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あれこれ語ってきたが日常生活において一番遭遇する言葉を発することが許されない空間はどこだろう。
小学生男子なら個室トイレの中、壁の薄いマンションに住んでいたら自宅ということもあるが一般的な会社員だとそれは満員電車だろう。
車輪、空調、イヤホンの音漏れ、警笛と耳を騒がせる音は沢山鳴っているが実際に言葉を発するのは駅員や車掌だけ。
多くの一般乗客はうめき声を上げることが精々だ。
黙々とあるいは粛々とただじっと耐える。ハリウッド映画じゃなくても割合日本人はそういう日常を送っている。
ミレーが農民画を描き続け偉大なる画家になったように黙々とあるいは粛々と耐える人々の姿は人々を魅了する。
しかし時として人は声を上げなければならない。
穴に向かって王様の耳はロバの耳だと叫んだところで葦は考えない人間であり喋ることもまたできない。
耐えることは思考しないことではない。頭を常に動かし知識を深め経験を積み声を上げるべき時にそなえるのだ。
そして今がその時、そうだ、声を上げるときだ。
だが沈黙の中で一人声を上げるにはとても勇気がいる。
授業中にトイレに行けず漏らしてしまった同級生の気持ちが今ならわかる。
なんで休み時間に行かなかったんだと怒る先生も数多くいた。そういう圧力が声を上げることを恐れさせるのだ。
この満員電車という空間で私の声は届くのか。
声を上げた私を果たして人々は味方してくれるのか。そこで待っているのは厳しい非難の目つきかあるいは黙殺かもしれない。
でも私はやらなければならない。それが社会人であり一市民である私の役割だ。
電車がホームに到着する。ドアが開く。
今まさに。
「この人痴漢です!」
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