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Day 4
「『ミドリは頭を抱えた。何を信じればいいのか分からない。スマホで検索できないことが、ひどく不安だった。』」
先生の声が俺の脳に、キーを打つ音が部屋に響く。俺が打ち込んだ草稿は7万字を超えた。
江坂先生の新作は、定番の異世界転移ファンタジーだ。13歳の少女ミドリがある日突然見知らぬ世界に飛び、言葉をしゃべるカワウソを相棒に冒険する物語。
デビュー以来、ミステリやSF、ヒューマンドラマなど幅広いジャンルで活躍してきた江坂亜久里にとって、初の児童文学だった。
「カッコ『最終的に誰が一番得したかを考えろ。結果としてたまたまそいつが得したなんて偶然は、まず無ぇんだよ』カッコ閉じ」
カワウソの台詞の後ろでカーソルが点滅する。おっさんみたいにしゃべる小動物だ。俺の脳内では彼の台詞が、江坂先生の声で再生されてしまう。
先生が次の文章を迷って黙り込んだので、俺は寝不足とストレスで疲労した頭で、ヤケクソ気味に王道を投げかけた。
「このカワウソ、実は王子様だったりするんですか?」
そんなベタじゃねぇよ。そう言うかと思った江坂先生は、虚をつかれたような間の後で、ニヤリと笑った。
「いいな、それ」
〜*〜*〜*〜
ミドリは泣いた。髪の毛はベタベタ、膝まで泥だらけで、へとへとに疲れてお腹も空いた。やっと辿り着いたのに、どうして虹色の花は咲いていないんだろう。
「ゲームじゃねぇんだぞ。村人に聞いたとおりに進めばハッピーエンドになるような、生易しい世界じゃないんだ。みんなが言ってることを鵜呑みにしたら、みんなと一緒に騙されるだけだ」
カワウソがそう言い放ち、鼻を膨らませて息を吐く。
ここでそんなことを言うくらいなら、村や洞窟の入り口で注意してくれたらよかったのに。
なんて意地悪で役に立たないカワウソだろう。
ミドリは涙を拭き、泥にまみれた両足で立ち上がった。
「この冒険の最後にあんたが実は王子様だったって言われても、絶対キスしてやんないからね!」
〜*〜*〜*〜
「いいですね。ミドリの負けん気の強さと、少しずつ逞しくなってきた感じがわかる台詞だと思います」
俺の発言はネタとして採用された。口述筆記ばかりしていると機械にでもなった気分だが、発言が取り入れられると、編集者としてはやはり嬉しい。
「それにしてもこの世界、過酷ですよね。ミドリは魔法も使えない普通の子どものままだし」
ここ数年の流行りは、現実世界で平凡だった主人公が異世界では最強だったりする痛快なファンタジーだ。世知辛い社会を生きる読者の願望が具現化したような、読んでいて爽快感を味わえる話に安定した人気がある。
どうせならミドリも魔法少女か天才剣士になった方がウケるんだろうにと、俺は密かに考えていた。
「……いいから黙って打て」
もしかしたら既に指摘されたことなのかもしれない。先生は鬱陶しそうにそう言って、カワウソみたいに鼻から息を吐いた。
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