鴇色

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鴇色

 町の写真集を出して二年。  スタジオ兼宿泊施設が町にでき、俺の名前が冠された展示が常設されるようになってからしばらくして、俺はとうとう生活の拠点を町へ移した。  町人(まちびと)が勝手に作った畑の手入れも、慣れてくればけっこう楽しくなっている。  庭の樹木は季節折々花や緑をくれる。夏は暑く冬は寒いけれど、足をタライに突っ込んで涼を得るのも、コタツに潜り込んでテレビを見るなんてことも、この家ならできる。テレビも洗濯機もあるし、マンションとは大違いの生活感溢れる家になっているのだ。  まあ料理はしないが、町にもコンビニはひとつあるし、しょっちゅう町人が来てお裾分けをくれるので空腹で困ることも無い。  誰も来なければ一人になれる。風や鳥や虫、自然な音だけに囲まれてボーッとするのもいい。  たまに町人や社員、友人なんかとテレビを見ながら飲み明かすこともある。  そんなことは二十年以上無かったのに、この家なら、そんなこともできる。  ここ何年も会社か町の家での寝起きがほとんどになっていた。  たまにマンションへ行っても寒々しさしか感じず、足が向くことすら無くなっているけれど、手放そうとは思わなかった。  古いマンションだし、置いてあるのは三十年近く前に買った巨大なベッドのみ。住まないなら売った方が手間暇は減ると分かっているのだが、安く買いたたかれるのは面白くないし、どうにも気が向かない。……いや。  モノを処分してしまった分、家族と繋がるのはあの部屋のみ、のように感じているのかもしれない。いうなれば『実家はあるが、あまり寄りつかない』といった感覚だろうか。  会社で仕事、生活はこの町で、という日々を送るようになって一年ほど経過し、俺は四十八歳になった。  ここのところ、プライベートの時間が増えている。  仕事を詰め込まれることが少なくなったのだ。  社長に言わせると 『こういう時は逆にレア感出した方が良いんですよ』  なんだそうだ。  俺の仕事の単価が上がってるってことらしい。  奇跡の森、そしてあの蒼天のもとの出会いから十年。  俺の生活も仕事も、あの頃とはえらく変わった。  その前の十年がたいして代わり映えの無いものだったことを考えると、この急激な変わりようには笑うしか無い。  社長と出会い、スタッフに恵まれ、仕事相手にも恵まれた。  たまたま巡り合わせが良かったとしか思えないチャンスがあり、それが次のチャンスを呼びこむ連鎖があった。今現在の俺はベスト以上、能力以上の結果を貰ってしまっている。  積み重ねたものも確かにあった。けれど、それ以前とは俺の心構えが違った。それが巡り合わせを呼び、ひとつひとつ積み重ねたがゆえに、次のチャンスを貰えた。会社のみんな、町のみんな、友人、知人、仕事仲間……本当に恵まれた、それゆえの今。  けれど────  彼と会う前の俺なら、おそらく社長の誘いに乗ることは無かった。その後も貰ったチャンスや出会いを活かすことができたかどうか。仕事の仕方や生活を変えることもできなかっただろう。 『俺はもう、諦めない』  そう思ったからこその今だ。  だからこれは全て、彼とあのとき出会えたからだ。  この頃しみじみ考えることがある。  四十近くなってたくせに、中身は青いまま腐っていたよな、とか。  いい年をして怯えて気後れして……いつもそればかりだったよな、とか。  それがあのとき、諦めないと考えたあのときに、ようやく少し変われた。  あれから少しずつ、まともに年齢を重ねられるようになったのではないか。  こんな風に考えるのも、やはり年を取ったからだろうか、と笑ってしまうのだが。  紅葉の盛りのような、雪に埋もれても暖かみを感じさせるような、そんな円熟にはまだ届かないという自覚もある。  けれど少しはマシになってるんじゃないか。いうなれば、ほんのりと鴇色(ときいろ)に染まる程度には熟してきているのではないか、などと考えが進み、梅雨前の縁側で日の落ちてきた空を見上げながら、やはり苦笑してしまう。  さて、そろそろ次の仕事だ。  また海外か、と考えつつ、俺は縁側から腰を上げたのだった。   ◆ ◇ ◆  暑さがようやく引いてきて、過ごしやすくなった頃、俺はまたこの町へ来ていた。  それまで三ヶ月以上、海外を回って疲れが溜まっていた。秋の紅葉が盛りを迎えるくらいまでは休んでて良いよ、と社長から言われている。 「先生、こんどはどれくらいいるんかね」 「二~三ヶ月ですかねえ」 「おお、じゃあちっとはゆっくりできるな」 「兄ちゃん、また来たのか。いつまでいるんだ」 「今さっき答えたんですけど。ていうか、もう兄ちゃんて年じゃ……」 「けっ、俺から見りゃ若造だ。兄ちゃんでじゅうぶん」 「はは……そうですね、はい」  縁側で次々やってくる町人の相手をしながら、ゆったりと日々を過ごす。  あちこちへ行って土地土地の風景や人々を撮るのは楽しいが、やはり気の置けない人たちに囲まれているのが気楽だし、畑の世話でもしながら鋭気のようなものを充填してる感じだ。  この町にはなにも無いが、少し足を伸ばせば温泉のある地域にも行けるので、たまにそこの旅館に泊まったり、適当に車を走らせて気が向けば写真を撮ったり。  ここで過ごすだらしないおっさんは、仕事でファインダーをのぞいてる俺とまったく違うんだそうだ。いつも助手してくれるスタッフに言われ、そんなものかと思ったが、自分では良く分からない。
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