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三年後に祖母が亡くなった。
突然のことで、死に目に会うことはできなかった。
俺は天涯孤独となり、田舎の家も含めた資産が、俺一人に残された。
祖母の友人である不動産屋に、放置して傷むより人が住んだ方が良いと進言され、祖母の家は賃貸することにした。幾度か住人は変わったが、現在の住人は祖母とまったく縁の無い若夫婦だ。家が気に入ったのか、次の契約更新を機に購入できないかと打診されている。答えは保留中だ。
あの家に住むことは無いだろうし家賃収入はたいした額ではない。維持費を考えても売却した方が手間は無くなる。だが、祖母の思い出はあそこにしかない。
収入面では恵まれていると言えるだろう。写真の仕事も安定しているし、遺産に手を付けずとも、ゆとりを持って生活できる。都心のファミリー型マンションで気楽な一人暮らし。独身貴族などと死語で揶揄されることも少なくない。
だが……埋められない喪失感は、重しのようにずっと腹の底にわだかまっていたのだろう。そのまま気づくことなく、この年齢まで来てしまった、のだろう。そんな自覚も、今まで無かったのだけれど。
改めて顧みれば、思い出に悩まされることも、ここ数年は少なくなっていたようだ。
そんなことに気付いたのも、彼に触発されて考えたからだ。
新たな一歩を踏み出せるような、そんな心持ちになっていることに、気づくことができた。
時間は誰にでも優しい────そう誰かが言っていた。いや、本かウェブかなにかで見かけたのか。
そうかも知れない、と思う。
思い出は、後悔も、薄れない。
けれどそんなものと共に生きていく誤魔化し方を、俺はいつの間にか覚えていたらしい。
「あんた馬鹿だろ」
そんな俺の考察、自己分析など、彼に伝わるわけが無い。
ただ────
「……だっておかしいよ。俺はあんた脅迫して、大切なもん捨てさせようとしたんだぞ」
「うん、君はいつでも壊せた。けれど壊さなかった」
不満げに眉を寄せながらピザを食っている彼と出会えたから、そう思えた。
だからこれは……
「……君のおかげだ」
「は……、ばっかじゃねえの?」
「……そうだな」
目を背け、逃げてきた。
「馬鹿だったよ」
だが、ずっと気づいていなかったことに、今気づいた。
ならば始めたい。
失ったものは大きかった。彼らを忘れることは無いだろう。だが、愚かなりに過ごしてきた年月で得たものもある。
失ったもの、得たもの、それをしっかり見つめ直し、やり直す。今この地平からできることをはじめたい。いや、はじめなければ。やりなおさなければ。
たとえ今回撮ったものを全て手放すことになったとしても、新たに撮ろうと思え。
これから敗者復活戦だ。
勝利を狙う戦いではない。そんなギラギラしたものは、今の俺には無い。
いうなれば、情けない男が少しだけまともに生きていくための、戦い。
あのとき様々なものに負け、投げ出してしまったもろもろを、ひとつひとつ拾い直すための、人生のリベンジ。
そこまで考えて、そんな格好いいものでも無いか、と苦笑しつつ、俺は言わなければならない言葉をくちにした。
「ありがとう。君のおかげだよ」
彼は信じられないものを見る目で俺を見て、ふんっと鼻を鳴らした。
「ばっかじゃねーの」
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