若さ

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 俺はやさぐれて家族にあたって過ごした。  そんな中、家族旅行に行くことになったが、俺は行かないと撥ねつけ、俺を除く皆で出かけて―――旅行先で事故に遭った。  家族全員が、その事故で死んだ。  学生には過ぎた保険金。父と母と弟と妹の命の値段を手にして、俺は声を上げて笑っていた。金にあかせて飲み歩き、それまで足を踏み入れたことの無かった風俗に通い、形にならないものに金を投げて過ごした。  なんで家族にあたった? 思いあがっていた自分こそが悪かったのに、なんで? ああそうだ、俺はその程度の人間なのだ。そうだ、そもそも俺にたいしたことなどできるわけがない。  そんな気分に浸ることは、むしろ救いだったけれど、カメラを手放すことはできなかった。  気づくとカメラを持って風俗店の女を撮り、酔いに濁った目で白々と明けた繁華街の汚れた風景を撮っていた。  そんな俺にも友人がいた。高校時代、俺の写真を絶賛してくれたやつだ。  大学生だったそいつは、飲みに行くといえば朝まで付き合ってくれた。風俗にも一緒に行った。そいつの部屋に何日も泊まらせてもらった。家族と共にいたマンションに帰りたくなかったのだ。  しかし人間は絶望し続けることもできないらしい。  飲み歩くことに疲れた頃、学校のを卒業を迎えた。  特に就職活動も何もしていなかったのだが、声をかけてくれたひとがいた。コンペで期待賞に押してくれた写真家だった。 「うちに来ないか」  磨いた技術を認めてくれたのだと知り、皮肉に嗤うしかなかった。才能が無いことに気づかず足掻き、ひたすら磨いた技術。それがプロの目に止まった。  頼れる身内もいない。他にやりたいことも、できることも無い。  写真家の元で助手を務めることにした。  使い走りの助手を務めながら二年近く経つと、ちょこちょことおこぼれのように仕事を貰うようになった。  たいていはチラシやパンフレットに使うブツ撮りだったが、どんな小さな仕事でも嬉しかった。その頃は下働きだけで手一杯で時間が取れず、自分でシャッターを押すことがほとんど無かったのだ。ライティングのあるスタジオでセッティングされたものを撮る行為自体が嬉しい。  シャッターを切るごとに、今までの自分を見放し気味だった気分が少しずつ浮上していく。磨いた技術は無駄ではなかった。現場で覚えたノウハウも使える。  食い物は旨そうに、用途のあるものはそれを使うひとが好むように。つまりクライアントの欲しがる画、カネを出す人が満足する画を。気負いもなにも産まれようがない中、ただ培った技術を駆使して撮ることに専心する。  ファインダーを通すことで、今まで自分がセッティングしていたことで足りなかった部分に気付きもした。それからは下働きの仕事をしていても、こうすればどうかと発言するようになった。  やがて、名指しで小さな仕事が回ってくるようになった。おそらく安いからだったのだろうが、こういう仕事ならやっていけると思えた。ブツ撮りでいこうと開き直り、その意志を伝えることでコンスタントに仕事が来るようになった。声を掛けてくれる堅い仕事先もできた。 「ひとりでやってみようと思います」  そう告げたとき、師匠は曖昧に笑んで送りだしてくれた。  使い勝手の良い助手でしかなかった男が一人、いなくなったところで困りもしないのだろうと思いつつ礼を尽くして、穏便に独立を果たせた。  名前の出る仕事ではない。自分を主張する仕事でもない。この程度のものなら自分でも人並み以上に撮れるだろう。──そう考え、自ら選んだ道。  だが、カメラで食っていけているのだ。それで十分ではないか。俺程度はこれが似合いの道だ。  最初の頃は師匠も仕事を回してくれたし、そこから増えた仕事先もあり、一年も経たないうちに収入は安定した。師匠の下で働いていたころよりは多いが、普通の会社員と考えれば少ない、そんな程度だったけれど、自分ひとりならなんとか食っていける。  それに住むところはあった。家族と共に暮らしていたマンション。今は一人で暮らしている3LDK。  その頃、ふと思った。  もしかして誤りだったのでは無いかと。  あの時、なぜ諦めたのだろう。  なぜもう一度頑張ろうと思わなかったのか。  結論を急ぎ過ぎたのでは? まだチャンスがあったのでは?  伸びきった鼻を叩き織られ、ほぼ同時に家族を一度に失って、自暴自棄になっていたのでは?  一度浮かんだその意識が時を選ばず浮かぶ。  糧を得るためファインダーをのぞきシャッターを切る度に、感性が磨り減っていくような怖れが目を曇らせるような気もして、それも精神を削る。  『なんでコンナコトをしている?』  そんな警鐘じみた声が響く。  『本当にこれで良いのか?』  ────いいのだ。  カメラを捨てたわけではない。それどころか『ブツ撮りなら間違いない』などと言われることもあるのだ。なんの不満があるというのだ。  自分に言い聞かせながら、日々の仕事をこなしていく。  そうして十年ほど経った。  新たな仕事先を紹介されたりすることが増えるにつれ、初めての現場へ呼ばれることも多くなってきた。  申し訳ないが、仕事は選ばせて貰っている。ブツ撮りは単価が低いから数をこなす必要はあるが、ぜんぶ受けていたら身が持たない。  独立した翌々年からはマネージャーと契約し、自分は撮ることに集中しやすい環境を作った。自宅にはたいていの処理ができる設備が整っている。  求められ、評価されることは単純に嬉しいことだ。  日々の仕事に疑問は感じていない。ひたすらクライアントの意図を最も表現できる画を切り取ることに専心している。  下手に芸術作品で名を売るより、よっぽど収入は安定しているし、食いはぐれる事も無いだろう。フリーランスのカメラマンとして、望みうる最上のところで仕事をしている。周囲はそう見ていると分かっている。  ────だから、これでいいのだ。  そう自分に言い聞かせても、ヘドロのようなドロドロしたものが胸の内に溜まっていくような、おぞましい感覚に襲われることが、度々あった。  ────諦めたのは間違いではない。  その間、自覚無いまま必死にそう言いきかせていたようにも思う。
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