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吉田川が埋め立てられて七年が過ぎた。歴史ある橋も全て取り壊されてしまった。中西はガキの頃、空襲で逃げ回ったのを想い出した。川の中に飛び込んでも川面が火の海になる。死体がたくさん浮いてゆっくりと海に流されて行くのを徳田と二人で権三橋の欄干から見送った。
「地下鉄ですか、何処まで繋がるんですか?」
「何処まで行くのかな、天国まで繋がれば乗ってもいいな」
以前は署の窓から見えた川は公園となった。
「水を撒けよもっと」
伊勢佐木長者町から上り方面延長工事の水撒き作業員を怒鳴った。
「吉崎組が随分と土方を入れているそうです」
「そりゃそうだろ、横浜はどこも建設ラッシュだ。上前撥ねる人夫出しは数で勝負だからな。寿の連中も景気がいいだろう。だが稼いだ日銭はノミ屋に消える。全部吉崎に戻る。見ろ、あれだけ汗かいて働いて、飲み屋とノミ屋に消えて行くんだ」
中西は地下鉄工事の作業員を指差して言った。
ベージュのスーツに薄茶のソフト帽、焦げ茶のトレンチコートを肩に掛け、咥え煙草でズボンのポケットに手を入れている長身の男が都橋商店街の二階廊下を都橋側から歩いて来る。中央階段を上がって二軒目が工事をしている。工事の指揮をしている女に尋ねる。
「ここに都橋興信所ってある?」
女は気障な男をじっと見つめ廊下に出て来た。
「向こうから二軒目、あんた探偵志望?」
元結婚相談所の娘で事務をしていた日出子が訊いた。
「志望と言うより探偵をしている。困ったことがあったらいつでも声を掛けてよ、お嬢さん」
男は唇に人差し指を付けて歩いて行った。興信所のドアをノックする。徳田はデスクに足を載せ新聞を読んでいた。立ち上がりステッキをスライドし袈裟懸けにした。
「どうぞ」
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