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5 ずるい寝顔
「北側はもう暗いのね」
日当たりの弱い館の北側は、納屋の様に使われている。人嫌いなマルクスは、伯爵の勧めるゲストルームを選ばずわざとこの棟を願った。寂れて使われていない部屋が多い。
「こんなところで誰かに出会したら、気不味いどころではないわ。不祥事よ……」
マルクスの部屋の前までくると部屋から絵具の匂いを感じ、マリーは胸の音は高鳴る。マリーはドアをノックしようとして止めて、そっとドアノブを引いて静かに部屋に入った。
部屋はアトリエらしく、イーゼルには布を掛けられたキャンバス、テーブルにはスケッチブックや画材が置かれ、雑な身嗜みとは真逆で思っていた以上に整然としている。
「……マルクス? マルクスいるの? 」小声でマルクスの姿を探す。
直ぐにマルクスの居場所は分かった。窓際の長椅子に横たえてうたた寝をしている。
「マルクス、寝てるの? 」
マリーは足音を殺して近寄り、マルクスの寝顔を覗き込んだ。普段きつく閉じられた唇が少し緩み、目蓋は優しく瞳を隠して、前髪が上がると額はとてもきれいな形をしていた。
「寝顔がかわいいなんて狡いわ。私に興味がない彼を好きになっても良いことなんか無いのに」
「でも、いつまでも見ていられないわ。起こさなきゃ……」
そう思いながらもマリーはそれを惜しんで、部屋中を眺めた。テーブルの上には、いつも見せてもらえないスケッチブックと素描が画板の下に伏せられている。マリーは、自分がどんな風に描かれているのかこっそり見てみたくなった。テーブルまで近寄ると、そこには他にも大きな絵が広げられていた。
「建造物の……図面? 」
肖像画家だとばかり思っていたマルクスの別の一面を知ってマリーは驚いた。マリーには無縁の製図用具が置かれている。
「そうだったのね。美人画が得意な画家だとしか思っていなかった……それじゃ、嫌われてしまっても当然ね。マルクスがやりたいのは建築だったのね」
大事な時間を奪っていたかと思うと、マリーはマルクスを好きと言う気持ちごと自分を消してしまいたくなる。悲しくなりながらもその図面を見ようと画板を起こすと、その拍子に挟んであった素描の紙が次々と床に散らばった。
バサバサッ!!
「誰だ! そこで何をしている!! 」
物音で目を覚ましたマルクスが、マリーに気が付き、険しい目で睨みつけた。
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