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所謂、一目惚れ、と呼ばれる類のはじまりだった。
忘れもしない、七月初旬のこと。梅雨が明ける前、曇り空の色合いがはっきりしていなかった或る日。高校時代からの友人である石田に『職場の後輩で、お前に紹介したい人がいる』と呼び出された。その当時、亮一と石田は二十八歳。てっきり呼びつけてきた彼が自身の結婚相手を紹介してくるのかと思いきや、亮一が案内された席に着くなり石田はこう言った。
「北園さん、こいつが前から話してた、なっかなかカノジョできない奴。高野亮一、って言うんだけど。女の子に慣れてないヘタレだけど、まあ仲良くしてやって」
いつもの亮一なら、学生の頃と同じように石田の軽口を軽口で返していただろう。しかし、この時の彼にそれはできなかった。
クールな雰囲気を漂わせる、ややつり上がった目尻。ぱっちりと大きめなアーモンド型の瞳。平行に広がる綺麗な二重。きゅっと結ばれた小ぶりなリップ────。どこをどう見ても、アニメのキャラクターの如く美しい。何を隠そう、この瞬間の亮一は、北園遥美です、と顔色を微塵も変えぬまま名乗った眼前の女性のその美しさに、すっかり目と心とを盗まれてしまっていたからだ。
それから石田を交えて彼女と話すうちに、遥美について幾つかの事項を知った。
年齢は、亮一と石田よりも三歳年下。見た目から感じ取っていたクールさと大きく違わず、人柄もサバサバとした飾らない女性であること。そして、大のゲーム・アニメ好きなのだということ。
特に三つ目の『アニオタ』であるという点は、学生時代からオンラインゲーム好きである亮一と通ずるものがあった。よくプレイするゲームが亮一と同じだと分かると、遥美の若干丸みを帯びた瞳は一気に無数の輝きを孕んだ。同じゲームやってる人に出会えたの初めて、と。そう言いつつ当初の涼しげで媚びない印象とは対照的な柔らかい笑みを浮かべた彼女の姿を見て、分かりやすく鼓動が跳ねたことは今でも思い出せる。
それから何度か二人きりで会い、様々な話をした。距離が近づくきっかけとなったお互いに好きなゲームやアニメの話に始まり、好きな食べ物や嫌いな食べ物の話、将又これまで経験してきた人生や恋愛の話まで。亮一が遥美に対して変わらず抱き続けていたあこがれによく似た恋心が大きく転じたのも、そんな他愛もない話を積み重ねていた時だった。
「私ね……高野くんと話してると、なんかほっとする」
取るに足らぬやり取りの最後に、遥美が小さな声で呟いた言葉。夏の終わり、何の変哲もない喫茶店での出来事だった。亮一の脳がその文字列の為す意味を処理し終えた時、淡かった恋愛感情が体内で急激に温度を上げ、まるで沸騰するかのように沸き上がってきた感覚を覚えた。熱を帯びた湯が器から溢れ落ちたその衝動のまま、気づけば亮一は
「……じゃあ、付き合う?」
半ば勢いで遥美に言っていた。彼女から亮一くん、と名前で呼ばれる位まで昇格したのはこの時だ。
それから特に大きな事件もなく(ちょっとした諍いは数え切れない程にあったが。残念ながらそれは結婚して暫く経った今も全くと言っていいほど変わっていないので、ここでは割愛しておこう)世間で言うところの『カップル』としての月日は過ぎ去っていった。遥美と出会って三回目の夏を迎えた頃、思い切って彼女に婚約指輪を差し出した。二人で泊まったホテルの部屋、夕日が沈んでいく太平洋を望みながら。結婚してください────ストレートにそう伝えると、
「ばか。遅いよ……亮一くん」
その言葉とは裏腹に、遥美は口角を上げながら指輪を受け取った。オレンジ色の海とやや紅潮した頬の彼女は、悩まし過ぎる位に美しかった……。
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