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それからのできごと
「ここがお前の家?」
ある夜、しゃべる猫を拾った。拾ったというより勝手についてきたのだ。夜道を歩いていて、背後に気配を感じるなと思ったら猫だった。
てっきり人だと思っていたものだから、気がついたときには家の前である。われながらうかつであった。人かどうかの確認くらいしておくべきだった。
「お前ひとり暮らしか。なら都合がいい。家族に許可を得る必要もないわけだ。堂々とおれを飼える」
玄関の前で猫がしゃべる。気味が悪い。しかも二本足で立っている。余計に気味が悪い。
「お前は飼えないんだ。ここはペット禁止なんだよ」
「そんなことはない。ここは大丈夫だ。おれが保証する」
猫が前足で胸をたたく。猫のお墨付きがなんになるというのだ。
「ぼくは、はやく寝たいんだ。お前はどっかよそのうちに行きな」
「なんで」
「なんでって。よそのうちのほうが優しくしてくれるさ」
ぼくはペットを飼ったことがない。どちらかというと動物嫌いだ。それなら家族のようにペットを愛してくれる人のところへ行ったほうがいいだろう。
「さてはおれの心配をしているな。安心しろ。おれはそこそこひどい環境でも生きていける。こう見えて体は丈夫なのだ」
「そんな心配はしていない」
ぼくは猫のことなど放っておいて、家に入ることにした。玄関をすこしだけ開き、すばやく体を滑り込ませる。仕上げにぴしゃりとドアを閉じた。
「いた、痛い。これは痛い」
猫がドアに挟まれていた。猫史上まれに見るどんくささだ。二本足で立つ猫が、これといった抵抗をすることもなくドアに押し潰されている。なんとかして抜け出そうという気力が微塵も感じられない。
「お前、なんというひどい仕打ち」
「お前が勝手に挟まれただけだ。ぼくに責任はない」
「そうだろうな。わかっている。しかし、痛いのだ」
猫が涙目で訴える。さすがにかわいそうなので、ドアを閉める力をすこしゆるめてやった。すると、猫はイモムシのようにのそのそともがく。家のなかへなかへと体を動かしていた。意地でもなかに入るつもりらしい。
「おい、ふざけるな。出るんなら外へ行け、外へ」
「お前なにを言っている。外へ行く意味がない。おれはこの家の飼い猫なのだ」
「こんどは力いっぱい閉めるぞ」
ぼくがこう脅すと、猫はあきらめたように脱力した。猫の手がぶらんと下がる。なかに入ろうとする執念の割には、挟まれることに対するあきらめがよい。
「もはやこれまで。おれの人生楽しかった」
「だから外に行けって」
「おれが死んだらとっておきのお寿司を供えてくれ。あ、できれば大トロよりも中トロがよい」
つらつらと遺言を述べはじめた。うっとうしい。しかし、さすがに目の前で死なれるのは困る。気分が悪い。そこでぼくは猫に言った。
「よし、猫。最後のチャンスをやる」
「なんだ」
「いまから一瞬だけドアを開ける。そのすきに出ていけ。いいか、外に出ていくんだぞ、外に」
猫がぼくを見上げる。無言で見つめている。これは了解したということなのだろうか。判断に困ったが、ここで粘ってなんの意味があるというのだ。めんどうなことはさっさとすませるに限る。
ぼくはドアを開くことにした。
「そら、出ていけ」
「よし、来た」
そう勢いこんだ猫は明らかに家のなかへ侵入しようとしていた。すかさずぼくがドアを閉める。
「いた、痛い。これはさっきのと比べものにならないほど痛い」
ふたたび猫が挟まる。どんくさいことこの上ない。
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