぼんやりと寛げる心境ではない。  歩いて来た廊下を少しだけ戻ってみると、途中分かれ道になっていた廊下の先、奥行き止まりの一室から男性の話し声が聞こえてきた。図らずもするりと耳に入りこんできて、ファティマは反射的に、つい息を潜めた。 「レフのことは信頼してるし、あの強さが俺達には必要だ。しかし……アーシェへの侵攻は正しかったのか? ヘスペリデにうちを攻撃する大義名分を与えるだけなのに……」 「確かに驚いたが、まあ……女神の片鱗が欲しかったんじゃないか」 「と、いうと?」 「王家は神の血筋が多いだろう。例えば滅んだうちの王家も軍神の血筋だと言われていた。アーシェ女神の片鱗であるあの娘を妻にし、神の血と交われば神話に則る形になる。英雄とは言っても亡国生まれの元奴隷、あの娘を妻にすれば身分にも箔が付くしな」 「レフは王になりたいなんて思ってねえだろうし、地位にも身分にも興味ねえと思うんだがな……」 「しかしレフの意志に関係なく、皆新たな時代に相応しい新たな王を求めてる。英雄であり皆から慕われているレフが適任だろ?」  男達の話はまだ続いていたが、ファティマは静かに踵を返す。  部屋に戻ると、初見のとき感じた美しさは失われていた。  やはりここは、間違いなく牢獄だ。  この寝台も、いずれ自分が組み敷かれ踏み躙られる祭壇に過ぎないのだろう。  しかし不意に、触れられたあの無骨な手の感触と、榛色の瞳の奥に宿る慈しみのような感情の片影を思い出し、ファティマは強く(かぶり)を振る。  ──そんなはずない。あの男が私に優しくするのは、私を良いように使う為に決まっている。純粋な優しさなんて、ある訳がない。私はなんて愚かなの。  女神の片鱗になった時から多くの人々がファティマの元へ祈りに訪れ、悩みや苦悩、怒り、日常の些細な喜び、様々な言葉に耳を傾けてきた。  そのおかげか、いつしか目の前の人物がどういった内面を持つのか僅かな時間で感覚的に見極め、感じ取れるようになっていた。人を見る目、というものを、かなり養ってきたつもりだ。  しかし、いくら何でも、今回の相手は祖国を襲った男である。  根拠のないレフの優しさを信じかけていた自分が、ファティマは恐ろしくなった。  追い詰められた状況に身を置いて、きっと自分は正常な判断が出来なくなっているのだ。  また無意識的に、自分の首元を探る。  瞳は翳り、かつてない憂愁に沈んでいた。 「何処へ行こうと私の人生は私のものじゃない」  ぽつりと、そう呟いた。
/65ページ

最初のコメントを投稿しよう!

54人が本棚に入れています
本棚に追加