リベンジ

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 母も父も妹も弟も、二度と帰ってこなかった。  家族全員分の保険金、そして今住んでいるこのマンションが、俺に残された。  呆然とするばかりだった俺に、その頃の記憶は薄い。  葬儀などの手配は、田舎から出てきた祖母がやってくれて、田舎に来て一緒に暮らさないかと言ってくれた。  しかし俺は祖母の申し出を拒否した。学生とはいえ成人しているのだ。一人が寂しいなんて思わない。むしろ一人暮らしが楽しみだと嘯いて。  祖母の家に移ることが、家族に対する裏切りに思えていた部分もある。さらに今ここから離れたら負けという強迫観念めいたなにかもあった。  そのとき『一人暮らしは寂しいから』と言ったのは、おそらく祖母の本音だったと思う。今なら祖母の寂しさに思い及ぶこともできるけれど、当時の俺には分からなかった。いや、分かろうとしなかった。  祖母が帰り、家族の思い出が残る家で一人となった。  そして辛い日々が始まった。  自分のベッドで目覚めて見える時計は父が買ってくれた。シーツや枕カバーを洗濯しろと、母はうるさく言った。  このコップは妹の気に入り。弟はこのジュースが好きだった。…………キッチンに立つだけで、食卓に座るだけで、ソファでテレビを見るだけで、風呂に湯を溜めるだけで、髪を洗う、手を洗う、洗濯をする……そんなことで、いちいち虚無に陥って動けなくなった。生活の全てが家族の思い出に繋がっていた。  俺は家に閉じこもって、ただ寝て起きていた、食欲も湧かず、水一杯飲む度に頭を抱え、ぐずぐずと蹲った。  家の中にいるとなにをしても、なにもしなくても、いちいちなにかしらの記憶が呼び起こされ、そのたびに動けなくなった。外に出ても見えるいちいちに家族の顔や声が浮かび、身体が凍って息もできなくなった。  見れば、触れれば、苦しくなる。なにも見なければ良いとも考えた。閉じこもり膝を抱え目を閉じ耳を閉ざし────しかしなにも見ずに触れずに生きていくなど不可能だ。  何も喉を通らないまま、ひたすら閉じこもって頭を抱え、やがて気力も尽きてきた頃。  心配した同級の友人が訪ねてきた。  おそらくひどい状態だったのだろう。友人は強引に俺を連れ出し、居酒屋へ行った。そこでは普通に飲み食いできて、ひどく飢えて渇いていたことを自覚した。  思うさま食って飲んで酔っ払って、そこで色々吐き出したらしい。  正直、このあたりの記憶は薄いが、目に触れて辛いものを一時的にでもトランクルームに預けてはどうかと、そう友人が言ったのは覚えている。  それは当時の俺にとって光明だった。捨てずに済むのだ。目に触れないところへ、一時的にしまっておくだけだ。  だから、俺はそうした。  手を付けていなかった保険金の一部を使い、友人の知り合いだという便利屋に依頼した。  家具はもちろん鍋や調味料も、自室のものも含めてタオル一枚残さずにすべてを、目にも手にも触れない、匂いも届かないところに持って行って貰った。  作業が行われている間、部屋の片隅で頭を抱え縮こまっていた俺を、友人はまた居酒屋へ連れ出し、俺に驕らせてメシを食った。俺はまたしたたかに酔っ払い、気づくと家に戻っていた。  作業が終わって、きれいに掃除までしてあった部屋に。  なにも無いガランとしたリビングに転がり、大の字になって、酔っ払いはひどくホッとした。  そうしていつの間にか眠っていた。  家族と会えなくなって初めて、この部屋でまともに息をすることができた。  しばらく布団も無く、床で寝起きしていた。風呂に入るのにシャンプーやボディソープ、タオルをを買うときも、敢えて見覚えの無いものを選んだ。なにかを見たり触れたりして家族の顔が少しでも浮かぶと、それから目を背け、買ったばかりの物だろうと捨てた。
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