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「誰の命もいらぬ。姫の命も、あなたの命も。
ただ、あなたが尋ねればよい。
雨を降らせてくださった代わりに、竜神が何を望んでおられるのかを」
剣士が祈祷師に言った時、ちょうど村人たちが微笑って祈祷師を踊りの輪の中へ引き込んだ。
祈祷師は村人に無理やり促され、見様見真似にぎこちなく舞い始めた。
剣士もまもなく、その輪の中へ引っ張られた。
やがて領主も。
そこで神事の火を見ながら、剣士は故郷の祭りを思い出し、似ている、と思った。
彼が生まれ育ったのは、当時、幕府の力のまだ及ばなかった辺境の小さな村だ。そこでは小国間の争いや野盗が絶えなかった。
彼が十二のとき、野盗が村に攻め入った。
水槌は村に唯一の刀であり、歴史ある名刀だった。いつからなぜあるのか誰も知らぬが、神剣のように大事にされていた。
それを守るのが、代々彼の家の役目だった。
「水槌を守って逃げよ」
父はそう言い、男に刀を持たせてひそかに村から出した。
逃げる途中、水槌で初めて人を斬ったとき、どれほど恐れ、畏れたかを男は思い出した。
戻った時、村は跡形もなく、ただ焼け野原があった。
以来、誰よりも強くなると刀に誓って武芸を磨いた。
誓い通り、強くはなった。
だが彼が強くなるにつれ、水槌は「妖刀」と呼ばれるようになっていった。
それは今思えば、技に溺れて功名心にはやり、慢心したことの鏡だったろう。
そも水槌は、本当に俺が技を磨くことを望んだのだろうかと、ふと男は考えた。
それはただ、俺が自分のために選んだことに過ぎぬと。
何のためだったろう。初めは水槌を守るため、生きるため、父母のためだった。
その少年がいつか、戦えば戦いが終わると信じるようになり武勲を立て、今ではその志すら忘れていた。
奉納の舞が終わったとき、祈祷師は村人たちと微笑んでいた。
それが、竜神の求めた契約の"代償"だった。
生贄の儀式は、行われずに済んだ。
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