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呆然と明るい茶の目を見返した。小さい舌打ちの音と共に、視線は窓の外へ向く。
急展開について行けない、が……本当に……?
「……い、いいのか?」
「いい。見てみたい」
こちらを見ずに頷く横顔に、
「……分かった」
そう答えてから、急に頭が働き始めた。
つまり、彼の画を諦めずに済む……ということか?
「あ……ありがとう!」
「は?」
眉を顰め、ちらりと目を向けた彼に、満面の笑みを向けていた。
「素晴らしい出来にする! 約束するよ。ああそうだ、これを使ってなにか食いたければデリバリーでもなんでも……外で食ってきてもいいし。俺はすぐ作業に入るから、気にしなくていい」
財布を彼の前に投げ出し、内心ガッツポーズをとりつつ作業スペースに戻ると、避けていた彼の画を呼び出し、改めて見た。
最初にシャッターを押した数枚。
呆然と空を見上げる横顔。光に透ける指先、毛先。青みを帯びた肌。背景の蒼天と一筋の白。
いい。
やはり、いい。
そう思いつつ、PCにプリントの指示を与える。すぐに唸り始めたプリンターの音を聞きながら、さらに手は動く。
このままで既にいい。だがエフェクトをかけてみても、いや色相を少し弄るか……さまざまなアイディアが浮かぶ。興奮と共に手を動かしつつ────溜息が出た。
……これを手放すのか。
────惜しい。だがそれが約束だ。諦めろ。この目で見れただけで良しとしなければ。
くちびるが切れるほど噛みしめ、自分に言い聞かせる。ここでヘンな色気を出して自らの首を絞めるような真似はするまい。
黙々と手を動かしつつ、画を目に焼き付ける。手元に置けないなら、せめて覚えておこう。今の俺は、こんな画を撮れるのだ。
かつて見た『彼女』の、あの一枚が未だ薄れないように。敗北感と虚無に落ちた感情の乗った、あの画が脳裏にこびりついているように。
この画もこの感情を乗せて忘れるまい。
プリントされた画が吐き出され、腰を上げ見に行こうとすると、いち早く伸びた手に持って行かれる。
ソファにいたはずの彼が、いつの間にかそこにいた。
何も言わずに画を見つめている横顔は、その手元にある顔とひどく似た、呆けたような顔をしていた。
この顔が、彼の芯なのだろうか。そんな思いを押し隠し、恐る恐る、しかしなるべく明るく声を掛けてみる。
「……どうだ? いいだろ?」
「うん……」
俺の衝動を呼び覚ました画だ。
自信はある。だが、彼はどう感じるのだろう。
「あ~……気に入らないか? 俺はすごくいいと思うんだが」
「ていうか自分の顔だし。いいとか……へんじゃねえ?」
「そうか?」
「だってそうだろ。……つうか」
ふっとこちらを見た目が少し細まって、表情が柔らかい。
「他のもあんだろ。見せてよ」
「あ、ああ。待ってろ。すぐに」
よく分からないが、彼の心境が変わっている。
少なくとも、反応は悪くない。うまくすればさらに譲歩を引き出せるかも知れない。そんな思いはデータを渡さずに済むかも、という欲に繋がった。
加工したものを保存し、次の一枚、さらに次をとプリントしていく。彼はプリンター前に陣取ったまま動かず、吐き出されるたびに画を手にとり、じっと見つめている。
「これもいいだろ」
「……うん」
小さい頷きに気が大きくなる。
「光線が少し目に入ってる。透ける髪の色とリンクする色が出せた。奇跡的な一枚だと思う」
「ああ……」
「こっちは指の影がここに出てるのが良いなと思って、コントラストを強めにしてわざと白飛びさせてみたんだ。毛先や指先が少し飛んでるだろ? こっちはちょっとピントを緩めてある。シャッター速度落としつつわざと動いてみた。面白い画になってるだろ。で、こっちのは少し青を強めてみた」
「へえ……、色々、できるんだな」
「まあな、ここまでイマジネーション次々湧くなんてなかなか無いんだが、君を見たとき一気にぶわあっと来てな。ついいろいろやっちまった」
「…………」
「────ほらこれ、どうだ? 肌の色が青みがかって透きとおるみたいだろ。背景の蒼天が君まで染めているような、ちょっと人間ぽくない雰囲気になってるよな。でもこの雰囲気は君の、この表情があればこそだと思う。……で、これは影の青みが強くなってるだろ。取り巻く枝葉が青みがかった額縁のように見えないか? あと、こっちのは…………」
彼が、はあっ、と大きなため息をつき、ハッと我に返る。思わず一枚一枚手にとって語っていた。
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