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そうして今日もこの街に来て、そぞろ歩きながら写真を撮っているのだが。
「…………暑い……」
汗が目に入り、カメラを下ろした。
こめかみや首筋にも汗が流れている。腕で拭うと、半袖から露出している部分が若干ヒリヒリしていた。遮るものの無い灼熱の中、暑さも感じないほど夢中になっていたようだ。
見上げると天空の蒼。ギラギラと暴力的な太陽が、薄く光る雲の白に囲まれている。
無意識にカメラを向け、何度かシャッターを押してからフッと息を吐く。我ながら懲りてないと薄く笑って一度車まで戻ることにする。
以前、こんな調子で撮り続け、日射病だか熱中症だか、そんな症状を呈してぶっ倒れたことがある。通りがかった町の住人に拾われて助かったのだが、老人たちに帽子をかぶれだの水分をとれだのとひどく叱られた。それから親しくなれたのは怪我の功名というべきか。
ともかく水分補給はするべきだ。未だに帽子は買っていないけれど、まあそれはいい。
老夫婦に挨拶して車に乗り込み、エンジンを掛けるとエアコンが涼風を吹き出す。ホッと息をつきつつ車を発進させた。町には十九時に閉店するコンビニがひとつあるきりだが、自販機はけっこう点在している。緑茶を買って車に戻り、ゴクゴク飲みながら帰るかな、などと考え────ウィンドウ越しの景色に目を細めた。
車のフレームが額縁のように景色を切り取っている。
暗色を纏ったフレーム、そして輝く蒼天。遠景の緑。
「……いいな」
影と光の対比。今日のような太陽光でこそ撮れるもの。
……そう考えが進み、ウィンドウ越しに陽光で緑を輝かせている里山が目に入った。
樹間から見る景色というのもいいかもしれない。木々を額縁として、明るい場所を撮るのだ。
それに森の中なら直射日光が無い分、いくらか涼しいだろう。日射病の怖れも少ない。暑さはさして和らがないだろうが、あの中を撮ってから帰るか。
そう考え、また車を発進させた。
山裾で車を止めた。
この里山に入るのも珍しいことではない。季節毎に変転する森を何度も撮った。道らしい道は無く、いわゆる獣道のみのある木々の狭間を、ゆっくり進みながらカメラを構えるのだ。
しかし今日は、鬱蒼とした森へ足を踏み入れるとすぐにむせるような緑の香りに包まれた。陽光は遠のいたが風が無く、蒸し暑い。やはり帰ろうかと考える。
踏み出す足が枝を踏む音に小動物が飛び出し、一瞬で通り過ぎる。反射的にカメラを上げたが間に合わなかった。おそらくリスかなにかだと思うが、いつも追い切れない。
一度定点で動物を待ってみるか、などと思うのもいつも通り。
しかし一方で、静かな興奮が身を満たしていくように感じていた。
森が、いつもと違う顔を見せている、……ようだ。
降るような蝉の音に包まれつつ、なにかが違う、いったいなにがと、焦燥にも似た何かを感じつつカメラを構え────息を呑んだ。
突如ファインダーの中に切り取られた画。
蒸れた空中に水蒸気でも上がっているのか。それとも細かい塵や小さな虫の群れだろうか。樹間に漂う薄い靄のようなもの。
そこへ枝葉の狭間から零れ落ちた強烈な太陽が、光の筋となって突き刺さっている。その眩しさに反して、樹幹には闇が落ちていた。
神秘的。そんな言葉が似合う画。
まるで違う世界に飛ばされたかのよう。
気づくとシャッターを切っていた。
汗が襟元や背中を濡らし、シャツが張り付いて動きにくい。そう冷静に考える部分も生きている。それで帰ろうと思っていた、はず。
……なのに
────空気に宿る輝きが、緑の鮮やかさと闇の深さを助長し、ときに違う彩りを添える。
枝が纏う濃緑と反射する光。しっとりと水分を含んだような樹皮を覆うように這う蔓植物。合間に密生する苔。落ちる光が際立たせる濡れた緑、そして闇。
刻々と創出される新たな画を写し撮ろうと、ひたすらシャッターを押す。露出を変えてまた撮る。ちょっとした角度の変化で見えるものが一変する。足を進めれば、また違う世界。
枝を広げる森の主役の力強さ、息づき。いや、主役は葉だろうか。それとも空気、いやこの光か。
この世界を作っているのは光線、いいやこのむせるような気温か、湿度か、……いや違う。そんな限られたものではない。……神、などと呼ばれるなにかが産みだした、これは奇跡だ。
だとしたらそれで良い。今だけ見られるこれを写し撮りきってやる。
夢中になって、シャッターを押し続けながら足を進め──────
「くっ」
いきなり目を焼かれた。
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