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 しかしもしあの女が、本心からあのような振る舞いをしているとしたらどうだろう。あの女がもし俺を惨めだとも思わず心の底から「すごいですね」などという言葉を吐き、俺の健康を気にして打算なしに自腹を切っているのなら、もし俺がそれほどまでの純粋な善意を向けられているのなら、こんなに恐ろしい事はない。  人に見下されているからこそ俺の現在は成り立っているのだ。今の生活に価値など見出だされてしまえば、俺の自棄(じき)は自棄ではなくなる。この生に意味が生じ、この世界と自分の生との間に繋がりが出来てしまう。  或いは女が俺に対して好意のようなものを抱いているのだとしたら。それもまた残酷な真実なのだった。  少なくとも俺がこうした妄想に掻き立てられている時点で、あの女は俺をに災いを運んできたと言えた。自分の不幸、自分の苦しみへの陶酔こそが今の俺の自尊心を支える防波堤となっているのだった。  食休みがてらに投稿動画サイトで動画を見た。一般人が数年かけて稼ぐ程の大金を競馬で使い果たすといった内容。俺の畏怖する普通の日常を飛び越して演じられる非日常は視覚化された妄想で、色も匂いも感じられない。そして見終えた後には、やはり虚しさだけが残った。  その空虚さを連れたまま始めたゲームは、作業のようにしか感じられなかった。浪費されていく時間に不安を覚えれば、やがて不安は苛立ちに変わり、遂にはコントローラーを投げ捨てた。  仕方なしに、木場に似た女優の出ている動画を探し始めた。幾つもの中から長い時間をかけて厳選し、これだと思ったものを見始めたはずだったが、画面上で一糸纏わぬ姿となった女は、木場とは似ても似つかぬ容姿をしていた。腹の中では、サラダやしょうが焼き弁当だったものが暴れていた。
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