都橋探偵事情『座視』

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「おい、今のじいさんの履歴書見せてくれ」  手配師の横山が平野に指図した。 「あれだ、明日、土方やらせて明後日移動するからと伝えておいてくれ」 「どちらの宿舎でしょうか?」 「そんなことはお前が知らなくていい。作業着の替えがなきゃ揃えてやれや。明後日の朝俺が迎えに来る」  横山はそれだけ言うと赤いシビックで出て行った。横山はフリーの手配師で人が足りなきゃ公園の浮浪者まで連れて来る。平野は心配になった。鶴見で墜落死した男も、滋賀の大津で墜落死した男も平野が面接をした。そして横山が移動を手配した。余計な詮索は禁物だが偶然にしては出来過ぎている。まさかとは思うが突き落とされたのではないか。そんな思いが平野の頭を過る。今ならまだ間に合う。松下にここから出て行くよう指示しようか。手配師には気が変わって出て行ったと嘘を吐けばいい。一日でいなくなる作業員などざらである。一晩だけ泊まり、朝飯を食っていなくなるとっぽい輩もいる。今夜話してみようと決めた。  横須賀線の大船駅で下車して五分ほど歩くとT字路の左側にプールバーがある。木造平屋の古い建物で四台しかない小さなバーである。四つ玉テーブルとポケットが二台ずつ。四つ玉をゲームしているのが大縄興行の保谷野である。徳田に人捜しを依頼した地元ヤクザの組員である。徳田は会釈してゲームの終わるのを待った。丸椅子に座り煙草を咥えると保谷野の子分がサッと寄り火を点けてくれた。軽く礼をすると「ウッス」と小声が聞こえた。 「所長、ここじゃあれだから事務所に行きましょう」  保谷野は黒に縦縞の背広、右顎に古い切り傷があり、縫い目が盛り上がっている。傷の大きさなら徳田も負けていない。十年前に乳首のすぐ上を一直線に切られた三十センチの傷がある。玄関前に横付けにされた黒のセドリックに乗せられ教会を通り越し繁華街入り口の焼き肉屋の上にある事務所に入る。
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