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町おこし
その写真集のおかげなのか、雑誌の連載が評判良かったからか、俺の名前はけっこう知られるようになった。
あの町の写真集を出してみてはどうかと社長が言い出したのは、単なる悪ノリだと思っていたのだが、いつのまにか町長に掛け合って町おこしとしての予算をゲットしていた。
町を挙げて応援すると言われてしまえば、それなりに気合いが入る。
今まで撮りためた膨大な数の写真もあるが、写真集を念頭に置いて結構な数の写真を新たに撮った。
町役場の皆さん、実行委員会などと、うちの会社のメンツとで使う写真を選ぶ会議がおこなわれることになり、データ化したものも含め、持参したファイルを皆に見せた。
目を細めたり笑い声を上げたりしながら写真を見ていく面々に、ちょっと毛色が違うんだけど、と別のファイルを差し出してみた。
「できればこれも入れたいと思うんですが……どうでしょう」
見せたのは、あの日撮った森の画だ。
今までひとに見せる機会は無かった。もう二度と撮れないかも知れない奇跡の画。今これと同じものが撮れるかと言われてもタイミングに恵まれれば、としか答えられない。
神秘的な空気感と光の強弱が織りなす、幻想的と言いたくなるような一連の写真。
そのファイルを開いて見た面々から、溜息や唸りが漏れた。
我ながら、かなり面白いものが撮れていると思っている自信作だが、町のみんなの判断は分からない。イメージは穏やかな農村とは明らかに違うのだ。
「うちの町じゃ無いだろう、こんなのは」
まあ、そうなるよなと思っていると、里山のじいさんが、唸るような低い声を出す。
「こりゃあ、うちの山か」
「はい。夏の暑い日で……たまたまこんな感じになってて……」
「ええ? 見たことないよ」
「いえ間違いなく、あの里山で撮ったものです」
「おう、間違いないぞ。この木立、倒木も下生えも、……間違いない、うちの山だ」
じいさんが唸るような声で頷いた。
「この感じは……だいぶ前だな」
「七~八年前だったかなと……」
じいさんの声を聞き、みんな改めて写真を手にとって眺め始めた。不思議そうな、期待するような、そんな表情で一枚一枚手に取って見ている。
「すごいね、こんな景色があるなんて」
「うん、知らなかった」
結果、何枚かが写真集に加えられることが決まって嬉しくなった。これを人の目にさらすことができるのだ。
採用が決まったものはデザイン会社へ送るファイルに収められ、俺は残りの写真をボックスに片付ける。その中には、誰にも見せていないファイルもあった。同じ所にしまってあったので間違って持って来てしまったのだ。
事務的な話し合いに入り、手持ちぶさたになった俺は、それを取り出してパラパラめくった。
このファイルには、彼を写した写真だけを入れてある。これは、誰にも見せられない。
約束したから、だけではない。あくまで被写体が良かったから撮れたもので、俺の力量では無いからだ。
今や彼は人気俳優として確固としたものを築いている。あのときはともかく、今となっては確実に肖像権を主張されるだろうし、さすがに勝手に使えない。
だからといって、今さら彼の事務所に使用許可を求めるのもどうかと思ってしまう。おそらくあの頃の事務所とは所属が違うだろうし、面倒なことになるとしか思えない。
どの彼もいい顔をしているし、奇跡的な光線でいい絵になっている。確かに良い写真だが、これを褒められでもしたら面映ゆくて死にたくなりそうなので人には見せられない。そう思い、大切に大切に保管していた。たまにひとりで眺めてにやけてしまうのだが。
やはり俺だけが見るものとするしかないよなと改めて思いながら、ひとつひとつめくっていき、ふと、一枚の写真に手が止まった。
あの朝、密かにフィルムで撮った寝顔だ。
タオルケットにくるまって眠る彼。
警戒心の見えない、あどけないほどの表情で、半ばくちが開いている。
鋭い視線もなければ、鍛え上げた体躯も見えず、彼の持ち味のひとつであるシャープな身のこなしも、むろん分からない。
整った寝顔ではあるが、誰もこれがあの人気俳優だなどと思わないだろう。
ふっと口元がほころんだ。
あのとき、連絡先すら聞いていないと気付いて臍を噛みながら、暗室代わりの浴室で現像したもの。
これを撮ったことは、彼も知らない。
──────そう考えて、ちょっとした悪戯心が湧いた。
彼も知らない、彼の写真。
誰も彼と分からないだろう一枚。それなら。
これも加えてもらえないかな……と、思ってしまったのだ。
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