来訪者

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越中国、水把(みずは)村。 ここには絹糸と紙で作られた「水引」と呼ばれるものを巧みに使い、魔除けや術を使う一族がいた。 「千屋」と呼ばれる水引屋は代々、水把村の病治癒、呪いの解呪、妖との戦いによって村を守っていた。 水引は遣隋使の帰還と共に大陸から輸入され、この水把村で採れる絹糸と紙が水引の製作にうってつけだったためこの地に定着した。元々水把村で呪術師をしていた家系がこの水引に宿る付喪神と相性が良く、次第に水引を使った術式に変わっていったと言われている。 しかし、霊力が強い水引き師の家系は妖の世界から常に狙われていた。 千明は元々3姉妹の末っ子だったが、姉2人は鬼に食われ命を落とした。やっとのことで授かった千草は、生まれて間もなく鬼に命を狙われていたところを、千明自身の両足に宿る霊力と引き換えに奪われずに済んだのだった。しかしそれにより、千明の足は動かなくなり、自由に出歩くことはできない体になってしまったのである。 雨はさほど強くはないものの、村はずれの家まで行くには着物が濡れてしまうくらいには降っていた。水引は濡らしてしまうと良くないので、千草は蓑を被って走った。 やがて家が見えてくると、千草の目にはその家の隙間から黒いモヤがちらついている様子が映った。これは一般の人間には見えない。 (強くはないけど、変な妖の気配がする) 家主の奥さんに案内され中へ入ると、狭い家の中にはじめっとした濃い瘴気が立ち込めていた。ひどい臭いだ。しかしこれは本当の臭いではなく、妖の臭い…つまり千草にしか分からないものだ。 「千草ちゃんか。すまないのう、この旅人さん、うちの前で倒れてたんじゃ」 「そっか…意識、無さそうだね」 「でもさっきからうなされとる」 旅人と呼ばれたその男は、脂汗をかきながら悶えていた。 「どこか悪いんじゃろか」 「大丈夫、すぐ治すよ」 千草は懐から藍色と白の水引を出した。そして目を閉じ、すーっと深く息を吐いた。 (……藍、白ちゃん、お願い) カッと目を見開くと、千草の瞳はぽうっと翡翠色の光を帯び始めていた。指先は神が宿ったかのようにあざやかに動き出し、あっという間に「あわじ結び」が出来上がる。 「…藍水よ、白水よ、我に力を貸したまえ」 次の瞬間、千草の手のひらに乗せられたあわじ結びの水引は、光を帯び始めた。その光は部屋に立ち込める黒いもやを一気に払いのける。 「千明様、千草様、水引の神様!!」 家主とその奥さんは手を擦り合わせ頭を床につけながら祈っている。 千草の周りに小さな風が巻き起こり、両側にすっと人影が現れた。 『……』 一人は先ほど姿を現していた藍色の水引に宿る付喪神、藍水。 そしてもう一人はとても小柄な少女だった。 雪のように真っ白な髪に、同じく真っ白な着物。肌も透けるように白く、瞳は灰色だった。 「白ちゃん、この旅人さんに憑いてるの、何だかわかる?」 白水はじっと男を見下ろすと、小さく頷いた。 『…烏の式がついてる。たぶん、追跡用……』 「烏?」 すると藍水が苦しむ男の顔をそっと覗き込んで呟いた。 『官職の者ですね。烏は天皇家に近しいですから、おそらく京の都から来たのではないでしょうか』 「え?そんな役人さんがどうして…」 『事情は分かりかねますが、だとするとこの式をつけたのは、大方陰陽師でしょうね』 「陰陽師……」 大陸から来た陰陽思想。それを元に学問として体系化し、呪術、未来予知、病気治癒などを行うことができるのが陰陽師だ。京の都には沢山の陰陽師が帝に仕えており、陰陽院という専門施設まであると聞く。平安京にはきっと妖など一匹もおらず、病や天災が起きてもあっという間に解決されるのだろう。 そんな陰陽師の式がついている、ということは、この人は都から逃げ出した罪人なのだろうか。 『千草、どうしますか』 もし罪人だったら、助けてしまった場合私たちが罪に問われてしまうのだろうか。 けれど、目の前で苦しみ悶えている人をこのまま放っておくという選択肢は千草の中に無かった。 「助けよう。白ちゃん、式の場合は無理に剥がさない方がいい?」 白水は小さく頷いた。 『式は妖ではなく神に近い存在』 「なるほど。じゃ、ちょっとだけ機嫌直してもらおう」 千草は、左手を藍水と、右手を白水とつないで静かに祈りを込めた。 藍水と白水はそれぞれ、千草とつないでいない方の手を苦しむ男にかざす。 目の前に捧げたあわじ結びの水引が輝きはじめ、その光に男が包まれていく。 「……天上神の使い、八咫烏の式神よ、どうか静まりください。水引の神の力を授けます、どうか静まりください」 藍色の光と白い光が男に注がれていくと、だんだんと表情が和らいでいくのが分かった。 徐々に光が収まっていき、男が完全に苦しみから解放されると、藍水と白水は千草の方を振り返りこくりと頷いた。 「ありがと、藍、白ちゃん」 2人は少し微笑みながら、そのまま光の中に消えた。 男がすっかり穏やかな表情で目を閉じ寝息を立て始めた頃、外の雨も止みわずかに日差しが差し込んできたのだった。
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