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「わたし、お星さまになるの!」
いつかの夜のように暗い空間で、安物ながら心地の良い椅子に沈み込みながら、星座のきらめきを堪能する……。
その日も私は、行きつけのプラネタリウムで『夜空』を眺めていた。
できることならば私だって、人工の星空を見るのではなく、自然の中で本物の満天の光を浴びていたい。でも、このような都会の真ん中では、それは夢物語に過ぎず……。
せいぜい、デパートの屋上に設置された小さなプラネタリウムを楽しむくらいが、関の山だった。
「ありがとうございました。本日の午前のプログラムは、これにて終了です。午後のプログラムの開演は……」
ハキハキとした若い女性の声。ただし肉声ではなく、代わり映えのしない録音アナウンス。
それと共に、プラネタリウムの星空は、もっと人工的な館内照明に切り替わった。
早速、席を立つ人々も出始める。何をそんなに急いでいるのだろう。せっかく、プラネタリウムに来たというのに。
私には理解できない。
彼らと違って、静かに余韻を味わいたい私は、椅子から立ち上がろうとはしなかった。ただ少し周囲のざわめきが気になって――早く消えてくれと思いながら――、首だけを傾けて、辺りを見回す。
すると。
いつのまにか女の子が一人、隣の席に座っていることに気づいた。
黄色い帽子をかぶった、四つか五つくらいの幼女だ。フリルのあしらわれた可愛らしい白いシャツと、鮮やかな赤色が目立つ子供っぽいスカート。そして腕には、大人の頭くらいの大きさの猫を抱きかかえて……。
「えっ、猫?」
ドキッとして、私は思わず口に出していた。
どこか見覚えのある猫だったし、そういえば幼女自身にも猫っぽい雰囲気があるようだが、問題はそこではない。
動物を連れてプラネタリウム鑑賞など、非常識にもほどがあるではないか! 途中で騒ぎ出したら、どうするつもりか!
親は一体、何を考えておるのだ!
怒鳴りたくなるくらいだったが、気持ちを抑えて、よく見れば。
その猫は、単なるぬいぐるみだった。
早とちりした自分が、少し恥ずかしい。
しかも、そうやって幼女を観察していたせいで、彼女と目が合ってしまった。
クリッとした、丸い瞳。思わず引き寄せられそうな、魅力的な瞳。そこに、幼女らしくない憂いを湛えて、彼女は私に問いかける。
「おじさんは……。ここで何をしてるの?」
何とも奇妙な質問だ。
買い物客で賑わうデパートの屋上、そこに用意されたプラネタリウム。ここまで来てやることなど、一つだけだろうに。
「何って……。お嬢ちゃんと同じじゃないかな」
「同じ? 本当?」
物憂げな雰囲気が幼女から消えて、ハッとした顔になった。
嬉しそう、というのとは少し違う。まだ笑顔には程遠いのだが……。
「そうだよ。だって、ここはプラネタリウムだからね。お嬢ちゃんも、星を見に来たのだろう? 他に何をするんだい?」
「そっか……。おじさん、星を見てたのか……」
見るからに残念そうに、幼女は、深く椅子に座りなおす。
「同じって言うから、期待したのになあ」
はあっと、ため息を一つ吐く幼女。
どこか幼女らしくない彼女に、私は違和感を覚えつつ、少し心配にもなった。
「それより、君は一人なの?」
「うん。パパを待ってるの」
こんなところで、小さな子供を一人で待たせるとは!
他人事とは思えぬくらいに、私の心の中に怒りが沸き起こる。
いやいやいや……。
猫のぬいぐるみの、見間違えの件もある。少し冷静になって、考え直そう。
もしかしたら……。親がこの子を待たせているわけではなく、この子が迷子になっているのではなかろうか?
そういえば……。「白い服と赤いスカートの迷子を探しています」みたいなアナウンスを、下のデパートで聞いたような覚えもある。
……などと、私が考えている間に。
幼女は天井を見上げて、何やら語り出していた。
「お星さまか……。いいなあ。わたし、お星さまには、なれないからなあ」
やはり、小さな子供なのだろう。
プラネタリウムに来て、星に憧れる。それは良いのだが、人が星になるというのは、天国へ行くということだ。そうした言葉の意味は、まだ、よくわからない年齢らしい。
「縁起でもない……」
ボソッと呟いた私に向かって、幼女は再び問いかけてきた。
「おじさんは、なぜ本物の星ではなく、プラネタリウムを見てるの?」
「それしか見れないからね」
軽く苦笑いしながら答えると、さらに子供の質問は続く。
「なぜ?」
「東京の空では、本物の星は、よく見えないんだよ。都会の夜は、星空鑑賞には明るすぎるから」
「東京の空?」
「そうだよ。わかるかな? 街の灯りから離れた、自然な田舎まで行けば話は別だけど……」
「じゃあ、なぜ行かないの?」
「なぜって、そりゃあ……」
私は一瞬、言葉に詰まった。
すると幼女は、また話題を変える。
「わたし、にゃーちゃんと違って、良くない子だから。お星さまには、なれないの」
「にゃーちゃん? 良くない子?」
「にゃーちゃんは、死んじゃった猫。わたしより先に……」
幼女は私から目を逸らして、腕の中のぬいぐるみをギュッと抱きしめた。
ああ、これは亡くなった飼い猫の代わりだったのか。
一つ理解できた私に、幼女は言葉を続ける。
「パパやママより先に死んじゃう子供は、良くない子なんだって。天国には行けないんだって。そういうルールなんだって。だから……」
ここで幼女は、私に視線を戻した。その瞳に宿るのは、強い意志の光。星にも負けない、強い輝き。
「……わたし、ここでパパを待ってるの。一緒に天国へ連れてってくれるのを、待ってるの」
事ここに至り、私は、ようやく気付いた。
この子が、いきなり私の隣に現れたわけを。
「まさか、君は幽霊……」
おびえたような私の声色に、幼女は悲しそうな顔をする。
「ようやくわかってくれた。でも、まだ、そこまでなのね」
「そこまで……?」
これ以上、何かあるのだろうか。そう思って私は聞き返したが、幼女は答えずに、先ほどの質問に戻った。
「おじさん、なぜ田舎へは行けないの?」
「それは……」
わからない。
仕事が忙しくて暇がない、というわけでもない。
では、なぜ……。
「まるで、この土地に縛られているかのような……」
無意識のうちに、私の口から、そんな言葉が飛び出してしまう。
それを聞いて、ようやく幼女は笑顔になった。
「あ、ようやくわかった?」
そうだ。
彼女の先ほどの「同じって言うから、期待したのになあ」という発言の真意。
私も彼女と同じく、地縛霊だったのだ!
何か未練があって、成仏できずに……。
そこまで考えた時。
唐突に。
迷子のアナウンスのことを思い出した。
あれは、聞いたのではない。
私が頼んだアナウンスだ!
息を切らして、デパートの迷子センターに駆け込んだ私。受付をしていたお姉さんの表情や、クリーム色に塗られた迷子センターの壁のタイルなど、あのとき視界に入った全ての光景が、今でも目に浮かぶようだ。
もう、はるか昔の話なのに。
「ああ、そうか。私の未練は……」
愛しさを込めて、あらためて私は、彼女に目を向ける。
「ここにいたのか、さゆり」
「ようやく思い出してくれた! これで一緒に天国へ行けるね、パパ!」
私より十年も早くに亡くなった愛娘が、嬉しそうに、私に飛びついてきた。
「待たせてごめん、さゆり」
おぼろげな霊体の腕で、肉体のない娘の魂を、強く抱きしめる。
幻想が晴れてみれば、私がいたのは、もう何年も前に取り壊されたプラネタリウムの跡地だった。
他の観客など一人もおらず、天井には穴があいた部分もあり、投影装置は放置されたまま埃を被っている……。
もはや、ここにいても意味はない。
だから。
「行こう、さゆり」
「うん!」
さゆりと一緒に、私は星になった。
(『猫の幼女とプラネタリウム ――「わたし、お星さまになるの!」――』完)
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