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飼い主は床に鞄を投げ出していた。
グーにした片手で、学習机を叩きながら、唇を尖らせている。
ジュースの缶は、反対の手で握り潰してから、円筒形のゴミ箱に放り投げていた。
カラーンと、中身が空っぽな缶特有の音色がする。俺は、がっかりして、うなだれてしまった。
おなかがすくので、俺は、晩のエサを求めて、娘の足元で礼儀正しく座って待つ。
「うっとうしいな、もう!」
荒々しく両手で俺の胴体を押さえるように抱えた飼い主は、左右に揺さぶらせている。
飼い主の目じりが吊り上がっているので、俺は恐怖で心臓が高鳴ってしまう。
目が回り、気分が悪くなってきた。頭痛がする俺に飼い主の言葉が追い討ちをかけた。
「はぁ? エサ欲しいの? わたし疲れてるんだけどぉ~、どうしようかなー、あげようかな? あげないどこうかな?」
俺と視線が合うが、口元が不敵な笑みを作って、頬に人差し指を沿えている。
数年来の付き合いなので、根は優しい人とわかっていても、気分は沈みこんでしまった。
「面倒だけど、エサあげるよ」
「ニャーゴ?」
当たり前です。飼い主の義務ですよ? 人間語が話せないのがまどろっこしい。
彼女の胸の位置で、抱っこしていた両手が不意に体から離される。咄嗟に床の上で、受身を取っていた。
俺専用皿を口に加えて床に置いた。彼女は、うっとうしそうに猫缶を、引き出しから取り出す。
缶を指に、力をこめて空けているが、爪が痛くないのか心配になってくる。
しゃがみ込んで、ひっくり返した猫缶に、スプーンを突っ込み、俺専用皿にどさどさ、小さく刻まれた肉が落ちて行く。栄養満点で、猫には、おいしいとか、テレビCMで言っていた。
猫で人間語が話せるのが、人間に伝えたのだろうか。少なくとも、俺の知り合いで、人間語が話せる猫はいないし、うわさで聞いたこともない。
猫缶の香りに包まれて、幸せだ。
俺専用皿の横で飼い主を見上げた。
頬はかすかにほころばせているが、目が笑っていない。威圧感に怯えて、こっちの視線が泳いでしまった。
何度か飼い主をチラ見してから、エサを食べだすが、食べている最中も、何度も彼女の表情をうかがってしまった。
食べ終えて満腹になったが、おいしいと、思えなかった。
「あなた、八つ当たりはやめてよ」
「はぁ? してないだろう」
ドア越しにくぐもった声で、夫婦の言い合いが始まっていた。
この部屋で待機するのが賢明だろう。飼い主は学習机に向い、勉強を先に済ませている。両親が寝るのを待っているようだ。
暇なので、俺は、目一杯、両の前脚を伸ばしながら、後ろ脚を片方ずつ上げる。
全身のこりがほぐれ、気持ち良さで体がびくびく震えていた。
「ニャオ~ン」
「勉強してるの。気が散るでしょう、静かにして」
ノートの上で滑るような動きをしていたペンが止まり、こっちを見ることもなく、口がへの字になっていた。ストレッチを、もう少し続けたかったが、遠慮して腹ばいになり、床にあごをつけ、横たわる。
両親の会話が聞こえなくなってから、飼い主が部屋からいなくなった。夕食を済ませて、シャワーを浴びているようだ。
ストレッチを今のうちに済ませておいた。
いきなりドアが開く。首を巡らす、俺にあいさつもなく、飼い主は自分のベッドに、もぐりこんでいる。
俺の手近には、壁に立てかけたクッションがあった。前脚で引っかけて倒す。クッションの上で全身を丸めながら、眠りに落ちた。
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