思い出

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「おまえの大丈夫なんて信用できるかよ。それに『たぶん』とか言ってたしな」 「……仕事は大丈夫なのか」 「なんとかなるさ」  まったく、お人好しめ。 「俺は知らんぞ」 「そう言うなよ。悪いと思うなら、死ぬほどキャバクラ奢れ」 「……行かないくせに」 「だっておまえ、行きたくないんだろ? 無理矢理連れてってもすぐ帰るし」  キャバクラキャバクラうるさいので一度行ったが、俺は二十分もたなかった。若くて華やかで、煌びやかに着飾った女性に囲まれた瞬間、非常に居心地が悪くなってしまったのだ。  それにこいつは、その頃すでに今の奥さんと付き合っていた。今は小学生の男の子と女の子の父親である。キャバクラ程度、遊びの範疇だというのは分かるが、家庭不和の原因になりたくはない。  眉を寄せて睨むと、ハハッと笑い肩をポンポンと叩いて、「飲みに行こうぜ」と言った。 「この時間から飲めるのか」 「もう十六時だぞ」 「えっ、もうそんな時間か」  ココに入ったのは十時頃だったはず。  しかし確かに空腹は感じていた。 「そうじゃなくてもランチから飲める店なんて山ほどあるっての」  少し低い位置から見上げる友人の顔は、ニヤリと笑っていながら、目には心配そうな色が乗っていた。 「そうか。店はどこだ」 「適当にそこら辺でいいだろ」 「……ああ、そうだな。行くか」  そこから数分歩いたところにあった居酒屋に入り、とりとめない話を垂れ流した。  こいつと飲むときに金を払わせたことは一度も無い。  明日食う金が無くとも、そのとき金を使えば困ると分かっているときでも、手をつけるのを厭うていた遺産に手をつけてでも、俺はこいつに驕り続けている。 「そんで、いい女でもできたか?」  妙に嬉しそうな顔でそう尋ねられ、苦笑を返す。 「そんなんじゃないよ」 「うそつけ。なんか心境の変化があったんだろ」 「まあ、仕事が安定してきたからかな。最近少し落ち着いてきたんじゃないかとは思う」 「そうかあ?」 「そうだよ」 「嘘つくなって、女なんだろ? 言えよ」 「ほんとうに、いないよ」  少しだけ、結婚しようかなと考えた女性がいたことを、こいつは知っている。  穏やかで包容力があるひとだった。彼女の部屋で手料理を何度も食べ、セックスもした。俺も好意を持っていた、はずだった。  付き合い始めてすぐ、あっけらかんと「付き合うなら結婚考えてね」と言った。彼女は三十を過ぎていたし、自分でもそういう時期かと思っていた。こいつ含め周りもそうなるだろうと見ていた。   けれど『結婚』という単語には、不安が湧いた。  一人で暮らすようになって十年以上経ち、いろいろ誤魔化して過ごすことに慣れ、ようやく落ち着いてきたように思っていた時期だった。  だが誰かと共に生活して大丈夫だろうか。いや大丈夫だろう。  彼女がはじめてあの部屋に来たとき、ペアのマグカップを置こうとしたのを見て、発作的に持って帰れと怒鳴りつけてしまった。驚く彼女にハッと気付いて、慌てて言い訳した。 『ここに置くのは無理なんだ、あなたの部屋で使おう』  その場は納得した様に見えたが、彼女はそれからもあの部屋に来たがり、泊まると言って歯ブラシや化粧品など持ち込もうとする。それが嫌で仕方が無かった。  なんとか許容しようとはした。結婚するならそれくらいと自分に言いきかせたけれど、見つけると耐えきれずに捨ててしまい、それが彼女を怒らせた。 『一緒にいても、寂しい』  一人に戻ることに寂しさが無かったわけじゃ無い。けれど去る彼女を追うことはしなかった。いや、正直ホッとしていた。  落ち着いたなど思い込みでしかなかった。やはり、どうしても拭い難い抵抗が消えてない。結婚、家族、そんなのは無理だ。  そう自覚したことで開き直り、女性と付き合うときは慎重に距離を保つようになった。  自分が悪いと分かっていた。  原因は、こうして負い目や喪失感と向き合う時間を持とうとしなかった俺にあった。分かっていて、何度もここに来るべきと考えていたのに、この次は行こう、来月に行こうと、なにかと理由をつけて、ずるずると。本当に情けない、ろくでもない……怖いなど……言い訳でしかない。  そんな悔いを、自分を責める言葉を、酔って吐き出し続け、友人はいつものようにヘラヘラ笑って聞いている。  こいつには感謝しか無い。けれど何度礼をしたいと言っても『キャバクラ奢れ』しか言わず、ただ、こうして居酒屋で奢られてくれるだけ。  こいつの家に行くことも怖かった。穏やかな家庭を築いているに違いないからだ。  こいつだけじゃない、家族持ちの家を訪ねるのは避けていた。町でキャンプなどしている会社の連中がいても、俺は写真を撮りに行くなど単独行動して、目にしないようにしていた。  おそらくそれも怖れから。失ったものを見せつけられるように思っていた。……のだろう。  けれど、もう終わりにしよう。  怖がることを、やめよう。  酔ってぼやけた頭に、それだけがハッキリとあった。
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