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トランクルームの荷物を引き取り、少しずつ処分した。
供養のつもりもあったので、ひとつひとつきちんと、と考えてはいたが、正直どうしたものか分からない物がほとんどで、かといってただ捨てるのもどうかと思ってしまい、困り果てて社長に相談してみた。
すると会社の連中やその家族友人知人などがうちに押しかけてきた。
一人暮らしを始めたばかりの若い奴は、食器や家具など適当に持って行くし、あれこれ好き勝手言いながらモノを物色して、持って帰ったり捨てた方がイイなど言われたりした。
あのマンションに人が集まるのは初めてだったので戸惑いつつも、そういう声を聞くことで、捨てるという選択肢を選ぶことができるようになり、服や小物の多くは捨てた。
教科書や本も多くを処分したが、母のノートや父の手帳は、かつて妹の部屋だったところに置いてある。父の本のいくつか、弟や妹のマンガの一部もそこだ。
スーツは着ることがあるかも知れないので、程度の良いものや礼服だけ残した。母の指輪やアクセサリーいくつか、そして父の時計はなんとなく、あの町の家に持って行った。
◆ ◇ ◆
仕事は、いつからかブツ撮りより風景やポートレイトの比重が多くなっている。
あるとき受けたポートレイトの仕事は、とあるノンフィクション作家のインタビュー記事に使うものだった。
気の向くままさまざまな場所へ行って生活している作家は、行く先々の話を機嫌良く語った。楽しそうな顔をするなあと思いながら、こっちまで愉しい気分になったのだが、そのとき、どういうわけか気に入られたらしい。
ある雑誌でその作家の生活を書き綴ったものを不定期で掲載しようという企画が立ったとき、編集からそこに風景や人々を添えたいという話が出た。イラストを添えるくらいの想定で言ったようなのだが、作家はイラストでは無く、その場の風景や人々の写真を添えたいと言って、俺の名前を出してくれた。
編集は作家の希望を容れ、うちの会社に依頼が来た。
その依頼を受けたと会社で聞いて仰天した。つまり要請が来る度、作家の元へ行って写真を撮るのだ。不定期とはいえ連載、しかもその都度海外へ……そう考えると気後れは強くあったが、条件は社長がキッチリ纏めていて拒否などできるわけが無く、半ば強制的に受けることになってしまった。
作家は世界中さまざまなところへ行くので、必然的に撮影のため海外へ行くことが増えた。
知らなかった風俗や人々の表情、風景。行けば撮りたいものがいくらでもあった。愉しい仕事だが、海外へ行って帰るのがかなり疲れる。
あのマンションに老朽化だか耐震設備がどうとかで補修工事が入り、落ち着いて眠るのも難しいと零したところ、作業部屋の隣に部屋を作って貰えた。
俺専用の作業部屋には充実した機材が揃っているので、仕事はそこに籠もってやるし、隣にベッドもあるとなると、そこで寝てしまうことが増えた。四階には社員用の風呂やジムまであって、例によって食事は外食オンリー、多少の着替えを置けば、会社で生活するのになんの問題も無かったが、仕事と生活が直結しているので息が詰まりそうになることがある。
そんなとき、寝る以外できることの無いマンションより、あの町の家へ行くようになっていた。
行く頻度こそ減ったが、長く滞在するようになった。海外などに行くことが増えたせいか、あの町のひなびた日本の風景はしみじみ心に馴染む。畑の手入れも慣れてきた。
気付くと会社ができて六年経ち、ブツ撮りの依頼は、ほとんど無くなっていた。
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