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個展
ある日突然、社長が言った。
「個展、やりましょう!」
「ええっ? なに言ってんの」
社長がいきなり言い出すのはよくあることで、俺が狼狽するのをよそに、社員が好き勝手にダメ出しするのもいつものことだ。
「個展ですか! かっけーッスね!」
「こないだの北欧とか回ったときのやつですか?」
「それともドイツの方の?」
「イギリスの田舎もよかったスけど」
「ケルト地方ね~。あれも良かったですよね~」
「えーっと……あの……」
「どう? 良いと思わない?」
「良い! 良いです!」
だがそのとき、なぜか誰もダメ出しはしなかった。
「つーかチベット良かったッス。センセの写真って、あの雰囲気バリ出てるんスよ!」
「いや、ありがとう……けどそれとこれとは……」
「ちょっと人生観変わった的な! マジぱねえッス!」
「ああそう……」
「ねえ、せっかくだから作家の先生に一文寄せて貰うとか」
「ああ、いいねえ! それすごくいい!」
「……いや、そうじゃなくてね?」
いつも撮影に同行する若いスタッフなど、土地土地の思い出まで語り始める始末で、他の連中も俺の声などぜんぜん聞いてない。
「そこら辺ぜんぶ取り混ぜて展示?」
「コーナー分けは? ポートレイトのコーナーと、風景と……」
「いや土地土地で分けた方が」
「あの、みんな?」
俺は一応抵抗した。
したが、そもそも社長の勢いに勝てないのに、他の連中まで乗っかってしまっては無理だ。俺の声など誰も聞いてない。
「雑誌には載らなかったけど、センセ現地の人を撮ってるじゃないですかぁ、あれも入れましょうよぉ」
「そうだよね、良い写真いっぱいあったし」
「なら雑誌とかスポンサーの協賛とって、ちゃんとやりましょ」
「了解です、アポとって来ます!」
「あのね……」
「いいじゃん、やってみれば。うまく行ったら俺もやらせてもらえるかも」
同僚のカメラマンまでニヤニヤ言い始め、当事者を置いてきぼりで、なし崩しに話は決まってしまったのだった。
個展は一年後に行われた。閑古鳥が鳴くに違いないと思っていたが、そこそこ盛況となりホッとした。
一般の観客より業界人が多かったのはご愛敬だが、懐かしい顔やお世話になった人も来てくれて旧交を暖められた。それだけでも、やって良かったと思える。
雑誌がスポンサーになってくれて、一応作って置いておいた写真集も完売した。かなりの黒字になったと社長はご満悦だ。
そのとき、ある人物から声を掛けられた。
差し支えなければ毎年行われている年間アワードに出してみないか。受賞したら賞金もある。どうだろうか。
そう言いながら差し出した名刺には、プロの写真家を対象とした賞を主催している団体の名前があった。
俺が答えるより先に社長が「もちろんです!」と答えたのは笑ったが、むろん否は無い。
「ぜひ、お願いします」
そう答えたとき、胸の奥に何かしら熱いものが滲むような感覚があった。
ずっと名前の出ない仕事をしてきた。
しかし徐々に写真に名前が添えられるようになり、自分の名前で個展まで開いた。もちろん写真集も俺の名前のもの。
そして業界では知る人ぞ知るコンテストへ名前を連ねることになる。
かつて若い頃、こうなるのだと夢想していた自分に近い状況が、実現しつつあるのだ。
それは不思議な感覚だった。
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