孤狼 第一章

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十、八丁山滂沱(ぼうだ) 「源吾、今宵もお手柄じゃ」  盗人三人をしょっ引いて東町奉行所に返って来るなり、坂田大膳に褒められていた。 「東洞院通りの四条を下った小間物屋に押し入った三人の盗人を、東山の山中まで追い込んでひっ捕らえるとは源吾にしか出来んことじゃ。正に神沼様がゆわれる孤狼の如き有様よ。このところの働きは目覚ましい限りで、東町奉行所の格も上がっとるわい」   京都の町奉行所は東町と西町があり、それぞれに与力二十騎と同心五十人がおり、月毎に当番が入れ替わっていた。職務は、訴訟・警備・証文発給・河川管理・建築確認等々、様々な業務に携わっていた。因みに御番方は、町中警備と訴訟の受付に当たっていた。  源吾は、あの祝いの席以来、東町奉行所の御番方同心見習いとして勤めている。当初は、幕府の定めた法度に所司代や奉行所の定め、触書などの訓育を授けられたが、父親譲りの素養が直ぐに役立っていた。町中の警備には他の同心が大刀の差料を腰にするのに、小刀では些(いささ)か見劣りしたが、見習いの身として温かく見守られていた。しかし、武術の稽古では抜き技に抜群の冴えを見せ、これぞ居合の極めと誰もが認めていた。 「あれが神沼様の推挙された者か。恐らく東西の奉行所の中では、敵う者が居るまい」  こんな話が平然と囁かれていたのである。  秋になり、源吾は神沼貞太郎に休暇願を申し出た。 「何、八丁山を訪れたいじゃと。それで、姉上とは一緒か」 「はい、姉は父親が身罷(みまか)る前に、京へ出ましたもので、一度墓参りをしたいと申しております」 「あい分かった。今月は西町奉行所の当番月でもあり、行ってまいれ」  それから三日目の日暮れ時、予め伝えて置いた笠松屋の店先に着いた。店内は既に商いを終え、嘉兵衛と絹江が夕餉の支度を整え待っていてくれた。 「ようお越しやした。さっきからお待ち申しておりました。それに、日頃のお勤めご苦労にございます。町中の皆さん方からは、豪い評判を聞いておるんどす」  嘉兵衛にとっては、義弟になるが奉行所同心の立場を重んじた言葉遣いをしている。 「源吾、ここにお座りやすとくりゃす」  絹江から上座を勧められた。 「義兄さんに姉上、なんぼ私が奉行所に上がったからとゆうても、まだ見習いの身です。こんな席では居心地が悪くなります」 「源吾、何をゆうとるんどす。ここはうちの旦那はんと決めたことなんどす。お前は、今大事な田城家の跡取りどすさかい」  絹江に睨みつけられて、源吾は渋々上座に座った。 「幾つになっても、姉上には頭が上がりません」  嘉兵衛が笑っている。 「それで夕餉を頂く前にお渡ししておくものがあります」  源吾は、懐より懐紙に包んだ金子を取り出した。 「これは姉上が京に立たれる時に頂いたものです。奉行所から給金を頂けるようになり、何時かお返ししようと思っておりました」 「お前は」  絹江はこの後、「立派に成長した弟」と言ってやりたかった。それをぐっと飲み込んでいた。 「それはもともと、この笠松屋から出た金子どす。お前さん、申訳ございまへんが、まだ源吾は修行の身でおますさかい、勉学の足しに使わさしてもらいまへんか」 「はい、分かりました。どうぞご随意にお使いやすとくりゃす」 「うちの旦那はんもこうゆうとります。そやさかい、お前の好きなように使いなはれ。ただ遊びにだけは使こうたらあきまへんえ」 「これでは姉上に、足を向けては寝られませんな」  三人が声を上げて笑っている。そんな中に、丹波屋から笠松屋へ移っていたお松が、燗をした酒を運んで来た。そこで源吾に酒を注ごうとしている。 「わてのようなもんで悪おますけど、お一つどうぞ」 お松に注がれて、三人が杯を干した。 そのお松が、繁々と源吾の顔を見ながら言った。 「女主はん、わてがゆうのも何どすけど、このお方は綺麗なお顔をしたはりますな。さすが吉野大夫と噂された女主はんの弟はんどすわ」 「まあ、お松はんまで何をゆわはりますねん。うちは小さい頃から顔を見取るもんやさかい、何とも思いまへん」 「何をおっしゃいます。このお店に顔を出さはるようにならはってから、錦小路の娘はんには豪い評判になっとりますえ」  小皿の魚を箸で解していた源吾は、ぎょっとして箸を落とした。 「これ源吾、そんなことで狼狽(うろた)えて如何しますのや。二十歳を過ぎたばかりで女子はんは、まだ早おす。しっかりお勤めに励みなはれ」 「絹江、源吾はんは、女子はんのことを何もゆうてはおまへんがな」  嘉兵衛が姉弟の諍いに口を挟んだ。 「はあ、そうどしたな」 「姉上には、敵いません」  またまた、笑い声が上がっていた。 賑やかな夕餉が大分進んだ頃、丹波屋の話を源吾が持ち出した。 「私が京に来た時、神沼様に姉上の身請書を見て頂き、丹波屋と姉上の消息を探し出すとのお言葉がございました。姉上は奉公先を西陣の織元とゆわれておりましたが、坂田様や同輩の同心方は身売奉公と見て、その筋を当たられたようでした」  ここで嘉兵衛が、かたんと音を立てて杯を置き、座布団を外して頭を下げた。 「源吾はん、うちの親父が手を回したこととはゆえ、絹江には大層悲しい思いをさせて申訳おまへん」 「いや、お手を上げて下され。そのことは丹波屋に聞いておりますれば。ただ、丹波屋が五番町から出て、高瀬川筋に店を開いていたことが、なかなか掴めなかったようでございます」 「そうどしたか。奉行所にも色々とお世話をお掛けしたようで、豪いすまんことどす」 「然りながら京から土佐まで行かれ、また土佐藩のお目に適うとは、流石に笠松屋と思います」 「何を申されます。あれもこれも全部のことが絹江のお蔭で、親父が見込んだ通りの女子はんやとゆうことどす。今や、笠松屋の恵比寿様どすがな」 「お前さんまで、何をゆわはりますのや」 絹江は、嘉兵衛を睨み付けている。 「それに、ついでで悪おますけど、もう一つゆわしてもらいます。土佐藩京藩邸の留守居役にならはりました大滝様の奥方が、絹江のことを藩祖一豊公の正室見性院の如しとおっしゃられたんどす」 「ほう、あの戦国乱世の世で賢妻と誉が高い山内千代様ですか。いやいや、それは姉上見上げたものですぞ」 「源吾にお前さん、もうええ加減にしとくりゃす。穴があったら入りとうおすえ」 「これらはすべて父上のご訓育のことと、今更ながら頭が下がる思いです」  源吾が遠くを見るように、話していた。 「そうそう明日から父上の元に行かなあきまへん。朝は早おすさかい、そろそろお開きにしますえ」   翌日の早朝、番頭の佐平に見送られ、三人は雇人二人を連れて店を出た。山人への手土産に酒樽と土佐の海産物を担がせている。道筋は、京の西北となる高雄より周山街道を一路周山へ、そこから地井を経て八丁山に分け入ることになる。 「お前さん、よう店をあけられましたな」 「へー、一昨日の土佐からの荷を昨日の間に上手く捌けましたんどす。それに番頭はんも慣れてきやはりまして」 「そうどすな、佐平はんもようお気張りやして、気の毒なほどどすな」 「まあ、罪滅ぼしやとゆわはって、気張ってもろおてます。そうゆえば、わても今度の八丁山行きは罪滅ぼしどすわ」 「そない思わんと気楽にしとくりゃす」  高雄の紅葉が一行を温かく見守っている。  そして、夕方に周山に着き、宿を取った。夕餉の前に、宿の亭主が廊下から部屋内に声を掛けて来た。 「お客はん、ちょっと宜しおますか」 「なんぞご用どすか」  絹江は障子戸を開けるように雇人に顔を向けた。廊下に座っていた宿の亭主が、申し訳なさそうに話し出した。 「あの、お客はんが京都の東町奉行所同心とゆわはるもんで、一応代官所にお届しましたんや」 「それで如何なりましたか」  源吾が聞いた。 「田城はんのお名をお聞きになって、上役に相談するゆうて長いこと待たされましたんどすが、何もお指図はございまへんどした」 「分かりましたえ」  絹江は、そっけなく答えていた。亭主が戻って行った後、源吾に向かっている。 「うちらのことは、代官所でもご存じのはず。やはり篠山藩を致仕した者を、そこまでお構いなされなんだとゆうことどす。源吾、世の中にはよくあることどす。こんなことで気を悪くしておれば、生きてはゆけまへん」  やはり、姉は何時も前を向いて生きている人だと、源吾は改めて思い知らされた。  二日目の朝、山間の村にも遅い日刺しが射し込んで来た。 「さあ、今日はいよいよ八丁山に入ります。ただその前に、了安殿にお会いしておかなければなりまへん」  絹江は意気込んでいた。  ところが地井の里に着き、了安の陋屋を訪うと、年の初めに身罷ったと老婆が話した。 「知らぬこととはゆえ、申訳ありませなんだ。うちらの父上とは懇意にして頂き、病に倒れた時にも大変お世話になりました。線香の一本なりとも仏前に供えさしとくりゃす」  絹江は丁重に老婆に声を掛け、源吾と共に仏前に座った。 「了安殿、お蔭を持ちまして姉弟共々、何とか苦難を乗り切りましたんどす。これからも父と共にうちらを見守っておくれやす」  絹江は、心内でこのように囁いていた。源吾が観音巡礼の白衣を供えている。この弟も何かと面倒を見てもらったと、深く頭を下げていた。  老婆に礼を述べ、八丁山の峠道へ向かっている。思い起こせば、あの時は飢饉に見舞われ田圃にはほとんど実りが無かった。身売りさせられた他の娘達は、今頃どんな暮らしをしているのか。思い出すだけで涙がこみ上げて来る。今日もあの時と同じに曼珠沙華の赤い花が、何かを言いたげに咲いていた。  峠を越えて谷間へと下った。そこには山人の小屋が並んでいるが、人の気配は無かった。「恐らく、山に入って木でも刈っておるんでしょう」  源吾が残念そうに言った。 「そうどっしゃろ。何時でもよう働くお人達どす。お前さん、申訳おまへんが、ここで待っといとくりゃす。うちらの小屋は、この小川を遡った先どすさかい」 「そんならわても一緒に行きますえ」 「うちらの小屋は、お前さんに見せとうおまへんのや。こんなとこで暮らしておったと、驚かはるだけどすさかい。それに、この先には狼が出るかもしれまへんえ」 「へえ、狼どすか。それで大丈夫なんどすか」 「うちらには慣れておますけど、他所のもんには如何するか分からしまへん」 「そうどすか。ほんならここで手を合わせて待っとります」  絹江は干魚を数枚、荷の中から取り出した。 「それを如何しますのや」 嘉兵衛が不審そうな顔をしている。 「さっきもゆうたように、狼にやるんどす」 「えー、ほんまに狼が出るんどすか」 「恐らく私どもの様子を窺っておると思います」  源吾が言うと、驚いた嘉兵衛が辺りを見回している。 「何なら焚火でも炊いて、待っといておくれやす。もし狼が出ましたら、そこらの小屋に隠れやしたら宜しおます」 絹江の言葉に嘉兵衛が、渋々頷いていた。 「源吾、行きまひょか」  二人は小川に沿った道を登って行く。その道のあちこちに、苦しかった暮らしの名残を留めている。この岩も、木も、岩陰に蠢く蛭にさえも、懐かしさがこみ上げて来る。それに、道の向こうからは、今にも父親が姿を現すのではないかと目を凝らしながら歩いていた。 「源吾、ここどしたな」 「はい、私が昨秋に出た時より少々痛んでおりますが、小屋も残っております。父上は下の者に手伝いを頂き、この空き地で荼毘に付しました」 「そうどしたか。下の皆さん方にも、お世話をお掛けしたんどすな」 「それで姉上に申し上げることがございます」  振り返った絹江は、源吾の深刻な様相を見た。 「なんどす。申すこととは」 「はい、丹波屋での宴席で神沼様は詳しいお話をされませんでしたが、山脇久二郎のことです」 「あのお人どすか」  絹江は、はっとして源吾の顔を見つめた。 「神沼様が、お調べ頂いたところでは、篠山藩京藩邸に仕えておったようですが、致仕して京に住まわっていたようです。それは私が父の遺骨の一片を篠山の母上の元に持ち行った時に、山脇の父親が公金流用で取り潰しになったことを聞いており、それで久二郎も致仕したと思います。後になって分かったことですが、暮らしに困った上と思われますが、町人にまで身を落とし、賭場で人を殺めて入牢させられておりました。実は、その久二郎が先の牢から抜け出した者の中に居りました」 「それで、どうなりました」 「鷹峯の山中に追い詰めた者の一人が久二郎で、私が打ち取りました。巷では行方知れずになっておりますが、それは遺体を狼が食い荒らしたからで、奉行所では世間体を勘考されて、そのようにされました」 「黒どすか」 「そうです。黒も私がここを出た時から、後を追って来ていたようです。それに、このことは篠山藩に問い合わせても知らぬ者として、相手にもされなかったようです」 「篠山藩にとっては、山脇もうちらのことも、過去の者として度外視されておるんどすな」 「父上がお亡くなりになる前、この小刀を私にお授けになりました。それは、山脇を打てとお指図されたものと思いました故にございます」 「よう分かりましたえ。さぞかし父上はでかしたとお思いになっておられるはずどす。そうや、持って来た干物を小屋の脇にでも置いとけば、黒が食べに来ますやろ。黒のやったことも幸いしたんどすな」 絹江は、小屋の傍に行き持ち運んで来た魚の干物を置いた。まだ姿を見せない黒が来そうな斜に向かって呼び掛けた。 「黒、これは土佐の干物どす。後でゆっくりお食べやす」 「姉上、父上のお墓はこちらになります」  干物を置いた斜と小屋を挟んで向こうの斜の際に、小川より運んだ石を墓標とした墓に源吾が手を差し伸べている。  絹江は、火打石で懐紙に火を灯し、その火を線香に移して土に射し込んだ。ゆらゆらと煙が立ち上がり、芳ばしい香が辺りに漂い始めている。墓前に端座した絹江は手を合わし、直ぐに目元に涙が滲んで来るのを感じながら父親の冥福を祈っていた。  その絹江の肩越しに源吾は話し掛けた。 「父上の最後は、小屋の枯葉の上に多くの吐血をされ、眠るように亡くなられました。死の間際まで、姉上や私に悪いことをしたと、言い続けておられました」  絹江の肩が震え、嗚咽が伝わって来る。 「それで、母上を恨むでないとも言われ、それが最後のお言葉でした」  絹江が声を上げて泣き始めた。父親の最後を看取れなかった悔しさが、更に責め立てているのか泣き崩れている。その姿は、あの京へ出る前の日と同じように、傾き掛けた陽に照らし出されていた。源吾も己が語った言葉に、父親の最後の姿を思い出して泣いている。姉弟の鳴き声が深閑とした谷間に、うねるが如く響いていた。  半刻(一時間)ほども経ったであろうか、山嶺に沈み掛ける落暉が最後の輝きで小屋を照らした時、源吾は父親の幻影を小屋の間口に見た。 「父上」  有らん限りの声を上げると、絹江もはっとして顔を上げた。父親が笑っている。それはまるで姉弟を温かく見守る眼差しである。源吾は駆け寄ろうとして、もう一度叫んだ。 「父上」 すると掻き消されるように父親の幻影が見えなくなった。小屋の中を覗いた。しかし、そこには枯葉が散らばっているだけで、父親の姿は無かった。 「姉上、今のお姿は何だったんでしょうか」 「恐らくは父上の、母上をお慕いなさる情念が精霊として甦られたんどす。それで、源吾によくやったとお褒めになったんどっしゃろ。それと、うちら二人にも気張って生きて行けと、おっしゃったはずどす」 「そうですな。あんな優しそうなお顔を見た記憶が、ほとんど残っておりませんから」 「そうや、あの金子を持っておりましたな」 「はい」 「下の皆さん方に幾分かをお渡しし、このお墓をお守りしてもらうことにしまひょか。そんなことどしたら父上もお許しにならはりますやろ」 「そうです。ぜひそのように致します」 「もう日暮れも近おすよって、戻りまひょか」    谷間の小屋の前では大きな焚火が炊かれ、数人が輪になって酒を酌み交わしていた。 「おっ、源吾やないか。聞いたで、奉行所の同心やなんて豪い立派になりおったな。それにそちらのお方はひょっとして絹江はんかいな」  絹江と源吾が戻ると、喜助が喜々として声を掛けて来た。 「はい、絹江どす。弟が豪いお世話になりまして、有り難く思っとるんどす」 「そやけど、綺麗にならはって近寄り難とうおますな」 「そんなことありゃしまへん。あの頃の通りにしとくりゃす」 「それで、夕餉を頂く前に皆さん方にお願いしたいことがございます」  源吾は軽く頭を下げた。 「お願いやなんて、同心のゆうことやおまへんで」  安治が焚火の向こうから話すと、脇にいた年増の女が抑えるように言った。 「お前はんね、そんな気安うものをゆうたらあきまへんがな。なんせ奉行所の同心さまでっせ」 「おかあ、そりゃそうやった。源吾はんすまんこって。そんなら、こおせえとゆうとくなはれ」  皆が頷いて、源吾の顔を窺っている。 「いや、弱りましたな。姉上と同じように、あの頃の源吾やと思って話を聞いて下さい」 頭を掻きながら源吾は話そうとしている。そこで懐から金子を取り出すと絹江に渡した。絹江が、一枚ずつ懐紙に包んでいる。 「お願いと申しますのは、私等の小屋の脇にある父上の墓のことです」 「よう知っておるぞ。ついでの時に野花なんかを手向けとるがな」  喜助が答えた。 「そこまでしてもらいながら言い難いことですが、そのようなことをこれからも続けて頂きたいのです」 「何じゃい、そんなことは当たり前のことやがな」 「そうなんどすけど、京の町中では出来るようで出来んことで、まことに有り難いことどす」  嘉兵衛が、喜助を褒めている。  源吾は絹江から戻された懐紙に包んだ金子を、一人ずつに手渡した。 「これは今までのこと、それにこれからのことについて心ばかりのお礼です」  懐紙を開いた喜助が一両に驚いている。 「こんなに頂く訳にはいきまへん。わしらは当たり前のことをしとるだけやで」  嘉兵衛が、やはりと頷いていた。 「それならこうしまひょやおまへんか。さっきから聞いた話で、ここでは猪や山鳥が仰山捕れますわな。それをわてのところで買わせてもらいまひょ。そのためには、京まで運ぶのに荷車や運び人などで支度が要りますわな。その支度金やと思うて、その金子を受けとっとくなはれ」 「えー、土佐藩御用達をしたはる京の笠松屋はんが買うてくれはるんか。それは有り難いことやないか。そんならこの金子は取敢えず支度として頂くことにしとこか」  これならこの八丁山と、これからも繋がりを持てるのではないかと、絹江と源吾は顔を見合わせて頷いていた。  山間の谷間の夜に焚火が燃え盛り、花が咲くように賑やかな話が続いている。このような時、山巓から轟いた狼の遠吠えが、谷間の中へ荘厳な響きで木霊していた。
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