⒉アーシェの妖精

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⒉アーシェの妖精

 宣言していた通り、レフはファティマを自分の視察に同行させた。  他にも二十人ほどが同行しており、その中にはレフの昔馴染みというラーリャと、レフよりも更に若いイサークと言う男達がいた。  ラーリャはあの夜レフの後を追って部屋に入ってきた男である。レフと同じ元剣闘士で、とても朗らかで気さくな青年だ。イサークは農場奴隷で両親が奴隷であった為に自らも奴隷となった。まだ若いが非常に怜悧で王都へ攻め入る際参画し、一役買ったらしい。とてもレフを慕っており、それゆえかファティマを良く思っていないようだった。  今回の視察はエレボスの各地域を巡り直接現地の人の話に耳を傾け、国民の暮らしを改善する施策、方針を決めていく為のものだ。  押収した皇帝財庫の一部は、この視察の後に地域の状況に合わせて分配される予定だという。  地域ごとに新たな領土管理者を置き、不正や犯罪が行われないよう監視しているとはいえ、王政瓦解直後というのに治安はどこも比較的安定していてファティマは驚いた。  エレボスは純粋なエレボス民よりも被征服民のほうが多い。よって王政が転覆した後、帝国軍を倒した奴隷軍に歯向かおうというエレボス民がいなかったのも大きいだろう。  奴隷を所有していた者は、きちんと賃金を払い使用人として雇うようにとのお触れに逆らわず従った。  主有物ではなく雇用となり、ある程度お金が貯まれば辞めることも出来る。生きていく上での選択肢は確実に増えつつあった。  そんななかファティマは行く先々でレフの後ろをついてまわったが、とても不思議な気持ちであった。  エレボスにももちろん女神信仰はあるが、アーシェとの国交は何年も前から断絶していたために誰も自分のことを知らず、特別扱いせずに普通の人間として接してくる。  そして何より、まだ困窮や様々な問題が残るが、それでも物から人へ戻り、解放された人達の表情は眩しく晴れやかで、とても清々しい気持ちになれた。  何度も「レフの恋人か」と期待の眼差しを受けるのは、少し居た堪れない気持ちになったが。  レフはと言えばファティマを案内するかの如く、訪れた町の特徴や好ましい部分などを丁寧に説明してきて、ファティマはレフのその行動の意味が分からないままに大人しく話を聞いていた。  けれど、心のどこかで好奇心が満たされていく自分がいる。  本の中でしか知らなかった、一生自分の目で見ることはないと思っていた景色の中に、ファティマはいた。  ファティマ自身も忘れかけていた、子どもの頃に──正確には女神の片鱗になったときに諦めた、島中を旅出来たら良いのになと幼ながら夢見た記憶がよみがえる。  そんな機会はもう生涯ないだろうと思っていたのに、まさかこうして自分の足で他国をまわることになるとは。  女神の片鱗となり、そういうさだめだから、仕方がないからと諦めたものは多くある。  世界を旅するというのもそうだが、自分の探究心を好きなだけ突き詰められたらば、どんなに楽しく幸せだろうと神殿の中で独り何度思い描いたか。  片鱗となることで失ってしまった部分を埋めるかのように、神殿書庫に置いてある本は全て読み尽くしたけれど、それは逆にファティマの喪失感を大きくもした。  ある程度知識を蓄え興味が湧いたものに対して、本に書いてある以上に知りたいと思ってもファティマには確かめたり調べる術がなかった。  周りの人間に求めても、それは女神の片鱗には必要のないことだと窘められ、そうやって自分の探究心を何度殺したかしれない。  ──もし女神に選ばれていなかったら、自分は何者になっていたのだろう。  それは幼い頃、神殿の中で独り耽った想像だったが、歳を重ね、そんな想像をすることもなくなっていた。  けれど今、ファティマは久しぶりに、エレボスの町を眺めながら、そんなことをぼんやりと考えていた。
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