蒼天

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蒼天

 抜ける空の蒼。  どぎついほどの太陽光。  大地からムクムクと生えたような白い雲。    山間に広がる田畑。草原やあぜ道の合間に並ぶまばらな樹木。水路は陽光を反射してきらりと光り、作物や草花は葉を、木々は腕を、傲慢な太陽の恵みをより多く受けようと伸ばしていた。青々とした輝きが強い生命力を感じさせる。  長閑(のどか)な風景のどれもこれもが強い光に濃い影を生成し、遠景の山はくっきりとした輪郭でそびえる。  そんな炎天下の昼下がり。俺はひとり、車を走らせていた。  午後の予定がぽっかり空き、半日ほどの余裕が見えたと思ったら車に乗っていたのだ。  小一時間ほどで到着した、いつもの町。  実のところひなびた農村と言った印象なのだが、『村』と言うと住人が怒るので『町』と言うことにしている。  馴染みの家に車を置かせてもらい、挨拶すると「暑いのに良く来たねえ」と冷たい麦茶を呼ばれた。縁もゆかりも無い、ただの顔見知りだが、善意の固まりのような老夫婦に、もう亡い祖父母のような感覚も覚えてしまい、いつも断れない。 「これも食べなさい」  出された生姜の砂糖漬けをひとつまみ。のどかな世間話を聞きながら、バッグからカメラを取り出して、縁側からの景色をひとつ撮る。 「堪え性のないやつめ。もういい、行ってこい」 「気を付けてねえ」  励ますような声に苦笑で腰を上げ、笑みで手を振る二人にこちらも振り返して、農道へ向かい足を進める。  足の向くまま、なにという目的も無く、そぞろ歩いた。  といってもほとんどが畑や田んぼばかりの風景だ。役場や郵便局などがある辺りを外れると人家もまばらになる。  エネルギッシュな光に喜ぶ草花、葉野菜、まだ青い稲……圧倒的なまでの真夏の、むせる熱気。  カメラ片手に気が向けばシャッターを切った。  良いものを撮ろうとか、そんな欲はない。頭を空っぽに、ただ目が心が赴くままにカメラを向ける。また進み、ふと気になればファインダーを通し、心の赴くままにシャッターを切る。  なにに心惹かれるか。どこをどう見たいのか。  思うとしたら、そんなことだけだ。  けれど習性で手は勝手に動く。今日のような強い太陽光を活かすには……切り取る画面のバランスや光の表現を半ば無意識に考え、露出や露光を自動的に調整、ピントをずらしてみたり絞ってみたり、その都度シャッターを切り……うまく行ったように思えばくちもとが緩む。そんな繰り返し。  休日をこんな風に過ごすようになって、ずいぶん経った。時間を見つけると此処にきているのだ。  来ると心穏やかになれる。  が、ある一部はひどく貪欲になる。  こんな心持ちになることなど、長く無かった。気がつけばずいぶん長い間、写真を撮ることは作業になっていた。  クライアントが望む画を、求められる形で納品する。技術を駆使して撮ったものに、必要なら加工を加え、急な注文変更にも臨機応変に対応し……  それはそれでカメラで食っていく上で在るべき姿の一つであり、間違ってはいない。  そこに不満など無かった。  ────はずだった。  初めてここを訪れたのは二年ほど前、紅葉も盛りの時期。  仕事が一本無くなって、ぽっかり3日ほど時間が空いた。  1日目は寝て過ごし、2日目はたまった洗濯を片付け部屋を掃除して、3日目。  家にいても惰眠を貪るだけになりそうだと思い、ふらりと車を走らせた。  あてもなく知らない道を進み、通りがかったのがこの町だった。  前時代的な町並みと鮮やかな彩りを帯びる山野、エネルギッシュに人の営みを呑み込まんとする自然に逆らわず、共存を選んだ人々。  ふっと、そんなイメージが浮かんだ。  しかし車を降りたのは、ただ単にひとやすみのタイミングだっただけ、かも知れない。そのときカメラバッグを肩に掛けたのも、単なる習慣でしかない。  体を伸ばしがてらぶらぶらと歩を進めるうち、道ばたの雑草の合間に見えた花一輪に、なんとなく心惹かれ、シャッターを切った。  そのとき初めて自分がカメラを持って車を降りたことに気づいて苦笑が漏れたほど、無意識の行動だった。  そうと気付いて自嘲が漏れた。  現場で『撮るのは作業。経験と計算だ』などと(うそぶ)いていた自分が、常にカメラを手放せないなど嗤うしかなかった。  そして妙に凪いだ心持ちになっていた自分を不思議に思いつつ、なんとなく町並みや道行く人、畑の佇まいなどそのまま撮り続けた。  沈み行く夕陽を見てシャッターを切る。露出を調整しまたシャターを切った。露光計を……とポケットを探ってフッと我に返った。  ずいぶん時間を浪費していたことに、ようやく気づいたのだ。  妙な爽快感を覚え、くちもとを緩めたまま車に戻り、帰宅してから撮ったデータを落とそうとして、ずいぶんたくさん撮ってしまっていたことに驚いた。  一枚一枚、モニターで改めて見てみると悪くないように思えて、また笑ってしまった。  ────それから、なんとなくここに通っている。  近場と言うには遠く、だが離れ過ぎているわけでもない距離感。それも良かったのかもしれない。何度か通う内、町人(まちびと)から声をかけられるようになり、顔見知りもできた。  お茶をふるまわれたり、軽い食事を呼ばれたりと徐々に居心地が良くなって、ますます足繁く通うようになり、今に至っている。
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