呪われた鏡

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「あっ!! ニキビが出来ている」  直子が鏡に映った自分の顔を見て、つい叫んでしまった。  きっと昨日夜ふかしをしていたので肌が荒れてニキビが出来てしまったのだ。それともスナック菓子の食べすぎのせいだろうか?  直子が必死になって化粧水で肌の状態を整え、ベースメイクをして下地を整え、そしてファンデーションを塗っていく。  直子がもう一度よく鏡を覗き込む。  よし。これなら誰にもニキビが出来ているのがバレないだろう。もしも相手とキスが出来るぐらいの距離まで近づかれ顔を凝視されたなら、きっとニキビが出来ていることがバレてしまうに違いない。でも直子の顔にそこまで近づこうという人間はいないのだ。  直子は醜い女性だった。それは直子本人も認める所だ。それは生まれつきのことだから仕方がないことだけれども、ただでさえヒドイ顔にニキビなどが出来ている所を見られたら、ただでさえ低い恋愛をする可能性がゼロになってしまうに違いない。それだけは避けなくてはならない。そうならないように3日前に貯金をはたいてアンティークショップで百万円の鏡を買ったのだから。  それは一目惚れのようなものだった。  たまたまアンティークショップの前を通った直子の目にその鏡がうつった。それは金で縁取りされた立派な大きな鏡で直子の心を捉えて離さない魔法のような魔力を持っていたのだ。  その鏡の値段を見て直子は驚いた。ただの鏡に百万円なんてお金をとても出せるものではない、そんな風に最初は思った。でも自分に対する投資だと思えばその常識はずれの金額も高くはないのではないかと思い直し、無理をしてその鏡を買ってしまったのだ。  これからしばらくは生活が苦しいだろう。貯金をすべて使い果たしてしまったのだから。食事も質素なものにしなければならない。しかしそれも良い機会なのかもしれない。最近食べ過ぎで体重が増えていたのでダイエットをしなくてはならないと常々思っていたからだ。  鏡の前で直子が裸になる。  そこに映った直子の姿はドラム缶のようにくびれというものがいっさい見当たらない体型で、お腹や背中についたその肉は重力に耐えきれずにたるんでしまい、とても27歳とは思えないひどい姿だった。三段腹という言葉がぴったり当てはまるその身体を誰か他の人間に見られたら恥ずかしくて直子は死んでしまうだろう。他の男性と部屋の中で二人きりになり裸で抱き合うなんて思いもよらないことだ。そんな直子は今までの人生で異性と付き合ったことはなかった。  でもそれももう終わりだ。これからは頑張ってダイエットをしよう。今までは食べ物の舌から得られる快楽に負けてしまって何も考えずに食べ続けてしまっていたのだ。直子の舌を喜ばせるのは食べ物ではなく男性のその温かい濡れた舌であるはずなのだ。  直子が鏡に映った自分の顔をもう一度見直す。  3時間――、3時間かけてやっと人の前に出られる顔になった。もしも厚塗りの化粧の下にあるスッピンの顔を他人に見られでもしたら、もはや直子は生きていけないのでは? と思うほどに自分の素顔の酷さに化粧のたびに驚きと恐怖を感じるほどだった。  それにしても立派な鏡だ。高かったけれどもやっぱり買って良かった。この鏡を見ながら化粧をすると気のせいかいつもよりもキレイになったような気がする。例えそれが気休めであったとしても、そのおかげで頑張ることが出来る。  確かお店の人はこの鏡は昔、ヨーロッパの貴族のお城の中に飾られていたと言っていた。その話は嘘かもしれないがこの鏡を見ながら化粧をする直子はまるでお姫様になったような気分になれる。  鏡にうつる直子の実際の姿はお姫様には到底及ばない。けれども毎日この鏡を使って美しくなる努力をし続ければ、いつの日かおとぎ話に出てくるお姫様のようになれるかもしれない。そんな希望が胸に湧いてくる。  いつの日かその姿の美しさのために命を狙われた白雪姫のようになれるように自分も頑張らなくては。それが化粧によって作られた幻のような姿であったとしても。  そうだ。あきらめてはいけない。  自分の外見がいくら悪くても美しくなる努力を放棄してしまってはいけない。そんなことをすれば冷蔵庫に入れずに放置された生ゴミのようなものでただ腐るにまかせるようなものなのだ。  いつの日にか直子のその身体を求めて近づいてくる王子様のためにもあきらめるわけにはいかないのだ。 「直子、君はなんて美しいんだ」 「いけません。私はあなたのようなお方と付き合うのにふさわしい人間ではありません」 「いいんだ。僕は君に恋をしてしまったんだ。君の本当の姿がどんなものだったとしても僕は君を愛さずにはいられないんだ」  鏡を見ながら空想に浸り、ブツブツ独り言を言うその姿はとても幸せそうだった。  直子が時計を見る。  あっ、いけない。もうこんな時間だ。会社に遅刻してしまう。  直子がカバンを持って部屋を出ようとする。  そして後ろを振り返り鏡に映る自分の姿をもう一度だけ見て言う。 「お前は誰にも渡さないぜ」  そうだ。この身体はいつの日か私の元にやってくる王子様のためだけにあるのだ。それまで私はあきらめずに毎日この鏡の前で化粧をして美しく外見を整え続けよう。例え王子様が現れなくてもこの生命が尽きるその日までそれは終わることはないのだ。  直子が決意を胸に部屋を出てドアをバタンとしめる。  シーンと静まり帰った部屋の中で鏡がポツリとつぶやいた。 「勘弁してくれよ」                              <終>
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