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「ぜったいバカだ、あんたバカだ」  いらだちを隠そうともせずに立ち上がった彼はキッチンへ消え、ビールを飲みながら戻って来た。 「だってあんた、こんなマンション住んでさ、でかいクルマ乗って……ちゃんと、してるじゃん」 「……え」  いきなり褒められた……のか? しかし声は低く唸るようで、眉寄せた表情も、あまり好意的には見えない。  混乱して手もくちも止まった俺の横に、どかっと座ってピザに手を伸ばす彼は、やはり眉を寄せた悔しげな表情だ。ビールで流し込みながら、ガツガツと言いたくなるような勢いで食い、 「……に、……んで、……んな」  その合間に何か言っているのだが、食い飲みしながらの声は途切れ途切れで、なにを言いたいのかよく分からない。どうしたものかと見ていたら、彼がこっちを向き、ギッと睨まれた。 「ああ、済まない、良く食うなあと思っ……」 「……からっ! なんで!」 「……え?」 「必死なんだ! 俺なんかに!」  なにを言えば良いか分からない。しかし苛立つ理由が不明だ。この苛立ちが、データを壊す方向に行きはしないかと恐ろしくもある。 「なんか言えよっ!」 「あ……ああ……その。……ええと」  よく分からないが、ここは宥めるべきだろうと判断する、が、なにを言えばいい? いらだちを抑えて、プリントさせて貰えるように……しかし…… 「なんで! 俺なんかに! あんな必死なんだよっ!!」  また同じ事を言った彼に、慌てて答える。 「いやだから、今日撮った画をどうしても失いたくなかった、んだ。そう言っただろう」 「言ったけど! だけど! 俺なんてほっといて逃げれば良かったじゃねーか!」 「……え?」 「俺はあんたがどこの誰か知らないんだぞ? 迷ってたんだし、あんたは車もあった! ばっくれて逃げれんだろ!? なのになんで……」 「……ああ」  そうか。そう言われれば、……と、思い、ククッと笑ってしまう。 「気付かなかった」 「だからバカだろってんの!!」 「……そうかもな……」  あのとき、カメラの中のデータを守りたかった。それしか頭に無くなって、他に考えが至らなかった。そう考えれば不自然でもないように思えるが…… 「……森の画、そして君を撮った何枚か……」 「何枚かじゃねえだろ。ばちばち撮りやがって」 「ああ、そうだったな、済まない」  おそらく、無意識で思っていたのだろう、と思い至る。  この彼と、縁を繋ぎたい。……これからも彼を撮りたいと、そういう欲が無かったとは思えない。  そう考え、ククッと笑いが漏れた。 「うん、その何十枚かの為なら、君の靴を舐めろと言われても、……躊躇わずにそうしただろうな」 「は!?」  彼はいきなりソファから立ち上がり、壁際まで引いた。そこで怯え混じりに俺を見る。 「なに? おっさんそういうシュミ!?」 「趣味って……」  なんだ、怯えて逃げたのか。ククッと笑ってしまった。 「そんなわけないだろう。たとえだよ、たとえ」 「わ、分かるわけないだろっ!」  カァッと顔を赤くして怒鳴りながら、ソファに戻って来たが、少し離れた場所にドサッと腰を落とし、ビールをグビグビ飲んでいる。  微笑ましい。「悪かった」笑みを浮かべつつ炭酸水を飲んだ。 「紛らわしい言い方をして済まない。まあ、それくらい写真を諦めたくなかったって事だ。……さて」  炭酸水のボトルを手に腰を上げる。 「なっ」  彼がソファの端に身を寄せるのを見て、苦笑と共に手を振った。 「気にせず食っててくれ。俺は作業に戻るから」 「………………ああ、そっか。うん」 「ビールもあるだけ飲んでくれ。そうだ、冷やしてないのもあるぞ。流しの下に突っ込んでる」 「つうか冷蔵庫ン中、二十本くらい入ってたぞ」  言いながらキッチンへ向かう彼をチラリと見て作業スペースに戻り、マウスに手をかけながら、誤魔化すように笑う。 「いや箱で買うと、入るだけ入れちゃうんだ」 「うわっ! なんだこれっ!」 「あー、……はは」  おそらく、流しの下に半壊しているビールの箱が複数あるのを発見したのだろう。 「入りきらない分残ってるの忘れて、次の一箱買っちゃったりするんで……」 「……どんだけものぐさなんだよっ!」  いつも箱で購入し、冷蔵庫に放り込んで、入りきらないぶんは流しの下に放り込んで存在を忘れる。冷蔵庫のビールがなくなるとまた箱買いして……同じ事を繰り返し、溜まりに溜まった五百ミリ缶と半壊した箱の残骸。おそらくビールだけでも四~五十本はある。そろそろ片付けないといけないなと思ってはいたのだが……せめて箱の始末はしておくべきだった。 「まあまあ、せっかくだから、……全部飲んでも良いし」 「こんなに飲めるかっ!!」 「はは……好きなだけ……で、まあ……」 「くそっ! 早く終わらせろよなっ!」  やけくそのように何本か冷蔵庫から取り出してソファへ向かった彼を横目で見つつ、作業を進められることにホッとしてデータを呼び出し、ファイルを開いていく。  こちらを見ずに飲み食いしている様子に、ちゃっかりフォルダわけの作業までしつつ、ひとつひとつ開いてはプリント、気が乗れば仕上げを加え進めていく。  作業に入れば、ほぼ無意識に手と目が動いた。
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