Day 1

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「桃山も江坂先生の経歴はよく知ってるよな?」  黙り込んだ俺に、千里が聞いた。 「ジャーナリストを経て27歳で作家デビュー。去年で30周年。6年前に『みをサメ』で直木賞受賞。著作80作以上の多作家で、5年前から光栄社(うち)の専属」  よどみなく答えると、千里は満足げに頷いた。 「直木賞受賞後、江坂先生が行方不明になって業界が騒然としたことがあったろ?」  そう水を向けられたが、初耳だった。その当時俺はまだ学生だったのだから仕方ない。 「俺も担当するまで知らなかったけどな」  俺の反応を見て、千里は続けた。 「実際には10日ほどのことらしい。気分転換に電波の届かない田舎の旅館にいたんだって、本人から関係者にメールで謝罪があった。そのメールで先生は、光栄社(うち)と専属契約を結んだことを発表したんだ。それ以降、作品は上梓されてるけど、先生本人は一度もメディアに姿を現していない」 「もしかして、江坂先生はその時から…… 」 「あの姿なんだろうね」 「って、それじゃ先生は死んだってことかよ?」  直球の質問に、千里は目を逸らした。 「2年担当したけどさ、そこは謎のまま。気になるなら自分で聞けよ、今はお前が担当なんだから」  大きな賞をとった作家は普通、その後の作品が出版社の熾烈な取り合いになる。そんなタイミングで江坂先生が光栄社(うち)の専属になったことを、俺はずっと疑問に感じていた。うちは出版社としては中堅で、大金を積めるような大手じゃないからだ。  倫理的に正しいかどうかはともかく、あの姿になった江坂先生は事実の隠匿と全面的な協力を条件に、うちとの専属契約を結んだ。  詳しいやりとりまでは知らないけどな、と「前任」は肉厚な肩をすくめた。 「千里はなんでこんな突然、担当降りたんだ?」  俺は入社以来、文芸部に縁がなかった。小説は好きだが素人同然。霊感があるというだけで俺を後任に抜擢するほど、急いで担当を変える理由が分からない。 「先生の新作が走り始めたところなのに、俺、来週から入院でね。いやまぁ、あんな生活してれば仕方ないよな」  千里は突き出た腹に手をやり、病巣があるらしい内臓を撫でた。 「あんな生活」  その言葉の意味は、俺にもすぐわかることになった。
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