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九、抜牢
土佐藩の京藩邸は、賀茂川の西を流れる高瀬川に面して三条通りと四条通りの中間にある。その西側には豊臣秀吉が命じて京都の寺を集住させた寺町があった。
元文二年(一七三七年)の年が明け、年始の行事を終えた頃、高知の店をたたんだ嘉兵衛と絹江は、五百両にもなった資産を為替に変えて京で受け取った。これを元手とし土佐藩の肝煎で、四条通りの一筋北となる錦小路に笠松屋の看板を掲げた。かつての知己や高瀬川筋で料理屋を開いていた丹波屋などの誼(よしみ)に加え、土佐藩御用商人の手蔓を得て、二、三か月の間に販路を広げていた。雇人は土佐から三人を連れて来ており、京では丹波屋の紹介で四人を雇い入れた。
高瀬川の水運を使って土佐より運ばれて来た産品を、土佐藩邸の舟入で陸揚げし店へ搬入する。店頭売りと卸の品物に仕分けすると、二人を店に残し後は二組に別れて料理屋や小売屋へ運び出していた。
店が順調な滑り出しを見せている頃、店先を行ったり来たりする男がいる。通りの正面には錦天神の提灯が揺れており、その参道で何を祈願したのか、男が決心したかのように店内に声を掛けた。
「もし」
声は弱々しく、雇人にも聞き取るのが難しい程であった。
「何を、ご用でございまっしゃろ」
雇人が答えた。
「用とゆうほどのことではございまへんが、こちらの旦那はんは御在宅でおますか」
雇人の声を聞いて顔を見せた嘉兵衛は、思わず声を上げた。
「おー、番頭はんやおまへんか」
「お久方振りにございます」
「そんなとこに居らんと、中にお入りやす」
店奥の座敷へ案内され、嘉兵衛の前で畳に付けるほど頭を下げた。
「番頭はん、どないしやはりましたんや。うちらは番頭はんに送ってもろた三十両のお蔭で、豪い助かりましたんやで」
「いや、実を申しますと、あの兄さんとゆうお人に脅されてまして、ほんの罪滅ぼしの心算どした」
「脅されたとゆうんは、どないなことなんどす」
「へー、今となっては正直に申しますが、女を囲うてまして、それを脅しの種にされましたんどす。それで、若旦那に出て行ってもらう算段で、あんな話をせなあかんようになりよりました。それに加え、千両の為替も見つかってしもうて、取り上げられましたんどす」
嘉兵衛は、仕方なしに頷くしかなかった。
「それで笠松屋はどないになりました」
「あの後は、使用人が一人去り二人去りで、終いにはわて一人になってしまいよりました。蔵にあった金は、あの三人が使い果たし、一年も経たん内に売家になりましたんどす。世間でゆう、売り家と唐様で書く三代目とゆうやつどす。それで、何処に行きよったのか、まったく分からしまへん」
「そうどすか」
あの時、落ち着いて考えれば何か良い知恵が浮かんだかも知れなかったが、殺されるかもしれないと思った怯えを、今更ながら悔やんでいた。
「まあ、宜しおす。それで番頭はんは、何をしてはりますんや」
「へー、女とは直ぐに縁が切れて、今は頭を上げられへん家内と一緒に麩屋町の高辻を下がった裏長屋で暮らしとるんどす。仕事は見ての通りで、高瀬舟の引き人足をやらさしてもろおてます」
尻端折りに股引姿の身形を見せている。
「土佐藩邸の舟入で若旦那のお姿をお見掛けし、錦小路にお店を開かはったと聞いたもんどすから、居ても立ってもおられず、恥を忍んで参らしてもろたんどす」
「よう分かりました。明日からでも結構どすさかい、ここに来なはれ。今日は土佐藩邸に行とって留守やけど、絹江は心内の大きな女子やさかい、きっと賛同してくれますやろ」
こうして元番頭の佐平は、再び新しい笠松屋に奉公することになった。
錦小路は、四条通りの一筋北を東西に走る通りであり、平安の頃には具足小路、その後訛って糞小路と呼ばれた。これでは品格を損なうとして、勅命で四条通りの南を走る綾小路に因んで錦小路と名付けられた。江戸時代には、京の台所と呼ばれ、青果・魚介・干物・漬物等の店が並んでいた。
嘉兵衛と絹江が京に戻り、錦小路に店を開いた年の前年となる秋のことである。
地井の里を出た源吾は、錦秋の山並みを仰ぎながら篠山に向かっている。身に着けた白衣と菅笠が、やけに晴れがましく思えてならない。己が目指すのは人を殺めることにもなりかねない仕打ちを考えると、何か相反した気分になっていた。
十年も昔になろうか、父親に手を引かれて篠山から辿って来た道を、記憶を頼りにして歩いている。篠山藩代官所がある周山から亀山(亀岡)に出て、京街道と呼ばれている道を篠山へと向かっている。天引峠で篠山藩の領内に入る。張番所の門は、観音巡礼で西端となる姫路の書写山円教寺に参詣すると言い、難なく通してくれた。篠山城の楼閣を遠くに仰ぐ城下の端(はずれ)で無縁寺を探し当て、住職に面会した。
「十年ほどの歳月が過ぎておりますが、水難で亡くなった母上の埋葬を、こちらにお頼みした者にございます」
源吾は名を語らずに申し述べた。
「あれだけ城下を騒がした事件であったゆえ、よーく覚えておるぞ。そなたは、田城殿か」
年老いた住職が、黒衣の裾を掃って答えた。
「はい、田城源吾と申します」
「そうすると、あの時の童か。父上はどうなされた」
「父は亡くなりました。そこで骨の一片なりと母の元にと思い参上致しました」
「そうか。こんなところで立ち話もなんじゃから、本堂にまいられよ」
板敷が軋む音をさせる階(きざはし)を数段登り、住職が手招く本堂に足を踏み入れた。煤けた柱の間には祭壇が置かれ、申訳なさげに野花が捧げてある。その奥の仏壇には扉が開かれて小さな仏像があり、その脇には守護するかの如く木造りの像が見えていた。
「正面におわすのは何の仏になりますのか」
源吾は、寺の本尊と思しき仏像の名を聞いた。
「貧乏寺ゆえ、みすぼらしく見えるじゃろが、観世音菩薩じゃ。そういえばそのお姿は、観音巡礼に参られるか。両親の供養として、お若いのに感心なことじゃ」
源吾は、これには答えず本尊に向かって手を合わせていた。
本堂の板の間で向かい合った。
「これに父の遺骨がございます。ぜひ母の元に埋め合わせたいと願っております」
遺骨を包んだ懐紙を取り出し、二両と共に差し出した。
「それに供養の代として、お納め下さい」
「かような寺には過分な金子を寄進下さるか。これは永代供養として、わしが居らんようになっても引き継いで行かねばならんことじゃ」
「そうして頂ければ、誠に有り難いことにございます」
「それでは早速、墓地に行こうか」
墓地とはいえ、荒れ地のなかに川石を並べただけで、茫々と野草が茂っている。
「覚えておろうが、この石が母上の墓石じゃ」
住職に指差された石が、何となく記憶に残っている。
「そうでございました。微かに覚えております」
源吾は、墓石を横に置き丁重に土を除けた。すると母の遺骨と思える骨片を見つけ、思わず零れて来る涙を拭った。それも拭いきれず顎より滴る涙をも構わず、父の遺骨とともに埋め合わせた。後ろに立っていた住職が読経を始めている。源吾の耳元に、住職の声が物悲しくも寂しくにも聞こえる。俯いて手を合わせる墓石には、秋風が蕭颯(しょうさつ)と吹き抜けていた。
「ところで源吾殿は、山脇久二郎の消息をご存知か」
読経を終えた住職は突然言い出した。
「いえ、篠山のご城下には居られぬのですか」
「そうじゃ、あの後、謹慎が解けてから京藩邸に行ったと聞いた。それに、父親が城下の商人と結託して、藩の公金を私事に流用した罪でお取り潰しになっておる」
「えー、あの勘定奉行の山脇の家ですか」
「それで京藩邸におる久二郎もどうなっておることやら」
山脇久二郎が京に居るであろうと聞いて、源吾の目が煌いた。これを見ていた住職は、やはりと頷いている。
「さきほどは、わしの観音巡礼の問いに答えられなんだ。そして、今は山脇久二郎の消息で目の輝きを見た。わしは差し出がましいことをゆう心算は無いが、源吾殿には荼枳尼天(だきにてん)の相が見て取れる」
「ダキニテンとは、如何なる者ですか」
「ご本尊の脇で、獣に乗った女神の像があるのをお気づきであったか」
「何か木造りの像を見ましたが」
「あれが荼枳尼天じゃ。今は、憑(つ)き物落としや病気平癒、開運出世などの福徳神として祀られておるが、天竺の国では死者の心の臓を喰らうことを許された神であった。人の死期を知り、その心の臓にある人黄という生命力の源が、呪力の元になるとゆわれておる。その乗っておる獣とは、狐とも更には恐ろしい狼ともゆわれておるんじゃ」
源吾が、黙り込んで聞いていた。
「今少し、詳しいお話を聞かせてもらえませんか」
「そうじゃな、大枚の寄進を頂いたことでもあり、大して食う物も無いが一夜の宿に致されるか」
住職は知りうる限りの知見を、源吾に教えた。その要諦は、真言と印相であった。
荼枳尼天真言
「ノウマク サンマンダ ボダナン キリカク ソワカ」
翌朝、源吾は寺を出でようとしていた。
「源吾殿、仏門に仕えるわしがゆうのも何じゃが、あ奴は人の風上にもおけぬ男よ。この世から掻き消すのも一法と心得る。だが、そなたが殺められることが無きように」
源吾は、手にした菰包みを掴み、にこりと微笑んだ。それには、父親より譲られた名刀国広の小刀が包まれていた。
「京か。姉上の年季明けは翌年の秋である。急ぐことではなく、山に籠り荼枳尼天の神髄を確かめるとするか」
源吾はかつて知った郷里の山々を懐かしむように、山中へと向かった。木枯らしが山巓に吹き荒び、枯葉が舞うように源吾の歩み行く道に降り注いでいた。
春になった。京の鴨川を吹き抜ける風にも寒さが緩いで来ている。昼を過ぎた頃、だだっ広い二条河原に、菅笠を被り白衣を身に着けた源吾は、川面を見つめていた。十数間先の川縁で、枯れ枝を伸ばした木の蔭に鴨が数羽身を潜めているのである。一昨日より何も口にしてこなかった源吾は、これを仕留めようと狙いを付けている。その時、木の蔭より川面に姿を現した鴨を目掛け、手に持っていた小石を投げた。小石は違わず鴨に命中し、川面に羽をばたつかせている。源吾は急いで川へと走り、鴨の首を捕まえた。
この光景を川の下手となる三条大橋より眺めていた者がいた。
「お年寄り、あの若造が鴨を仕留めよりました。あれはご法度の行いどす」
京都町触集成
洛外在々に而しさるのおとしに事寄せ鉄砲にて鳥を打、其上他国よりも入込致殺生候由相聞へ候、前々も堅く停止之旨相触置候処、(中略)尤不埒之もの見当り候は召捕可訴出之旨、村々へも申付置候
「お前ら、あ奴を捕らえて番所まで連れてまいれ」
源吾は、数人の男に囲まれ、町奉行所のお触れを聞かされた。しかも、観音巡礼の身で不埒この上無しとも言い渡された。知らぬこととはいえ、お触れに背く行いであったことに申し開きをするため男たちに従った。
三条大橋の袂にある番所に連れ込まれた。番所の小役人に、お年寄りと呼ばれる年輩の者が申し立てている。
「お役人さま、この者がお触れで禁じられている野鳥を、仕留めましてございます」
申し立てを聞き、仕留められた鴨を見て小役人が外に飛び出した。
「奉行所へひとっ走り出向くゆえ、暫しそ奴を番所に留めて置け」
小役人が高瀬川に架かる三条小橋まで来た時、御番方同心に出くわした。
「おっ、坂田様。丁度良いところでお目に掛かりました。今、番所で野鳥を捕らえた奴を留め置きしております」
坂田は、またかと思っている。近頃、野鳥を捕らえる輩が多く、幾度触れを出しても収まらない。
いい加減にして欲しいと、苦虫を噛み潰す思いで番所の腰板障子を開けた。土間には若者が座っている。その前に回り、框に座って顔を睨みつけた。
「お前さんか、この鴨を捕らえたのは」
「はい」
この声を聞いて、若者の顔を見直している。
「そなたは八丁山で出会った童ではないか。わしを覚えておるか。数年前になるが、八丁山を見分に行った東町奉行所同心の坂田じゃ」
「好く覚えております。私奴は、源吾にございます」
「そうじゃ源吾じゃ。随分、大きゅうなって見間違うほどじゃ」
「お久しゅうにございます」
「ところで、何故に鴨を捕らえたのか」
「申訳ありません。一昨日より何も口にしておりませんので、つい山と同じことをしてしまいました」
「困ったことじゃな、京では野鳥を捕らえることを堅く禁じておる」
「知らぬことゆえ、大層なことをしてしまいました」
「暫し待てよ。高瀬川筋の樵木町で神沼さまが蕎麦を食しておられる。誰かお呼びして来てくれぬか。店の名は、出雲屋と看板に書いておった」
再び小役人が駆け出して行った。
間もなく駆けつけて来た東町奉行所与力神沼貞太郎は、番所に入るなり声を掛けた。
「源吾か」
源吾が、土間に低頭している。
「悲田院のお年寄り、悪いが手下の者は表に出してもらえぬか」
番所の中は、当人らの他には同心の坂田と悲田院年寄だけになった。
「さて源吾よ、仔細は先ほど聞いた。それよりも、ここに至るまでの経緯を聞きたいが」
源吾が、俯いて黙っている。これを見ていた坂田が、平然として言い放った。
「これ源吾、今は京都東町奉行所御番方与力になられておられる神沼様のお言葉じゃ。黙っておらんと、答えよ。さもなくば、当方にも勘考せねばならんことがある」
「かつて聞いたことのあるような言葉使いじゃが、荒立てるでない」
神沼貞太郎は、坂田を諫めていた。
こんな遣り取りを耳にした源吾が、ぽつりぽつりと話し始めた。篠山でのこと、八丁山に籠ることになったこと、父親を亡くし姉が京へ奉公に出たこと。源吾が、粛然(しゅくぜん)と話し終えた。
「うーむ、さようか。そなたの父上はそこまでお話にならなんだが、誠痛ましい限りじゃ。その山脇とゆう男、そなたのゆう通りなら人畜にも劣る類の者。されど意趣返しになろうが、殺めれば奉行所は罪を問わねばなるまい。よく心しておくことじゃ。それと姉上のことじゃが」
源吾が背負いの袋から油紙に包んだ身請書を取り出し、差し出した。
「丹波屋のう。それで姉上は、奉公先を西陣の織元とゆうたのじゃな」
神沼貞太郎は黙考し、身請書を坂田に手渡した。十五両という大金は、西陣での奉公ぐらいでは見合うことでは無い。恐らくは身売奉公ではないのか。それに丹波屋などの地名を名乗る屋号は余りある。
「うーむ」
再び、神沼貞太郎が唸った。
「あい分かった。姉上の尋ねの儀は奉行所のその筋の者に確かめておくことに致そう」
源吾が頭を下げている。
「ところで、此度の沙汰であるが、野鳥の捕獲を禁じている大本の立場のゆえ、軽々しく見過ごすことにはならん。そこで悲田院にて身柄を預かり願えないか」
悲田院の年寄に向かって投げ掛けた。
「はい、小盗なんぞは、いつも檻(おり)に入れておりますれば、この若造もそのように計らいます」
「いや、この者は逃げ去ることはしないので、檻に入れるほどではあるまい。悲田院の勤めをやらせてもらいたい。その内に姉上の消息も分かることより、奉行所から正式に沙汰を下す」
悲田院
往古、京中の孤者・病者を収容し、給養するところにて施薬院に属す。江戸期になると階級分化による貧民や飢饉・凶作による乞食などを収容し、囚人をも預かることがあった。寛永年中愛宕郡岡崎村に移る。(京都坊目誌)
悲田院年寄の差配する人数は、八千五百六人となる。公役は牢内での雑事や刑史の下役などの他、市中の警備や犯罪者の捕縛に従事した。(京都御役所向大概覚書)
「川向こうの野暮用は、日を改めて行くことにしよう。今日はこれで奉行所へ戻ろう」
神沼貞太郎は、こんな独り言を声高く漏らし引き返して行く。
奉行所への戻り道に坂田が問い掛けて来た。
「それにしても十五両とは、身売奉公に間違いござらん。田舎から出て来る者は、一様に奉公先を西陣とゆうておるようにございます」
「恐らくはそうじゃろう。まして、あの頃は西陣が焼けた後じゃからのう」
「それで、どうなさいます」
「丹波屋なんぞの屋号は余りあるが、他の同心にも計らって当たって貰えないか。確か、姉の名は絹江と申していたはずじゃ」
神沼貞太郎は、八丁山の見分で見た、絹江の姿を思い出していた。目鼻立ちが整い、鼻筋が通った顔は、遊里であれば直ぐにでも大夫に取り上げられよう。
「それで源吾のことじゃが。あの立ち振る舞いを見れば、相当に腕を上げておることは明白じゃ。父親が居合の技を伝授し、山中で自らを痛め、何かを極めたことのようにも思えた。正に孤独な狼のような者。今の奉行所では、あれに敵う者は居るまい。ぜひ奉行所に欲しい人物でもある。そうじゃ、本日の措置の文書には、源吾の山での鍛錬のこと、腕のことも記して、お奉行の目に止まるように致せ」
「そうでございますな。上申とでも致しますか。あ奴は只者で無いと思っておりました」
「そのようにしてやってくれ。それに荷を検めなかったが、あの菰には居合に適う小刀でも包んでおろう。だが問題は、篠山藩じゃ。山脇とゆう男が、どのような立場におるのか分からんが、今は藩主の松平信岑公が江戸表の寺社奉行である。なかなか迂闊(うかつ)には動けまいぞ」
「日頃、ご政道にも厳しいご所見を述べておられるお方が、焼けにご神妙におなりですな」
「迂闊に動けないとゆうても、あんな非道な奴を見過ごす訳では無い。篠山藩京藩邸に俳句の知り合いが居る故、わしが当たってやるわい」
源吾は悲田院年寄に連れられ、三条大橋を渡り東の岡崎村の端へ向かっていた。白川の仮橋を渡ると、幕府の仕来(しきた)りで除地となっている集落である。悲田院年寄差配の人々は、京においては洛中に住まうことは許されず、多くはかつて豊臣秀吉が築いたお土居の外側で粗末な小屋を掛けて暮らしていた。幕府が定めた身分制度の外に置かれ、人の忌避する仕事を押し付けられていた。
何か饐(す)えた匂いがする。粗末な小屋の合間から子らの喚く声や泣き声が混ざって聞こえる。小屋には老人や女達が、草鞋でも作っているのか才槌(さいづち)を敲く音が響き、しゃがんで稲わらを編む姿が見えていた。
「源吾とやら、腹を空かせておろうが、もう少し我慢をしろ。その内に粥をこしらえるはずじゃ。ともかくここで話をする」
寂れたお堂に招き入れられた。
「ここの勤めは六角牢での雑事や刑吏の下役、町中の見回りや盗人の捕縛などに当たっておる。神沼様のお言葉である故、明日からは六角牢へ出向いてもらう」
源吾は、姉の消息を確かめてやると言われ、その言葉を信じてここに留まることにした。京の世情に疎い今では、致し方が無いことでもあった。
六角牢は、正式には三条新地牢屋敷と呼ばれ、小川通り御池上がるにあった牢屋敷が宝永五年(一七○五年)の大火で類焼し、翌年新たに六角通りに面した地に造営された。東西三十八間、南北二十九間、千百二坪の敷地には、本牢の他に切支丹牢、女牢、上り場などの収監施設を有し、雑色や穢多衆で運営されていた。これは京独特の平安以来の権能を江戸幕府が利用したものである。四条室町を起点として、東北・東南・西北・西南の区域を管轄する四座の上雑色があり、その下には下雑色、見座、中座が置かれた。更に、穢多衆、悲田院の者を手下とし、牢の運営や町中の治安に当たった。他にも、奉行所の差配の下で京の行事や町触れの周知など様々な職掌を、町衆と共に司っていたのである。
翌日、源吾は数人の者に連れられ六角牢に赴いた。やらされることは、牢内の見回りに囚人の剃髪、縄付けなどで、仕置きがなされる時には棒持に捻持ち、敲きを行っていた。こんな日々を過ごす中で、とある大罪人を刑場に送る勤めを仰せ遣った。
穢多衆が先導し、これに中座の者、悲田院年寄と手下の者が続き、騎馬の奉行所与力及び伴の者の後に罪人が居た。その後には、中座、上雑色、下雑色と手下の者が居り、総勢五十人近くとなる堵列である。行く先は粟田口の刑場であり、六角牢より三条大橋で鴨川を渡り、東に進むことになる。
堵列が三条小橋を渡ろうとしている時、見物人の中に目を疑うように見ている女主が混ざっていた。
「あれは源吾ではないのか」
悲田院年寄の後に続く、青年の姿に目を釘付けにされている。
「この列の中で悲田院の手下として加わっているのは、何か罪を犯したのか」
絹江は、人に聞かれない呟きを漏らしていた。されど身分社会の厳しいこの時代、迂闊には悲田院の者との関わりが出来なかった。
京に長梅雨の季節が巡って来た。数日前に、六角牢の本牢を修築するため、囚人を他の牢へと移すことになった。源吾も、この勤めに加わり囚人の見張りに付いている。仕分けがなされ、上り場の無請牢に収監されることになった囚人に見覚えがある顔を見つけた。顔つきや身形が町人風に変わっていても、喉元の右にある黒子を忘れることは無かった。
「あれは山脇久二郎」
源吾は牢内では手出しが出来ず、心内で憤りを覚えていた。
その三日後の夜のことであった。無請牢の片隅に集まった囚人達が、一人の男を囲んでいた。
「てめえらよく聞きさらせ。この牢に放り込まれたちゅうんは、身請け者が居らんとゆうことや。どれほどの咎を犯したかは知らんが、その軽重を考えてみろ」
男の名は文七と言い、大罪を犯した盗賊であった。
「咎の軽重を考えろとゆうんは、どうゆうこっちゃ」
前に座っていた男が答えた。
「われの元はとゆえば、銀山の下在であった」
「それがどうした」
牢前に置かれている蝋燭の明かりが、重厚な格子を通り文七の顔をおぼろげに照らしていた。にたりと口元を緩めた文七が、話を続けている。
「ここに入れられた時より考えておったが、この牢は抜けられるんじゃ」
「何をゆうんや。仕損じれば重科となりおって、死罪が免れんようになるわい」
「そやから初めにゆうたように、咎の軽重を考えるんじゃ。命に関わるような咎を犯した者は、われに従え。そうで無い者は、ここに残ることじゃ。ただし、この企てを注進するなり、声を上げるなりしさらせば、たちどころに蹴殺してやる」
文七のどすの利いたくぐもった声が、取り巻く男の耳元で娑婆への望みを掻き立てている。
「それでどうやるんや」
別の男が声を上げた。
文七が懐に隠し持っていた大釘を取り出した。
「われは銀山での生業より土を穿(うが)つことには妙を得ておる。ここには少しの土間があって、これこそ天の与えと思おておった」
「そんな大釘を何処で手に入れた」
「痛んでおった本牢の板塀より抜き取ったものじゃ」
牢の外では牢番の夜回りで拍子木が鳴っている。
「あれは半刻(一時間)置きに回って来る牢番じゃ。あれの合間に抜け出せばいいことよ」
「俺を連れて行ってくれ」
「わしも頼む」
四人ほどの者が、声を掛けて来た。
「ならば今から穿ち始めれば、この長雨で固めた土も緩んでおるからに、夜半には抜けれるはずじゃ」
文七は、土間の土を大釘で穿ち出した。他の者達が、周りを囲んでいる。一刻ほども掛かったであろうか、板塀の外に抜け穴が見え出した。ここに拍子木の音が聞こえ、それをやり過ごすと一気に穴を広げた。文七が先に外に出る。後に続く四人を穴の外から引き出していた。五人が出揃うと堀の溝際にあった拷問場の柱に飛びつき、一はねで塀に取り付いて易々と敷地の外へ飛び降りた。暗闇に包まれた道を、それぞれが思い思いの方角に走り去っている。その中で庄八と言う男だけがその場に留まっていた。雨は止めどなく降り続いている。全身を雨に打たれながら、道端にひしゃまずき思案していた。
「一旦は娑婆への望みを捨てきれず、ここへ飛び出したが、よくよく思案すると逃げおおせられる訳がないわい。恐らく明け方からは草の根を分けてまで探し出され、天の網遁れ難しじゃ。ならば、今をもって直ちに注進すれば、その褒賞で命は助かるやも知れんわい」
独り言を漏らしていた庄八が、すっくと立ち上がると東町奉行向井伊賀守役所へ飛び跳ねるように向かって行った。畏怖されるように見える門の前に座り込み、暫く躊躇(ちゅうちょ)していた庄八が叫ぶように声を上げた。
「急ぎ、ご注進の者にございます」
三度ほど続けて門内に向けて声を張り上げた。時は丑三つ(午前二時頃)、門番が漸く覗き窓を開けて顔を見せた。龕灯(がんどう)で照らし出すと、大柄な男が蹲(うずくま)っており、有体(ありてい)は明らかに在牢の者と窺えた。急ぎ脇門を開き有り様を糾明した門番が、当番の与力へ申し伝えた。与力が早速に庄八を捕らえさせ、経緯を問いただした。
「それで逃げ去ったのは四人の者か」
与力の顔が引きつっている。
「へい、文七、清太郎、半三郎に後の一人は名を知りやせん」
「逃げ去ったのはいずれの方角か」
「文七、清太郎は西に、半三郎と後の一人は北へ向かいやしてございます」
この頃、六角牢の西となる千本通りより向こうは、田畑が広がっていた。町中には辻々に木戸が設けられているが、千本通りの木戸は常に開けられていた。
与力が直ちに伊賀守に告げた。
うーむと唸り声を漏らした後、伊賀守が命じた。
「牢屋敷の修理に当たっておる与力木村に伝えよ。直ちに逃げ穴を塞ぎ、拷問場を移せと。それに追手のことであるが」
ここで思案した後に、思い出したように命じた。確か、悲田院に腕の立つ若者がおると、神沼から聞いておった。
「追手は、同心に合わせ悲田院の者に当たらせよ」
命が悲田院に伝えられた。
「源吾、ここはそなたの出番じゃから、預かりおった小刀を渡す。各所の小屋頭にも命が伝わっておるので、直ぐにでも出立いたせ。牢抜けした者の人相は分かるか」
「あの牢に入れられた者の顔は、具(つぶさ)に見ております」
「そうか。奉行所よりの知らせでは、北と西にそれぞれ二人の者が逃げ去ったようじゃ。西には同心が向かって居るので、そなたは北に向かえ」
年寄から伝えられると、源吾はすぐさま立ち上がっていた。
「北に向かった者を捕らえ、西に向かいます」
「それは、難しかろう」
「山で鍛えた足を使いまする」
にこりと笑った源吾は、駆け出していた。
三条大橋を渡って西へ、六角牢から千本通りを北に向かっている。雨上がりの道に、水しぶきを上げながら駆け抜ける源吾を、寝起きの人々には天駆ける天馬が地上を疾風の如く走る姿に見えていたのかも知れない。
「今、目の前を通り過ぎたのは何だ。まるで馬のように走る男やないか」
「下から来たと思っとたら、あっとゆう間に行ってしまいよったがな。あれは人かそれとも馬の化身か」
北に駆けて洛北の鷹峯を横切るお土居に着いた。東には薬草園が広がり、早朝の手入れが行われていた。ここの小屋頭に聞くと、牢抜けした二人が民家を襲い銭と刀まで持ち去っていた。
「銭だけなら分かるんやが、刀まで持って行ったら邪魔になるんやないか」
小屋頭が、不思議に思っている。
源吾は、その一人が町人に成りすましていた山脇久二郎ではないかと感じていた。この道をそのまま進めば、突き当りが曹洞宗の源光庵、そこを右に行けば吉野太夫の墓がある常照寺、左に行けば本阿弥光悦を祀る光悦寺がある。更に急坂を登ると京見峠に至り、越えた先が杉坂となる。しかし、一晩逃げ通していることから、何処かで仮眠を取るはずである。こう考えた時、奥山になる釈迦谷山辺りから狼の遠吠えが聞こえて来た。
「ありゃ又かいな。十日ほど前から狼がうろつき始めよりましてな。牢抜けしよった者より、あれに気い付けなあかんで。それに一人で大丈夫かいな」
源吾は笑っている。あれは黒が追い掛けて来ていると思っていた。
「お手数を掛けました」
こう言い残すと、源吾は山に分け入っている。狼の遠吠えがなおも続いており、それに剣呑な鳴き声が混ざり始めていた。道より三町(約三三○m)ほど分け入った谷沿いで、男が刀を構えて狼と対峙している。
「そこの者、六角牢から抜け出した輩だな。顔を覚えておる」
「なんだ貴様は」
狼と対峙していた男が振り向いた。
「やはり山脇久二郎。町人に身を移しておったか」
男が目を驚かしている。
「覚えてはおるまいが、私は田城源吾だ。篠山でのこと忘れはしまい」
「何、田城源吾じゃと。あの女の餓鬼か。あの女も、あれぐらいのことで死ぬとは思わなんだわ」
源吾は山脇の言い草に、許しがたい怒りを覚えて来た。この男を消し去る。これまで父親の怨念として修練してきた居合の技は、ここに生かすべきと心を滾らせている。
「それでお前は、わしらを捕らえに来たのか。一人でのこのこやって来るとは、ええ度胸をしとるわい」
「黒、下がれ」
唸り声を上げていた狼が後ずさりしている。これを見た山脇が、源吾に向けて刀を構え直した。
源吾は左手を伸ばしてから掌で口を覆い、舌で触れている。人血を飲むが如き、荼枳尼天の印相である。
「何だ、その真似事は」
山脇が源吾の様子を窺っている。
「私は今、荼枳尼天に化身している。貴様の命は、すでに私の掌(たなごころ)にある」
「荼枳尼天じゃと、何を馬鹿なことを」
「ノウマク サンマンダ ボダナン キリカク ソワカ」
呟くようにして荼枳尼天の真言を唱えた。すると一瞬であるが父親の姿が脳裡を過(よぎ)った。この時、小刀の鯉口を切り、身を翻している。
山脇が上段より刃を振り下ろした。この刹那(せつな)、速さを増した源吾は、刃を抜き脇の下に至っている。肩先を過る山脇の刃を感じた時、剣尖が走り胴を切り裂く感触を得て走り抜けた。血が滴る名刀国広の刃を眼前にかざし、父親の面影に向かている。
「怨念成就」
源吾は心中を騒めかす様な呟きを漏らすと、血振いをした刃を鞘に納めた。振り返ると、そこには脇腹より血潮と共に臓物を溢れ出した山脇が俯せに倒れ込んでいる。すると、 もう一人の男があたふたと谷に向かって滑り下っている。そこで素早く足元にあった小石を手にした源吾は、男に向かって投げ付けた。空気を切り裂くが如く飛び行く小石が男の後頭部に当たり昏倒している。その男の喉元には狼が噛み付き、間も無く断末魔の声を上げていた。
「牢抜けの大罪人、何れは磔獄門に晒される身。黒よ仲間と好きにせよ」
すぐさま源吾は、ここより取って返し衣笠山の裾野を通り、太秦の田畑の中を南に向けて駆けている。六角牢より西に向かったのであれば、何処かで桂川を渡るはず。こう読んだ源吾は、昼前には、広々とした桂川の河原で小屋掛けを探していた。直ぐに見つけた小屋の小屋頭に聞くと、川を渡るには桂村への渡し船とその下流にある牛ケ瀬の土橋があると言う。礼を述べて川縁を下流に向かい渡船場に着くと、ここの船頭から半刻(一時間)ほど前に奉行所同心が下流に向かったと聞いた。源吾はすぐさま後を追い、牛ケ瀬の土橋の袂まで駆けつけた。橋の番人が言うには、早朝に牢抜けと思しき二人の者が橋を渡り、直ぐ先には奉行所同心も渡ったようである。そこで橋を渡り、桂村に向かう道で東町奉行所同心坂田大膳と手下の者に追いついた。
「坂田様」
「おお、源吾か。そなたは北に向かう手筈であったが」
「はい、北に向かいました」
「それでどうした」
「片付けました」
「片付けたじゃと。それはどうゆう意味じゃ」
「今は、こちらの牢抜け者を捕らえることが大事。仔細は後ほどお話しします」
速足で歩きながらの会話であり、坂田の荒い息遣いが話を途切れさした。
桂村の番所に入った。この辺りで逃走の道筋を見極めるためである。坂田の指図で小屋頭が集められた。だが、二人を見掛けたという知らせは、何処からも届いていなかった。
「これは困ったもんじゃ」
坂田が、頭を掻きながら思案している。
「奴らは夜を徹して逃げておる。何処かで身を潜め仮眠でもしておるやも知れん。この辺りで身を隠せる古堂・橋の下・物陰・空き家など、その軒下まで手当たり次第に探せ」
小屋頭達が、手下を連れて四方に走った。
番所には坂田と源吾だけが残っている。急に強くなった陽射しで番所の中が蒸せるのか、坂田が胸元を広げていた。
「源吾、先の話じゃが、片付けたとは殺めたことか」
「土地の町家を襲い、刀を手にしておったものですから」
「そ奴らが手向かって来たのか」
「はい、町人に身を移しておりましたが、一人は元武士です」
「まさか、あの者か」
「その通りにございます。篠山藩の元藩士で山脇久二郎です」
「遺骸はいかがした」
「黒が追い掛けて来ておりましたので、好きにさせました」
「黒とは、あの狼じゃな。そなたを慕って此処にまで来るとは、犬にも勝る忠実な獣じゃ。さて、神沼様には如何に申し上げようか」
「有体にお伝え頂ければと思います」
坂田が、遺骸を食い荒らす狼を思い描いたのか、噯(おくび)を漏らしていた。
一刻(二時間)ほど経った頃、一人の小屋頭が番所に駆け込んで来た。番所で小者が用意した握り飯を頬張っていた坂田が振り向いた。
「如何した。見つけたか」
「いえ、今朝ほどに大原野の農家が二人組に襲われ、食い物と銭を取られたようでございやす。寝起きの頃で、家中の者が縛られ、家主と従僕の二人が怪我を負っておりやす。外で隠れていた者が申すには、二人は南に向かって逃げ去ったようどす」
「すると天王山に登るか、山崎の津か。銭を持ってとなれば、もし山崎から船にでも乗られたら、だいぶ遠くへ行きおったな」
「船とは考えましたな」
「先に山崎の津を当たるべきじゃ」
山崎までの道筋を聞いた源吾は、直ぐに番所を飛び出そうとしている。
「坂田様、先に参ります。足取りが分かれば、この白布を残します」
坂田が間を置いて外に出た時は、源吾の姿が豆粒ほどにしか見えなかった。
「何とまあ、素早い奴じゃ。山では相当に鍛えておったことよ」
三里(十二キロメートル)ほどの道を半刻(一時間)で駆けた源吾は、山崎の津で尋ね回っていた。すると、昼頃に二人連れが小舟を雇い、大坂に向かったと聞いた。
「今は、昼八つから七つに移る頃(午後三時)か、駆ければ追いつくやも知れん」
草鞋を取り換え、直ぐに淀川の川下に向かって駆けた。川岸を眺めながら、摂津の高槻を過ぎた辺りで小船を見つけた。
猿轡を噛まされ、手足を舫(もやい)縄(なわ)で縛られている老人が葦原の中で呻き声を上げていた。源吾は直ぐに縄を解き、猿轡を外した。ぜいぜいと荒い息を吐きながら、四半刻(三十分)ほど前に二人組が西に向けて走り去ったと老人が語った。肌付金より小粒銀を一つ老人に渡し、後からやって来る奉行所同心に伝えることを頼み、葦の先に白い布を巻いた。頻りに頭を下げている老人を残し、源吾は再び駆け出した。
寂れた神社があった。鳥居を抜け境内を眺めまわすと、木の陰に座り何やら口にしている二人の男が見えた。
「おい、文七に清太郎」
突然に声を掛けられた男二人が、目を剥いている。
「お前は、悲田院の手下の者か」
どすの利いた文七の声が返って来た。
「清太郎、相手は若造一人じゃ。やって込ましてやる」
何処から持って来たのか、出刃包丁を振り翳して、突きかかって来た。
源吾は、身を開き足を払った。無様に倒れ込んだ文七の手を後ろ手に捩じ上げ、腰ひもで縛り上げた。振り返ると清太郎が逃げ出しており、小石を投げ付けた。足に当たった清太郎がつんのめっている。そこを文七と同じように腰ひもで縛り上げ、二人を木の根元に転がした。
源吾は神社の外の道で、大きな欠伸をして待っている。やがて駆けつけて来た坂田に引き渡し、翌日には二人を唐丸駕籠で京へ護送することになった。その後、二人は大罪の上、抜牢と言う重科により磔獄門に処せられた。因みに抜牢を注進した庄八は、助命された。
全てが終わった日、京の夜には祇園囃子の調べが流麗に流れていた。高瀬川筋に店を開いている丹波屋の二階には、東町奉行所与力神沼貞太郎と同心坂田大膳が上座に、下座には笠松屋嘉兵衛と妻の絹江が座っていた。それぞれの前には膳が置かれ、酒肴が丹波屋の女主によって運ばれていた。下座の席にはもう一つの膳が置かれていたが、座る者が見当たらない。まだ、誰もが口を開かず、黙って膳を見下ろしている。
「あの、恐れ入りますが、何で私ども夫婦がこんな席に呼ばれておるんどすか」
嘉兵衛が、不安になって恐る恐る尋ねて見た。
絹江は、もしかしてと思い出していた。確か、この奉行所のお方は、八丁山でお会いしたことがある。ならば、源吾の消息でも分かったのか。それで、この空いた席には源吾が座るのか。何か浮き立つ気分になって、顔が綻んで来るのを感じていた。
「絹江殿、やはりお綺麗になられて、笑ったお顔は正に絶品である。あの八丁山の頃に較べ、格段のお美しさじゃ。これなら源吾も安堵しように」
神沼貞太郎が、絹江を落ち着かせようとしている。
「やはり源吾のことにございますか」
絹江は、腰を浮かさんばかりに前かがみになった。
「そう慌てることは無い。今宵は祇園祭りの宵々山じゃ。夜を徹して飲み明かしても好いぞ」
「神沼様、そう調子に乗られるとお奉行様より、お小言がありまするぞ」
坂田が、笑顔で口を挟んだ。
「何をぬかす。あのお奉行にお取立て頂いたからには、何もゆわれる所以は無いわい」
嘉兵衛と絹江は、奉行所の与力と同心の話に、作り笑いをせざるを得なかった。だが、源吾が悪いことになっていないことだけは、察せられ気持ちが緩んでいた。
「丹波屋、もう準備も整ったであろう。源吾をこれに」
「へい」
声と共に障子が開けられ、奉行所同心の羽織を着た若者が部屋に入って来た。
「あっ、源吾。これは」
絹江は、言葉が続かなかった。
「東町奉行所同心見習、田城源吾じゃ」
神沼貞太郎の、浮き浮きした声が掛かった。
「奉行所同心どすか」
嘉兵衛が、絹江からかつて聞いていた義弟が奉行所の同心になっていたとは。茫然として口を開け、若者の姿を見上げていた。
「姉上、お懐かしゅうございます」
「二月ほど前に、囚人の警護に悲田院の手下として列に加わっておましたが、あれは如何したことどす」
絹江は、気に掛けていたことを、先に問いただした。
「絹江殿、あれは源吾が京に参った折、鳥を石打で捕らえたことで、悲田院に預けただけのこと。しかしながら、先の抜牢者の件では見事な働きで、お奉行も褒賞としてお許しになり、しかも空席になっていた同心にまでお取立て下さった。我等の職は世襲が決まり事のようになっておるが、特別なお計らいがあったようじゃ」
席に座った源吾の頭を、絹江はこつんと敲いた。そこで、源吾を抱きとめて泣いた。それは、嬉し泣きにも関わらず、涙が止まることが無いほどであった。
しばらく様子を笑顔で見ていた神沼貞太郎が言った。
「絹江殿、もうよろしかろう。詳しい話は後にして、わしの酒を飲んでくれまいか。丹波屋には事前にすべてのことを伝え置いた」
「絹江はん、泣いてばかりでは、お顔が潰れますさかいな」
丹波屋も笑いながら絹江を宥めている。
「大変お見苦しいところをお見せしてしまいました。うちから先に一献注がさせておくれやす」
「おうそうか。是非にそうして貰おう」
絹江は、神沼貞太郎に酒を注いだあと、坂田と源吾に、さらに嘉兵衛と丹波屋にも注いでいる。席に戻る前に神沼貞太郎に酒を注がれ、皆の杯が満たされた。
「今宵は目出度い。源吾の門出と、姉弟の再会を祝し、皆で祝おうぞ」
神沼貞太郎が、高らかな声を上げた。
「どうぞ、ご存分にお過ごしやすとくりゃす。今日は貸し切りにしとりますさかい」
後ろに控えていた丹波屋の女主が、見回して答えた。
思い起こせば、八丁山を出てから五年の歳月が流れ過ぎていた。お互いに様々なことがあった。しかし、今このようにして、再会出来たことは父上の温かい思いやりのお蔭としか言いようが無い。絹江は、再び流れ出る涙を止めることが出来なかった。
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