そして彼女は死んだ。

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そして彼女は死んだ。

 ショートケーキが食べたくなった。  ふわふわのスポンジに甘いクリーム。苺は少しだけ酸味が強いのが()い。甘々の苺も良いけれど、ショートケーキにはやっぱり、酸味が強いヤツの方が好きだ。  ピピピピピと、無機質な音が耳元から聞こえた。まだ意識は朧気で覚醒しておらず、寝転がったまま手を伸ばして、言葉ともならない唸り声をあげながら目覚まし時計を掴む。  重い瞼を片方だけ開いて時刻を確認すると、針は7時ちょうどを差していた。と、同時に、玄関ポストの方からカタンと音がした。秒針は1秒のところを差している。  パジャマのまま玄関扉の内側に備え付けてあるポストの中を確認すると、白い小さな箱があった。中身は見慣れたカプセルだ。それを確認すると一旦箱に戻して、とりあえず朝支度をすることにした。  朝支度を一通り終え、持ち物などに不備はないか最終確認したあと、箱の中にあるカプセルを取り出した。大丈夫な筈だが、毎朝この瞬間が一番緊張する。カプセルを口に放り込んで、コップに注いだ水で流し込む。  ――コップは帰ってから洗えばいいかな  行ってきます、と今はもう誰もいない部屋に告げて靴を履き、ドアノブに手をかけたとき、ふと友人の顔が思い浮かんだ。まったくアンタはいつもだらしないんだから、と呆れている様子が簡単に想像できた。  ――コップ。やっぱり、洗っておこうかな。  まだ時間はあるし、コップ1つだけならそう時間もかからないだろうと考えて、手早く洗い物を終えた。蛇口を捻ると、キュッと小気味よい音がして、最後の水滴が手の甲に落ちた。  ドアノブを捻ると赤い光が一瞬部屋を包み、ロックが解除された音を確認して扉を開けた。  時間、ちょっと厳しいかな。そう考える時間も惜しいと結論付けて、速足で学校に向かった。 ◇ 「あ、小夜(さよ)! おはよ!」 「おはよう、(あや)ちゃん」  教室に入ると、文ちゃんが駆け足でやってきて、子犬のような笑顔を見せた。友人の顔を見て一安心したあと、教室をぐるりと見渡してみた。  トイレや他クラスに行っている人もいるからか、教室には席の半分くらいの人数しかいなかった。  時計の針はもうすぐ始業時刻に迫ろうとしている。慌てて教室に戻ろうとしている人達の、廊下を駆け出す音が聞こえた。 「出席を取ります」  モニターから先生の声が聞こえた。高砂(たかさご)さんの名前が呼ばれ、それから淡々とした声で点呼が続き、ついに私の番になるというときだった。  隣の席の隼人(はやと)が肩を震わせ勢いよく立ち上がった。 「ちょっと待てよ先生。鷹哉(たかや)が……鷹哉の名前がまだ呼ばれていねぇよ」  その言葉で教室の空気が重くなるのを感じた。誰もが薄々感付いてはいながらも、決して口には出さなかった禁句のような言葉を大声で放たれ、先生はバツが悪そうな声になった。 「落ち着きなさい。感情は合理的ではない結果を生む。まずは冷静に……」 「何が合理的だ、おい! そんなもんのせいで鷹哉は殺されたって言うのかよ! なぁ! ……クソッ!」  隼人は椅子を蹴り倒して教室を出ていった。開けっ放しの扉を見て、机の数の半分もいないクラスメイト達は、気の毒そうな顔をした。 ――無理ないよ。だって、鷹哉君と一番仲良かったの隼人君だもん ――でもよ、何で鷹哉は死んじまったんだ? ――私も隣のクラスの子から聞いただけなんだけどね、なんか、鷹哉君が馬鹿にされているのに対して怒ったらしいよ ――あの温厚な鷹哉が、よりにもよって”怒り”で死んだのか。……分からないもんだな  ひそひそと噂話をするクラスメイト達を背に、突然に文ちゃんが隼人を走って追いかけていった。ちらりと見えた文ちゃんの横顔を見て嫌な予感がし、私もそれに続くように速足で追いかけた。 ◇  隼人は学校のすぐ近くにあるバス停のベンチに座っていた。先程まで荒ぶっていたのとは対照的に、今は空を見上げたまま置物のように全く動く気配を見せない。 「…………おぉ。……文と、小夜か。……さっきのザマの俺が言うのも何だけどよ、泣いたり怒ったりしないでくれよな」  生気の抜けた声で絞り出すように言った言葉に、隣にいる文ちゃんは頷いてはいるが、その顔は今にも泣き出しそうになっている。 「合理的、か。ダチの為に怒りゃ死ぬなんて、俺にはさっぱり分かんねぇよ」  ちょうど私たちが生まれるとき、世界で統一して新しいルールが作られた。人類の発展の為、これからは合理的に生きなければならない。そこで、感情は想定外のことを引き起こし、進化の妨げとなるため、一切の感情を禁ずる、というルールだ。  喜、怒、哀、楽、愛、憎。これらの合理的でないとされる感情というものを見せた者には、合理的な処罰を……言ってしまえば、感情的な者は、何をしでかすか分かったものではないから(ことごと)く殺してしまおう、というわけだ。  全人類の発展の為、などと謳ってはいるが、本心は口減らしが一番の理由だろう。  人類は増えすぎてしまった。科学の発展により寿命は格段に延び、人口爆発に次ぐ人口爆発で、地球は人類で飽和状態になってしまった。  毎朝送られてくるカプセルは、感情をもった者が呑み込むと、劇薬に変化し死に至る代物だ。  家を出ようとドアノブを捻ると、薬を呑んだかどうかがセンサーによってチェックされ、薬を呑んでいない場合はロックが解除されず、外に出ることが出来ない。  こんなシステムは、ひと昔も前の時代であったなら、ありえない話らしいが、発展した科学は倫理観を狂わせ、それを可能にしてしまった。  それならばいっそのこと、私達の価値観もそれに準拠させてくれるような薬でもあれば良いのに。そしたら、こんなにも苦しまずに済んだ筈だ。  取り合えず歩こう、という隼人の提案により、重い足取りで街を彷徨う。道中にはペットショップがあり、ゲージにいる様々な種類の鳥たちが、ガラス越しに見えた。  ペット用に無理やり成長を止められた鳥たちの中で、一羽の鳥が、鳥籠の中で羽を懸命に動かして藻掻いていた。  気性が荒い鳥は危険だとかで、きっと処分されてしまうだろうに。それでもその鳥は、何かを主張するように羽を動かし続けていた。 「おっ、こんなところにケーキ屋があった。食ってこうぜ」 「こんな朝早くからケーキぃ~? 胃もたれしない?」 「お前、そんなこと言ってるくせに、もう店の中に入っているじゃねぇか。小夜は……あ、悪い。そういや甘いモン駄目なんだっけか」  ――小夜、ケーキが嫌いなんてもったいないねぇ。こんなに美味しいものが食べられないなんて、損してるよ  文ちゃんと隼人の微笑ましい掛け合いを遠目に見ていると、不意に、友人との何気ない会話が思い出された。  あまりにも幸せそうにケーキを頬張る姿を見て、じゃあ今度一緒にケーキを食べようか、なんて言ったんだっけ。……その今度、は無かったけれど。 「ううん。私も食べようかな、ケーキ」 「決まり! じゃあ私はモンブランとー、バナナケーキとー」 「おいおい、そんなに入るのか?」  すっかりテンションが上がった文ちゃんに呆れる様子を見せながらも、隼人もケーキを選んでいた。  そんな何気ない日常感に溢れた会話を繰り広げながら、気が付けば日が暮れるまで一緒に遊んでいた。 ◇  翌朝、パチリと目が覚めた。時計の針は7字よりも1分早い時刻を示している。  軽く目を瞑れば、昨日の楽しかった時間が思い出される。最後の別れるときの、じゃあなと満面の笑みで別れを告げた隼人と、今にも泣き出しそうなのに、無理やり笑って見送った文ちゃんが、あの日の自分たちと重なった。  今なら、あのとき、私に別れを告げたときの彼女が笑顔だった理由が、心から理解できる。  彼女は、鳥籠の中で羽ばたいていたのだ。己が翼はここにあると。  ずっと一緒にいたのに、やっと本当の彼女を知ることができた気がして、思わず笑みが零れた。  コトン、と玄関で音がした。私はその箱の中に入っている薬を手に取ると、躊躇わずに呑んだ。
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