⒉アーシェの妖精

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 一日の予定を終え、宿へ入った。  小さな宿を貸し切っており、夕食を食べた後は各々好きに過ごしている。ファティマは二階の個室をあてがわれて食後は部屋にこもっていた。  しかし一人になると、やはりアーシェのことや、これからのことを考え込んでしまう。やがて深夜になっても寝付けずに、ファティマは水を一杯飲み行こうと部屋を出た。  するとちょうど二階へ上がってきたラーリャ、イサークと鉢合わせた。僅かに膝を折り礼をしたファティマへ、ラーリャはにこやかに「お疲れさん」と声をかけてきたが、イサークは露骨に顔をしかめる。  英雄であるレフに傾倒しており傍にいることが多いイサークは、尊敬する彼が何故他国の女であるファティマを自分達と共に連れ回すのか理解出来ず気に食わないのだ。  多くの者達は、レフはファティマを妻にし名誉も地位も手に入れるつもりなのだと考えていたが、一際近くにいるイサークは違った。  二人が褥を共にした気配もないし、何よりレフが権力や身分に全く興味のない男だとイサークは知っている。しかしレフがここまで他人と積極的に関わる姿を見るのが初めてというのも事実だ。  自ずから攫いに行き、自分の傍を連れて歩き……  レフは人とあまり話さないし、どこか一線を引いている。というより、単純に他人に興味がないように思えた。──なのに、この娘に関しては違うのだ。  憧憬を抱くレフが、何故こんな、神殿の中でのうのうと過ごしてきた、自分の意志も曖昧なお飾りのような娘に興味なんか、というのがイサークの率直な気持ちであった。  二人の横を通り過ぎようとしたファティマへ、イサークは聞こえるように吐き捨てる。 「レフはなんでこんな人形女を連れ回してるんだか。置き物としてなら高く売れそうだけどな」 「イサーク、やめろ。お前が今言ってることは奴隷商人と同じだぞ」  ぴしゃりとラーリャに諌められ、イサークは鼻白む。  何故連れ回しているのか、それはこちらの台詞だわとファティマは思ったが、イサークを一瞥もせず足早に階段を降りた。イサークの皮肉にはもう慣れたが、まともに聞いていてはやはり疲弊してしまう。さっさと退散するに越したことはない。 「相手にもされてないな」と笑うラーリャの声が背後から微かに聞こえた。    レフの考えは一向に読めず、それはレフに近しい者でも同じらしい。  以前ラーリャにアーシェは今どのような状態なのか尋ねたことがあるが、皆無事だし無体なことはしていないから安心して欲しいと言われた。もちろん、その言葉をそのまま信じて良いものかとファティマは少し考えたけれど、すぐに"嘘ではないだろう"と思い至った。  何故なら彼らは自由の為に戦った兵士だから。  奴隷に窶し惨い仕打ちを受け、なかには祖国を奪われた者もいて、そこから立ち上がり自由と平等を求めて戦った彼らが、他国を侵略し暴掠するなんて考えられない。  しかしだからこそ、今回のアーシェ侵略は不可解すぎる。  いくら高値とはいえ鉱石のためだけにアーシェを侵略するなど……ヘスペリデのことも考えれば後に残るリスクのほうが大きい。  一体レフは何のために?  ファティマがエレボスの町を見ることに何の意味がある?
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