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Day 8
その夜中、先生がどこかへ出かけている間に、俺は15万字を頭から読んでみた。
物語の序盤、ミドリは賊に追われて逃げ込んだ屋敷で、国王暗殺の陰謀を盗み聞きしてしまう。無実の男が処刑され偽りの平和が訪れた社会で少女が懊悩するこのエピソードに、俺はふと、米大統領暗殺事件を思い出した。
(まさかこれ、いや、もしかして……)
そこから、スイッチが入ったように視点が切り替わった。そういう目で見れば、この異世界で起きる出来事は全て、現実に起きた事件をモデルにしている。ただし小説の中で描かれるその背景と真実は、一般に認識されているものとまるで違う。
もしかしたらそれが現実の事件の真相で、俺たちは偽りの史実を信じているのかもしれない。そう考えてネットで検索すると、先生がモデルにした事件の一つひとつに、そういった疑惑が存在することが分かったのだ。
(じゃあこれは……この民族が数百年かけて準備している周到な計画っていうのは……)
まだ「事件になっていない」陰謀が、物語の中で着々と進行している。これがもし現実ならと想像して、全身に鳥肌が立った。
「先生、少しいいですか」
明け方に戻ってきた江坂先生に、俺はディスプレイを指で示した。
「この、飛行船が要塞に衝突したシーンですが、多くの読者は、飛行船と言われたら乗客は数人という印象を抱くんじゃないでしょうか。いっそ舞台を海の上にして、大型客船が全速力で突っ込んだ方が、インパクトが強いように思います」
先生はスッと顎を上げてしばらく黙考してから、
「海上基地か、悪くないな」
と呟いた。
「その後の展開に調整が必要になりますが、惨状が絵として浮かびやすい方が、実際のイメージに近づけられると思うんです」
俺の言葉に、先生は少し目を見開き、それから片頬を上げた。
「気づいたのか」
「……遅ればせながら」
この小説は、壮大な寓話だ。
操作された情報。小さな嘘を夢中で暴き、大きな嘘に気づかない人々。そこには、現実社会が投影されている。大衆が無自覚な情報弱者となれば、権力者が世論をコントロールするのは容易い。
江坂先生はミドリの経験と成長を通して、与えられた情報を鵜呑みにすることに繰り返し警鐘を鳴らしていた。
「ちょっと練り直すわ。その間に全体の流れ見て、ピンとこないとこがあれば教えてくれ」
「わかりました」
先生に、口述筆記以外を頼まれたのは初めてだ。少しは認めてもらえたと思っていいのだろうか。
俺は大きく伸びをして首を鳴らしてから、改めてPCの画面と向き合った。
もう迷いも不満もない。完成まで、やれるだけのことをやろうと心に決めた。
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