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「す、すまない。つい」
「いいけどさ、さっさと次やれよ」
「……次?」
呆けたような返事に、彼は目を細めて、クッと笑う。
「喋りながらできねーの?」
「いや、……できる」
「ならそうしなよ」
なぜだか彼が笑っている。笑った顔は初めて見たが、この顔もいい、と思わず見惚れてしまう。
「だからやれって」
「あ、ああ」
慌てて彼から目を引きはがし、作業スペースに腰を下ろしてマウスに手をかける。
彼の気配は背後から動かない。焦れたのか。早く終わらせろといいたいのか。プリント操作だけやっていれば早く終わるだろうと監視か? プレッシャーをかけているのか?
エアコンがきいてるのに背中に感じる気配に、プレッシャーを感じて汗が吹き出した。
大急ぎで全部プリントするだけで二時間以上はかかる。なのに得々と語って時間を無駄にしていたのだ。自分を殴り飛ばしたいような気分になる。
もしも彼が焦れて手を伸ばし、ちょっとした操作をしたら、今加工を入れたデータもすべて無いことになる。簡単にそうできる。
汗が止まらない。
しかし────呼び出した画に、また性懲りも無く引きこまれた。
森に一歩踏み込んだ逆光、影を帯びた顔の中、射貫くような眼差し、目に宿る光。『やめろ』と言いながら手を伸ばしたときの彼。
コントラストを緩めたら、もう少し表情が……つい、手は動いた。
そうして次々ファイルを開き、確認し、プリント操作をしていく。どの画もひどくイマジネーションを刺戟してくれる。ついつい弄りたくなる。
すぐに集中して唸り続けるプリンタの音も聞こえなくなり、色々やりはじめてしまっていた。
「……なあ」
「……っ、な、なんだ」
また彼を忘れていた。
「ここで見てていい?」
だが続いた言葉に目を見開き、背後を見る。
「あ、ああ。……もちろん」
ぼんやりした顔。なにを考えてるか分からない。こめかみから流れる汗を手の甲で拭いつつ、伸ばした彼の手に目が行く。腕の先、指は俺を通り越している。
「これ、今の。なにやってんの?」
指で示された画面には、たった今作業を加えた彼の姿があった。
「ああ、光量を調整してみたんだ」
「コウリョウ?」
「一部だけ変えることこともできる。他に、こんなことも……」
「え、てかなに? 今の」
「これはな、コントラストを弄ったんだ。ほら、こういう風に……」
「わっ、ぜんぜん違う」
「だろ? 色相なんかもちょっと弄るだけで、……ほら、こうなる」
「わ、おもしれー」
作業を進めながら会話が産まれていた。クルマの中の、あの重々しい空気はすっかり払拭されている。
調子に乗ってさらに色々やってみせると、「すっげーな」などとはしゃぐような声を出し、ときおり声を上げて笑った。
こっちまで楽しくなってくる。
作業に没頭するに、人の声は邪魔だ。常なら無視して無言で作業を続ける。だが彼の存在は無視できない。
それでもいつしか手元と画面に意識が持って行かれ、会話も無くなっていた。
「はあ?!」
素っ頓狂な声にビクッと手元が狂い「なんだ!?」と声を上げた。
「鍋も調味料もねー! なんでだよっ!」
彼の声だ。また忘れてしまっていた。
声はキッチンから聞こえてくる。ため息混じりに腰を上げ、キッチンへ向かった。彼はあちこちを開いては閉じ、なにやら憤っている。
「なんもねー! どうやって生きてるんだよっ!?」
「あ~、たいてい外食で済ませるんだ」
「つっても限度ってモンがあんだろ! うわ冷蔵庫も炭酸水とビールしかねえ! マジかよ、広いのにもったいねー馬鹿じゃねーの?」
「……悪かったな」
勝手にひとの家を歩き回って勝手に憤っている。こっちもムッとした。どんな生活してようと、文句を言われる筋合いは無い。
一瞬目が合うと、彼もムスッとくちを結んでスマホを弄りはじめ、偉そうに言う。
「しゃーない、ピザ頼むからアンタ払えよ」
「ああ、なんでも好きなもの頼め」
「よっしゃ、んじゃーアイスと、サイドメニューも! 唐揚げと~、なにこのラザニアつの、めちゃチーズ乗ってね?」
ラザニアを知らんのか、と呆れたことで少し落ち着いた。ここで飲み食いはほとんどしない。客人……かどうかは置いておくとしても、水一杯出してなかったのはこちらの落ち度だ。
「ああ……気づかず悪かった。俺も腹減ってるな」
「だろ? もう七時過ぎてんだもん、腹も減るよ」
「食いたいと思ったもの全部注文しちまえ」
「あ~喉渇いた……のにコップも無い! なんでだよっ!」
「ビール飲んで良いぞ」
また怒り出しそうだったのでひとこと付け加えると、彼はひとつ息を吐き、肩を上下させて何度もウンウンと頷きながら冷蔵庫を開いた。
「……それしかねーもんな。まじでマヨすら無いってどうなってんだよ。アンタもビール飲む?」
「いや、炭酸水くれ」
「りょーかい。つうかコップとか皿くらい置いとけよマジで」
「あ~、分かった分かった、そのうち用意する」
「いつだよ、そのうちって」
冷蔵庫から出した缶ビールを飲みながら、彼は眉寄せてスマホに集中し始めた。
「デザートも食おっと。めちゃ腹減りだっつの」
炭酸水はどうした、と思いつつ。
作業スペースに戻って黙々と作業を進めるのだった。
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