贈る言葉~贋紳士に幸あれ~

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 踏み出したはずの片足が、巨大な掃除機のホースに吸い込まれるような感じがしたかと思ったら、視線が急降下し、ほとんど同時に出張った腹に激痛が走った。  いったい何が起こったのか、わけがわからない早苗……。  ホームに着地しているはずのスニーカーが、ぶらぶらと宙に浮いている感じがした。いつもは見えていたはずのパチンコ屋の赤い看板が消えていて、目に映るのは、無駄に先端の尖った黒い靴やら長いスカートの裾やら横たわったビニール傘だった。  まるで、背丈が一気に半分ぐらいに縮んだようなおかしな錯覚に陥ってしまったそのときだった。  背後から肉づいた両脇の下に、細い棒のようなものが割り込んできた。  途中で折れ曲がるような感触があった。それに、トレーナーの生地をとおして温度が伝わってきたから、棒ではないことがすぐにわかった。  ああ、そうか……。私は勢い余って足を滑らせて、挟まってしまったんだ、電車とホームとの隙間に。この駅って、隙間が広いんだよね――  足がぶらぶらしているのは、落下しなかった証拠だが、それを妨げたモノが出張った腹だったというのは皮肉なものだった。  早苗がやっと自分の置かれている状況を理解することができたとき、ものすごい力で自分の重たい体が引き上げられた。  腹を押さえながら、ホームにへたり込んでしまった早苗の目の前には、「大郷学院」と金色の文字で記された紺色のエナメルバッグと黒い布があった。  目の玉だけを動かして、視線を徐々に上に向けていくと、額の汗を拭う赤らんだ顔があった。  つい先ほどまで、反対側の手摺につかまっていた真っ白いきれいな手が赤く色づいているのは、自分の重たい体を持ち上げたせいなのだと、朦朧とする頭の中で、早苗は申し訳なく思っていた。  学ラン男子はかがみこむと、ハアハアと息を切らして、 「大丈夫ですか?」  と、心配そうに訊いてきた。黒い袖口に光る金色のボタンが、早苗の目には眩し過ぎた。
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