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十五分程度の小休憩を済ませ、サービスエリアから再び高速道路の追越車線を走る。フロントガラス越しに見える鮮やかな水色の空が綺麗だ、と亮一は思った。
……が、しかし。夏場の天気は、兎角変わり易い。快晴の空が一瞬にしてひっくり返ってしまうことは、決して珍しい事象ではないと言える。
「ねえちょっと見て、天気怪しくない?」
本日の目的地である海岸に沿った道へと差し掛かる頃には、もくもくと灰色に膨らんだ積乱雲が頭上の空を覆ってしまっていた。徐々に暗くなっていく景色を見上げた遥美は、心配の色を滲ませた声音で続ける。
「絶対雨降るでしょ、これ。……ほらぁ、どんどん暗くなってきてるよ、空」
「……まあ、八月だし夕立くらいは降るでしょ」
「亮一くん昔から雨男だもんね」
「え、これ俺のせいなの? そもそもそんな雨男じゃないような気がするけど……雨降ったとしても、直ぐ止むだろうし大丈夫だよ」
……夕立なら、あっという間に上がるから。亮一は心の奥底で密かに呟く。
出発前に下調べをしておいた無料駐車場の入口が近づいてきた。スピードを少しずつ落とし、右側のウインカーを光らせて右折したそのタイミングで、白い稲妻が暗がりの空を切り裂いたのだった。バリバリッ! ワンテンポ程遅れて大きな雷鳴も響き渡る。やがて天の蓋が外れ、満たされたバケツを思い切り返したような大雨が海面を叩きつける激しい音がした。
亮一と遥美は、顔を見合わせ溜息をつく。
「うわ……マジか、ほんとに降ってきた」
「ねえ、どうする? ちょっと車の中で待ってみる?」
「そうするか……流石にこの雨の量で外に出るのはチャレンジャー過ぎるだろ」
「誰もそんな無謀なことしろなんて言ってないわよ! そもそもそんな勇敢さ、元からあなたは持ってないでしょう?」
「最後のその一言は要らない!」
周囲の人々から『漫才のようだ』と苦笑されるようなくだらないやり取りを繰り広げるこんな時間も、全くもって嫌いじゃない。それはどうやら遥美も同様だと信じて良いようだ、現に助手席に座る彼女は空模様とは真逆の明るく楽しそうな表情を浮かべ、カーナビに搭載されている音楽プレイヤーを起動させている。
ガラス越しに外を伺ってみるが、雨はまだ止んでいない。取り敢えず適当でいっかなー、と慣れた手つきで画面を操作しつつ遥美は言った。
「独身時代に石田さんからあなたを紹介された時の言葉。『女の子に慣れてないヘタレ』だっけ」
「おいおい、よく覚えてんな……。そうですよ、どうせ」
「まあ、それが今も昔も亮一くんのいいところだもんね?」
「よく言うよ。一ミリも思ってないだろ」
「あ、ばれた?」
「全く……そういえば、話変わるけど。なんで突然海に行きたいなんて言い出したの? 遥美、基本的に休みの日はなるべく家にいたいタイプの人じゃん」
「んー、そうなんだけどね」
いつかどこかで耳にしたことのあるような曲が流れる。この曲の名前を思い出せないまま、亮一は数日前から脳内に浮かんでいた疑問を遥美に問うてみた。質問を投げかけられた遥美はやや沈黙を置いて、亮一と反対側、即ち左側に位置する窓の向こうの豪雨を見遣りつつ答える。
「……十年、経ったから」
「ん?」
「あなたと出会って、それからもう十年も一緒にいるから……そう考えたら、プロポーズしてくれた時みたいな海、久しぶりに二人で見たくなっちゃって。……もう、恥ずかしいじゃない。言わせないでよ」
「……へえ、珍しいね」
雨が弱まってきた。入道雲の切れ間も見えてきている。もうすぐ、晴れた空が戻ってくるだろう。
遥美の答えを聞いて、亮一は自身の胸のざわめきを抑えることができなかった。心做しか、遥美も耳をほんのり色づかせている。微かな紅色を目にした時、亮一はハッとした。今車内で流れているこの曲は、遥美が先程呟きながらチョイスしたこの曲は。
晩夏の喫茶店で半ば勢い任せに告白したあの時、有線放送にて流れていた当時のヒットソングだ────。
幾つもの理由を重ねて、ざわめきは鼓動に変わる。あの時のように、感情が沸き上がってくる錯覚を感じた。もう溜息にはしたくない、と亮一は口を開いたが、
「……あっ……あいして、る……」
「ごめん、聞こえなかった。何か言ったよね?」
「ん? 何でもないよ」
結局は独りごちたような小声へ降格してしまう。
心の中で落胆を漂わせていると、徐に遥美がシートベルトを外したのが見えた。
「ほら見て、亮一くん! 雨止んだよ。外行こう?」
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