私の愛しいヲチくん

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 ツイートを信用するなら、彼は私と同じ関東の学校に通っている高校生だった。部活はバスケだけど大会に出られるほどの実力はない。たまにツイートが難しすぎて分からないことがあるから、彼の高校は多分進学校。制服は詰め襟だけど、ボタンがはっきり写った写真がないから、学校名までは分からない。ここまで推測してしまう自分が気持ち悪いなと思うけど、彼のツイートを見ていれば誰でも想像つくことだし、インスタのアカウントを探したり家を特定したりはしないつもりだから、ヲチとしては可愛い方だと思っている。  相互さんを通じて回ってきた、ドストエフスキーの「白痴」の読了ツイートに魅了された。論理的な言葉なのに鋭さはなくて、音読したくなるほど綺麗だった。ホームを見に行き、理系なのに小説好きという意外性にも惹かれた。すぐにフォロバされて嬉しかったことは今でも良く覚えている。  朝起きたら、まず枕元のスマホを開いて彼のツイートを見に行く。家でスマホを見ていると親にじめじめ小言を言われるから、超特急で朝ご飯を食べて支度をし、通学中の電車でまたツイッターを見る。部活や塾の時間がなければ、あるいは彼が本を読む人じゃなかったら、もっとツイッターに入り浸っていたと思う。彼が読む本や漫画は私も読んでおきたかったし、彼の頭がいいなら勉強して少しでも追い付きたかった。なんのために?よく分からないけど。  放課後、描きかけの絵の前で、これからどう絵の具を乗せるか悩んでいると、恵梨が入ってきた。 「おつかれー、早いね」 「恵梨んとこのホームルームが長いんだよ」 「言えてる」恵梨は笑って、私のキャンバスを覗きこんだ。「いいねえこれ。例のヲチくんのこと考えて描いたの?」 「うっ・・・」  今描いている絵は青緑色を基調とした深い森の絵で、そこには人物はおろか動物もいなかったのに。恵梨は私のこの思考すら読み取ったかのように続けた。 「この絵に向かってる美春の顔、いつも以上にぼーっとしてるんだもん。今朝もヲチくんのことで、なにか良いことあったんでしょ?まだ架空の彼氏に夢中なの?」 「いいじゃん別に・・・」 「美春は可愛いのに勿体無いなーと思うだけ。うちの学校にも男子はいるのよ?」  彼を知ったばかりの頃、恵梨に「こんな面白い人がいてね!」と彼の話をしてしまったのだ。純粋にネタ提供のつもりだったのに、恵梨は「そこまでかなあ?ハマらないようにするんだよ?」と言った。その時はじめて、ネットの人に特別な関心を寄せるのはおかしいことなんだと気付いたけど、あまり歯止めが効かないまま今に至る。  最初に彼のことを打ち明けたのが恵梨で、その後誰にも話さなかったのは良いことだったと思う。恵梨はクラスの中心からはちょっと離れた位置にいる子で、誰かのプライベートを面白おかしく拡散するようなタイプではなかった。恵梨自身はいいオモチャとして私を見出だしたらしく、こうやって時々私のことをからかうのだ。 「冗談抜きに、ホントにいい絵だと思うよ。なにか公募に出せばいいんじゃない?」 「そんなにいいかな?なんだか画面がのっぺりしてる気がするんだけど」 「うーん・・・人物を一人二人置いてみたら?そうだ、ヲチくんを描きなよ」 「えー!顔も知らないよ!」 「顔なんて、マルス像とかを参考に適当に描けばいいのよ。そもそもこの絵の主役は森で、人物はアイキャッチとして配置するんだから、そんなに大きくしないでしょ」  恵梨は急に真面目モードになるのでずるい。 「まあ、そうね」私は気持ちの収まりどころがなくなって、憮然とした声が出た。 「うん、頑張りな。公募に出さなくても、きっとその方がいい絵になるよ。恥ずかしいなら、ヲチくんだと思って描かなきゃいいんじゃない?」  あーまたからかわれた、と思うがもう遅い。恵梨は機嫌良さそうにくねくね歩きながら、自分のキャンバスを取りに美術準備室に入っていってしまった。恵梨にとって私は、私にとっての佑実みたいな位置付けなんだろう。私が彼をヲチしているように、恵梨は私をヲチして楽しんでいる。  私も恵梨みたく、もう少し余裕を持ってヲチに徹することができればいいのだと思う。彼は所詮文字だけの存在なのだから。本当の彼を私は知らないし、私の生活の中に彼はいない。私が彼のことを考えなくなったら、彼はこの世界に居なくなる。それが怖くて、考えるのをやめられないのだと思う。なぜ彼だけに対してそう思うのか、なぜ彼でなければならなかったかは、今ではよく分からなかった。所詮ツイッターだと、自分でも分かっているのに。
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